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映画『バービー』何者でもない私で生きていく

当初、バービーの販売促進映画だと思いこんでいたため、
全く観る気がなかった。

けれども、noteでフォローしている方の記事で、
「本国では映画を観た後、別れたカップルがいた」ということを読んだり、
同性愛に関する描写があるために、上映禁止した国があると聞き、
(レバノン、マレーシア、アルジェリア、など)
一体どんなものを見せられるんだろう、と好奇心が抑えきれなくなった。

上記の出来事から、
女性の権利向上やLBGTQに関する内容なのかなと予想していたが、
鑑賞後に「自己喪失の時代」という言葉が頭に思い浮かんだ。

現代を生きる多くのバービーたち、ケンたちが
ロールモデルがいない、答えを提示できる人がいないという社会の中で
迷っているというように感じた。

日本ではバーベンハイマー問題で悪い意味で話題になってしまい、
抗議の意味もこめて「観ない」と決めている人もおられると思う。

ただ、映画そのもののメッセージは全く別のところにあるし、
「女であること」あるいは「男であること」の型を
世間から押し付けられてため息をついたことがある人、
「何者にでもなれる」と表向きでは言われている世界の中で
一体何になればいいかわからないと感じたことがある人なら
必ず刺さる場面やセリフがあると思う。

(以降、ネタバレになります。
 鑑賞の予定がある方は、ここでページを閉じて、
 観終わった後によかったらまた見に来てくださいね。)

Stand.fmでも、以下の記事と同じ内容について話をしてみました。

あらすじ

バービーランドで楽しく暮らしているバービーたち。
彼女たちは、世界中の女の子たちに
夢を与えているということを誇りに思っている。
この国では、あらゆる職業は女性たちで占められており、
男性はおまけという
よしながふみさんの漫画『大奥』の
男女逆転大奥のような世界観になっている。

そんな中主人公のバービーは
自分の身体にある異変を感じる。
鬱っぽくなり、脚が思うように動かなくなり、
太ももにセルライトができ、
「死ぬ」ということについて考え始めるようになったのだ。

本来は永遠の存在であるはずのバービーが
そのような状態になるのは異常事態。

人間社会に詳しい変わり者のバービーに相談に行くと、
持ち主と人形の間には特別な絆があること、
持ち主のメンタルが落ちてきていることが原因であること、
そして、現実世界の持ち主に会いに行き、
メンタルを正常化することが必要であることを教わる。

「自分に会ったらすぐに元気になるはず」と
意気揚々と出発するバービーだったが、
現実世界が、バービーランドとは正反対の
男性優位社会であることに衝撃を受け
男性たちから性的な目で見られることに困惑する。

何とか持ち主と思われる女の子サーシャと出会うものの、
彼女は思春期の真っただ中におり、
バービーの訪問に喜ぶどころか
「バービーは、女性の理想の姿を押し付ける迷惑な存在で、女性の敵だ」
と激しく拒絶されてしまう。

落ち込むバービーだが、
本当の持ち主はサーシャのお母さんのグロリアでありることがわかり
2人をバービーランドに招待する。

一方、現実世界での男性優位社会に非常に感銘を受けたケンは
一足先にバービーランドに帰り、
バービー不在の間に男性の権利を拡大し
ケンダム(Kingdam?)を建国しようとする。

バービー人形の歴史

バービー人形の歴史は、
アメリカのウーマンリブの歴史と重なると言われている。

映画の冒頭では、
女のたちが赤ちゃん人形のお世話をしているシーンが写される。
そこに、2001年宇宙の旅のテーマ曲をバックに、
バービー人形が突如現れる。
女の子たちはその存在に衝撃を受け、
そして赤ちゃん人形を次々と破壊するという
印象的なオープニングになっている。

つまりバービーは、旧来の女性像
(家族のお世話する存在、良妻賢母)を壊した
新しい女性像の象徴であるといえる。

バービーは、ファッショナブルで、
人生を謳歌しており、
「あなたは何にでもなれる」というメッセージを
女の子たちに与え続けてきた。

バービーが初めて発売された1950年代
女性は自分名義の銀行口座すら持てなかった。
そんな中でバービーは、
彼女自身の家=「ドリームハウス」を持っている。

現在では、職業の数だけバービーのバリエーションがあり、
様々な人種、容姿のバービーたちが存在する。

リカちゃんのお母さんの歴史

日本を代表する人形といえば「リカちゃん」だけれど、
リカちゃんの年齢は11歳という設定。
今どきの11歳の女の子はかなり大人っぽいとは思うけど、
女であることの不快さ、困惑、居心地の悪さなどを感じる
一歩手前という絶妙な年齢設定だと感じる。

日本の女性像の変化を見るならむしろ
リカちゃんのお母さんでは?ということで、
歴史をググってみたらかなり興味深かった。

現在のリカちゃんのお母さんは6代目。
これまでおよそ10年ごとにアップデートが行われてきた。
1960年代に登場した初代のテーマは「ワーキングウーマン」
1970年代の2代目は家事を万能にこなすしっかり者お母さん
1980年代の3代目では、アイドルブームを反映してか、
それまでの肝っ玉母さん風から可愛いらしい雰囲気のママ
1990年代の4代目では、可愛いだけでは物足りないということで
強さ、大人っぽさを加えたママ
2000年代の5代目では、娘と友達感覚のママ
そして、現在の6代目はというと、
「美しく、自分のスタイルを大切にするママ」とのこと。

確かに、その時代ごとに憧れられる存在がテーマになっていると思える。
ただ、説明の文字を読んでいるだけでなぜかしんどい気がしてくるのだが…

付け加えると、リカちゃんのお父さんは
リカちゃん発売後、しばらく「行方不明」という設定だったとか。
当時のお父さんたちは企業戦士で、
家にいないことが多かったからと思われる。
その後、マイホームパパの流行と共に
「行方不明」だったお父さんが見つかり(良かったね(笑))
1代目が誕生した。
現在は2代目であり、1代目はスーツだったが、
カジュアルな服装でより優しい顔立ちになっているのだそう。

多様化する社会

話を映画『Barbie』に戻すと、
それまで女の子たちに理想のロールモデルを提供できていたバービーが
現在の、多様化が極まった社会の中で、
その機能を果たせなくなってきている
ということが描かれているように思う。

その印象的な場面の1つとして、
バービーが「私は定番型のバービーだから」と答えるシーンがある。
サーシャに「あなたは何ができるの?」と問いかけられ、
バービーは答えに窮してしまう。
ノーベル賞を取ったり大統領になったのは別のバービーであり
自分ではない、
自分は「ありふれたバービー」だと感じて落ち込むという場面だ。

「何者かにならなければいけないが、
 何者になりたいのかもわからないし、
 自分にはそんな力がない」
というプレッシャーを感じているところに非常に共感した。

また、旧来型の良妻賢母の型から自由になったとて、
本当の意味で自由になれたわけではないということも描かれる。
多様な価値観の中で生きられるようになったというよりは、
社会から押し付けられる価値観が多様化しただけといえる。

自信喪失するバービーに対してグロリアが、
「どうしたらいいかわわからないわよね」という言葉に続いて
常々感じつつも言葉にしてこなかった思いを吐き出すシーンがある。

子供を愛せ、しかし自慢はするな
若々しく美しくいろ、しかし派手派手しくするな
意見をしっかりもて、しかし押し付けるな
堂々としろ、しかし謙虚でいろ、などなど…
2分間ほどにもわたる長い長いセリフの中に
世間から投げかけられる
「これをしろ、これをするな」
「あれをしろ、あれをするな」という
矛盾に満ちたメッセージに対して
どうしたらいいのかわからないというやり場のない感情が詰まっていて
その言葉一つ一つに「わかる!!」と言いたくなった。

また、男性も自分の価値の置き所がわからない
という状態に陥っていることが映画内で描かれる。
ケンは医師免許やMBAがないということで
現実世界で就職を断れてしまい、
ライフセーバーみたいな危険と隣り合わせの職業もちょっと勘弁…
偉ぶってみても結局、自分はリーダータイプではないということに気づき
バービーと同様に、
自分は一体何なんだろうという苦悩に陥り、
恋愛に逃げようとしてもバービーに
「それは何の解決にもならない」と言われてしまう。

何者でもない自分で

私が鑑賞していて思わずうるっとしてしまった場面に、
バービーが現実世界の美しさに感動するというシーンがある。

現実世界に来てみたはいいものの、
持ち主が見つからず公園にいる人たちを眺めているのだが、
その目に様々な人たちが映る。

決して幸せそうな人たちばかりではなく、
喧嘩する人、苦悩する人がいる。
そして、木々の間を風が吹きわたる音が聞こえる。
訳も分からずバービーの頬に涙が一筋流れるというシーンだ。

ふと隣を見ると老婦人が座っている。
バービーが思わず「あなた美しいわ」と言うように話しかけると
その老婦人は「当然よ」というように答える。

また、映画の終盤で、
様々な年代の女性たちの映像が走馬灯のように流れるシーンがある。
どこにでもいる日常をホームビデオで撮影したようなものなのだけれど、
何ともいない感動を覚えた。

グロリアはマテル社(バービーの販売元)の重役に
「普通のバービーを作ってはどうか?」と提案する。
「大統領になってもいいし、ならなくてもいい。
 母親になってもいいし、ならなくてもいい。」
 そんなバービーがいい」と。

何者かになりたいならなれる世界、
でも何者にもならなくてもそこに生きていていい世界。
普通のバービーとして
ただ自分の人生を愛おしんでいってもいいんじゃないか、
というメッセージのように感じた。

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