おすすめのファンタジー作家 上橋菜穂子さん
「おすすめのファンタジー小説は?」と聞かれた時に
私が推す作家さんはというと、上橋菜穂子さん。
特に大人世代の方に読んでいただきたいと思っている。
その理由は、
もちろん非常に面白くワクワクするストーリーである
ということが挙げられるが
読み終わった後に視野が広がる、見識が広がると思うから。
「現実を生きるのに忙しくてファンタジーなんて読んでる暇ないよ」という方にこそ特に読んでいただきたいなと思う。
(以下stand.fmで話した内容を文字起こししたものです)
上橋菜穂子さんは文化人類学を研究されている。
主にオーストラリアのアボリジニの研究をされていて
彼らと一緒に暮らし、食事や労働を共にしながら
生活、儀式、民俗などを研究されていた。
そのため架空の世界を描いていながら
その中で暮らす人たちの生活や文化の描写が非常にリアルで
生き生きと感じられるところが魅力だなと思う。
またファンタジーと言うと
中世ヨーロッパ的な世界観であるとか
あるいは古代中国的な世界観が多いなと思うが、
上橋さんが書かれる作品は
東南アジア、中央アジア、モンゴル、
あるいは古代日本ぽさが感じられる場所が
物語の舞台になっていることが多く
妙に懐かしい印象を受けることがある。
ストーリーは
国同士の対立や政治的な駆け引きが描かれるが、
その中で生き延び
暮らしや伝統を守ろうとする少数民族の姿が
とても魅力的に描かれている。
また、アボリジニの世界観である、
この世とあの世が互いに繋がり影響し合っているという考え方に
基づいて書かれています
学者さんでいらっしゃる所から
その時々の最先端の研究分野について
専門家にインタビューをされてから
物語を構想されているというところも特徴かなと思う。
本の末尾に
参考文献が掲載されているが、
その数が学術論文並みに多いという所に驚かされる。
この上橋さんの作品の中から
今回は『鹿の王』と『香君』についてご紹介したいと思う。
『鹿の王』
『鹿の王』は2015年の本屋大賞、日本医療説大賞を受賞されている。
この作品は感染症との闘いがテーマになっている。
物語の設定としては
かろうじて顕微鏡があるというほどの
科学レベルの世界観のため
ウイルスという概念がないということになります
多くの人が亡くなる一方で
なぜ助かる人がいるのか
この病の原因は何なのかを解明していくことになる。
この作品は2014年に刊行されていて
おそらくネズミを媒介としたペストがモデルになっていると思わる。
私はこの作品を発売直後に読んでいたが、
この時は感染症は人類が克服したものだと思っていたため、
「昔の人は大変だったのね」という風な感想だった。
ただ、2019年コロナパンデミックの際にも再び読み
その時は本当に身に迫る思いがするというか、
今の時代にも通じるものがあるということをひしひしと感じた。
科学を用いて一人でも多くを救いたいと願い
その文化の中では禁忌と言われる領域にも触れようとする
医師がいる一方で、
心穏やかに魂が旅立てるようにするのが
大事なのではないかと考え
尊厳死を大切にする医師との間で
価値観が対立するという場面も描かれる。
『香君』
次にご紹介する作品は『香君』。
この物語を書くきっかけについて、
上橋さんはこのように書かれている。
こちらの作品では
植物が発する香りを声として感じ取る主人公が登場する。
そしてモチーフとして特殊な稲が登場する。
この稲のメリットは、
寒さ暑さに強く虫にも強く
年中どこでも収穫できるという夢のような穀物であること。
一方、デメリットとしては
一旦育て始めてしまうと
その土壌で他の植物が育たなくなるということ。
土壌を変えてしまう…
つまり土の中の微生物を変えてしまう力があるのではないか
というふうに描写されている。
一つの植物に頼って生活することの不安定さが描かれているといえる。
また主人公がこの稲が他の植物を威圧するような
香り=声を発していると気づく場面がある。
そういうちょっと不気味なところがあるという稲になっている。
「この稲は大丈夫なんだろうか?」と疑問を呈する人がいるが、
たくさん増えた人口をまかなうには
この苗を育てるしかない、
後戻りができないという状況になっている。
このストーリーを見て
奇跡のリンゴの木村秋則さんの話を思い浮かべた。
リンゴというのは甘く大きい果実を実らせるため
品種改良を重ねた結果
農薬への依存度が非常に高い作物になっているとのことだった。
木村さんの奥さんは農薬に弱く
散布のたびに寝込んでしまうという状態だったそう。
そこで木村さんは無農薬のリンゴ栽培に挑戦することにしたのだが、しかしこれは失敗と苦難の連続だったとのことだった。
虫に全ての葉が食い荒らされてしまい
全く実がならない、
収穫ゼロという状態が10年続いたそう。
数千万の借金をし「愚か者」と周囲から呼ばれ孤立していく。
周囲から孤立してしまった理由というのは
その地域一帯に一斉に農薬を散布しないと意味がないためだった。
一か所でも農薬を散布しないとそこから虫が発生してしまうので
「絶対に農薬を撒かない」と言う木村さんと
周囲の人がもめるというトラブルも度々起きていたとのことだった。
木村さんが作ったリンゴは
この世のものとも思えない香りと味がするのだそう。
ただ、このリンゴ栽培の再現はかなり難しく
まだ商業利用には至っていないとのことだった。
それは土壌管理の難しさにあり
木村さんの、機微に自然や土の状態、
虫、植物たちの変化を感じ取る
ある種の特殊能力があってこそとも言えると思う。
『香君』ストーリーや奇跡のリンゴの話から
人間の都合で自然を変えてしまうことの弊害について
感じることができる。
リンゴに限らず普段口にする多くの作物もそうだが、
原種よりもおいしく育てやすくする一方で
失われたもの、歪められてしまったものがある
ということに気づかされる。
これは私の勝手なイメージだが、
原子力発電も連想してしまった。
現代の生活を維持するために
それに依存ざるを得ないという悲しい現実もある。
ファンタジーの効能
このようにファンタジーに置き換えることで
自分が普段考えないことを考えるきっかけにもなると感じる。
分かりやすく知識を得られるというメリットもあるほか
物語というフィルターを通すことで
自分事として考えるきっかけになるのではないかと思う。
現実世界では自分の役割というものが決まっているため、
そのため農業や食料問題という風に言われてしまうと
圧倒的に消費者の立場で考えてしまうなと感じる。
自分は農家さんではないし、
こういう問題は農林水産省が何とかする問題なんじゃないか
という風にどこか他人事のように考えてしまうなと思います。
物語の中で問題を解決しなければならない立場というのを疑似体験して
色んなことを考えるきっかけになるのではないかと感じている。
その他上橋さんの小説の魅力として、個人的な意見だが、
登場人物の年齢が高めに設定されている
というところも良いところだなという風に感じている。
多くのファンタジーは主要登場人物がティーンエージャーなので
年齢を重ねてしまったら
主人公達を見送る立場、
後方支援をするような立場をせざるを得ないのかな
という風に感じさせられてしまうのだが、
「幾つになっても冒険したいな」ということで
上橋さんの本を読んでいると
とてもワクワクした気持ちを思い出すことができる。
また食事のシーンがとてもおいしそうという所も
魅力かなと思う。
主人公が危機をくぐり抜けてほっとする場面や
味で故郷を思い出すなど物語のスパイスになっている。
ストーリーの中には様々な国が登場するが
その特徴や特産品、経済状況の描写にも用いられることがある。
「ジブリ飯」という言葉があり
スタジオジブリ作品に登場する食事を再現しているものを指すが
上橋菜穂子飯を再現してくれるレストランがあったら是非行ってみたい。
(タイトル写真)
UnsplashのJohannes Plenioが撮影した写真