歳末の風物詩 救世軍の社会鍋
💖自由民権派の新聞の助けもあり、季語となるまで親しまれる
歳末、寒風が吹きすさぶ中、都会の喧騒のただ中に「救世軍」ののぼりを掲げ、人の背ほどもある三脚に「鍋」を吊り下げ、窮貧者のための募金を募る「社会鍋」。日本でも風物詩として数えられるほどおなじみの風景である。
明治時代以来、社会鍋(古くは「慈善鍋」とも)は季語(仲冬)となり、高浜虚子、飯田蛇笏といった超レジェンドの俳人たちが競って句を発表したものであった。
季語ともなった社会鍋
かつては、新聞を読むような人なら知らない人はない、日本の風物詩の一つであったわけだ。
さて、クリスチャン新聞1979年12月16日号に、救世軍本営社会部長補佐(当時)の加茂巌氏の寄稿が掲載されている。
救世“鍋” 来たる!
加茂氏はある地方に、救世軍が災害救援活動に出向いた際、地元新聞が《「救世鍋」来たる》と誤字の見出しを出した、というエピソードから記し始める。その見出しを付けた記者の頭の中では、救世軍=社会鍋であったのだろうと。ことほどさように、救世軍の行う社会鍋が世の中に知られているということだと指摘する。
日本における社会鍋の最初は1909年(明治42年)。
世界的には、19世紀末期の1894年、アメリカ救世軍サンフランシスコ小隊が実施した。
日本における社会鍋は、そのビジュアルの「デザイン」が独特だ。それは大正時代以来変わっていないようである(上載写真参照)。
その装いを加茂氏は、「三脚に、白地に赤のふちどりをした袴をはかせ、時代の変遷のなかに、かたくなに“衣装”を変えようとしない」と表現する。そしてその色の取り合わせについて、
「赤と白のくみあわせは、日本の社会では結婚式、開店開業の慶事に用いられるが、助け合い募金の社会鍋は神聖な善事として何か日本人の魂にアッピールするのである」と指摘する。
さらに、社会鍋の日本社会における意味合いに筆を進める。
大正時代から変わらない鍋のスタイル
救世軍人が脇に立って募金を呼びかけているのだが「社会鍋は三脚の足を地面にふんばって、じっと立っている」という氏の「見方」を表明する。そして「鍋の方は通行人に接近しない」ことについて、「しつこくなくていい」「協力したい人が自由に、鍋の方に足を運んでお金を入れるのである」と指摘する。
「鍋の中の金銭は煮立てて正月用の餅になるという発想が興味あり、日本的である。さりげなく労働者が、学生が、子どもが、主婦や会社員が自由に献金して去る」と詩情ある文で、年末の風物詩となった社会鍋を描写する。
困窮者に正月の餅を送ろう、との発想から
この加茂氏の「正月用の餅」という記述は、明治時代に日本で社会鍋が始まった時の経緯を踏まえてのことであろう。
実は1909年に社会鍋が始まる前の前史があって、日露戦争(1904-05)直後、失業者が多く、「最も暮らしにくい年末年始のために、餅やミカン、足袋などをかごに入れて貧しい家庭に配った正月のプレゼントとして」始まったという経緯があった(「救世軍」公式WEB>救世軍の活動>社会鍋)。
自由民権『東京毎日新聞』による協力も力に
この「慰問かご」運動の際、救世軍のよき理解者だった『東京毎日新聞社』社長の島田三郎が、紙面で協力を呼び掛け、広く知られるようになった。
アメリカでの「クリスマス・ケトル」をヒントに
島田が『東京毎日』を離れて後、1909年、山室軍平少佐(当時)が失業者救済対策として街頭募金を企画。
その際、アメリカですでに行われていた「Christmas Kettle」(クリスマス釜。失業した船員らに温かいスープを給する意を込めて1893年恐慌の翌年発生)のアイデアを採り入れ、スープ釜の代わりに年越し雑煮の思いを込めて鉄鍋を三脚につるし、赤白のはかまで覆うスタイルが爆誕したわけだ。
会計と使途の透明性
社会鍋の鍋にはしっかりふたがされ、錠がかけられ、会計報告も1円単位まできちんとされている(救世軍 社会鍋2023)。2022年の支出は、街頭生活者支援697万円ほか、児童・母子支援、緊急災害支援など総計1600万円となっている(社会鍋による収入の不足分は「活動準備金」から500万円補っている)。
life-infoさんといういう方のブログで、2015年(平成27年)社会鍋の収支報告を掲載しているが、募金総額1400万円と、2022年より募金額が多かったことが分かる。コロナや不況の影響での減少なのだろうか?
ピーター・ドラッガーも称賛
ちなみにlife-infoさんは、救世軍の社会鍋の使途が街頭生活者支援に実質的に多く裂かれていること、また会計の明快性を高く評価し、ピーター・ドラッガーが経済誌『フォーブス』で「救世軍は全米で最も効率の高い組織」と記すなど、「行動力と実践力に定評がある」ことを紹介してくれている。
加えて50億円規模で行われている「歳末たすけあい」の会計の不明朗性や使途の一部に疑問を呈している(どうもlife-infoさんはそのことが言いたかったらしい)。
社会鍋の会計の透明性について、1979年加茂氏の記事では、「鍋にかけられた鍵は、社会から託される期待に対し、責任をもって対応するクリスチャンの姿勢である」と記している。さらに加茂氏は、「公金乱用、汚職の公害の中に、地の塩の役割を担うのである」と指摘し、「募金に際しては常に募金許可書を携帯しなければならないし、その態度も明朗な活動でありたい」と付記する。
70年代、募金増傾向にあったが、近年は減少傾向
そして、募金規模について1974年(昭和49年)1276万4640円から、1978年2390万8488円に至るまで、「好、不況など関係なく毎年増額になっている」と報告している(2015年より多いではないか!)。「かつて助けを得た人が、街頭に社会鍋を見つけ、感謝をささげて去っていくのである。思いがけなく暗い人生が好転し、そのみじめであった生活をふと思い返して、感謝をささげて去り行くのである」という加茂氏の筆は、救世軍の活動が確実に、必要性のある「現場」に届いている実感から出たものであろうか。
さらに募金の場所や募金の多い日の変遷など記していて興味深い。
加茂氏は次のようにこの寄稿を結ぶ。
「人を潤す者は自分も潤される」(箴言11:25)ことはうけあいである。救世軍は社会鍋を通じ、大衆との接触を保ち続けるであろう。
オンラインでも参加できる
ちなみに救世軍は現在、「コロナ感染症を考慮して、街頭での募金とオンラインでの社会鍋を併用して行ってまいります」と、ネットからの社会鍋への募金を呼び掛けている(サイトが開くのに時間がかかる場合があるが少しお待ちください)。