神を信じ激しく生きた女性
クリスチャン新聞というのは全く油断ができない。
いわゆる、ある組織を始めた人物の評伝の紹介記事、と軽く目を通したのだが、その内容の濃さに圧倒されてしまった。
YWCAのキャロライン・マクドナルド
YMCAの妹さんのように知られるYWCA(The Young Women's Christian Association of Japan)だが、1904年、日本にそれをもたらしたキャロライン・マクドナルドの生き方は激しかった。
監獄伝道で看守も受刑者も救われる
『東京の白い天使』(教文館)と名づけられた彼女の評伝の紹介者は、「現在」(1998年時点)日本YWCA総幹事を務める鈴木伶子さん。
キャロラインは「教会に来ていた男性が殺人を犯すのを事前に防ぐことができなかったという悔いに打ちのめされ」、何と監獄通いを始めた。何という生き方があったものだろうか!
最下層に入り労働状況改善に尽力
「多くの看守や受刑者を信仰に導く一方、受刑者の家族とかかわる中で東京の最下層に入り、その悲惨な労働状況改善のために働き」、さらに「セツルメントを作り、労働争議には穏健派としてかかわった」。鈴木さんによる紹介はわざわざ「穏健派として」しかし「労働争議にかかわった」と書いているのは興味深い。鈴木さんの信仰のスタンスや考え方、生き方が透けて見える気がする。
内村をして「人類の友」と言わしめる
鈴木さんはキャロラインを、「宣教師とは一線を画していたが、内村鑑三をして「人類の友」と賞賛させ、受刑者・貧者の母と慕われている」と紹介している。
内村は何故、「日本人の友」とはせずに「人類の友」としたのか? 「一生を日本に捧げた原動力は、すべての人が神の子であるという信念であった」と鈴木はそのことを表現しているように思う。
キリストの救いと社会との関わりは切り離せない
「受刑者とのかかわりの中で、個人の救いと社会の変革は切り離せない」「神の国が……この地上にもあるようになるように」「文明国で教育もあるが物質主義に陥っている日本人に神を知らせようと体当たりの努力をした」と、短い文字数で鈴木さんはキャロラインの本質を紹介し尽くしている。
神なき悲惨な日本に
鈴木さんは「女性の生き方を考える上でも示唆に富む書物」と言うと共に、「日本の社会の神なき悲惨な状況は、(1998年の時点で)一層深刻さを増している。キリスト者の責任を考える」うえでこの本が有益であると推している。
▲私がキャロライン・マクドナルドについて語っています
クリスチャン新聞に稿を寄せてくれたありがたさ
YWCAは「ライン」としては日本の福音派(若者の組織としてはKGK)がベースであるクリスチャン新聞とは
異なるのだが、このような書評をYWCA総幹事さんに書いてもらえるのは大きな誉れであり、クリスチャン新聞が教界や社会において多少の信用を勝ち得ていた証しと考えることができると思う。
男女を問わず、キャロラインのような利他的な生き方はなかなかできるものではないが(私などは「全く」至らない)、そのような人々は21世紀の現在も「いる」のだということは心にとどめたい。