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GENJI*REDISCOVERED       今日の源氏物語 『光る君へ』38

「よみました。」と 清少納言。『源氏物語』を 伊周に手配してもらって、
読んだ…のは「何」帖まで?   帝 へ献上の『豪華本』は「33帖揃」。
もう「すべて」の 帖が 殿上で 流布しているのか……。
「 光源氏は困った男ですわ。」「玉鬘への…」と言ったから、『玉鬘十帖』は( 途中までは確実に)読んだ 設定。
「しつこい、呆れ果てた「男」を笑いとばすところ。まひろ様らしくて。」
「漢籍の 知識もすばらしい。」と、物語を「高評価」する ききょう。
「手厳しい ききょう様にお褒めいただけて」という 式部に「私?手厳しい?」と。かつて 道長を「人気もやる気もない人と仰せでした。」と 藤
式部。すなおに「見る目ございませんでした。」と 清少納言。
からの、式部 の思ったことを言ってしまう「 ききょう様 の様なお方が
『藤壺』に居て頂けたら…」から、(「判ってないなコイツ」と)少納言
「私は、定子さまのお身内を、守るためだけに生きています。」「今日も
敦康親王 さまのお身の回-処遇を見に来たのだ。」と。少しづつ 怒りモード。「中宮さまは、何故、敦康さまを…」にまひろ「中宮様 は大切にお育て…」と言うが「『あの物語』をお書きの方とは思えぬ「きれいごと」を」と 清少納言。しだいに 厳しい顔 に。
「何ゆえあの「物語」をお書きになったのですか?」で、目に 怒りと 泪。「左大臣さまの依頼で?」「私が書いた『枕』を消してくれと。なきものとするたに?」と詰め寄る。 
「帝のお心とらえる様な 物語を書きたいと思いました。」と正直に 式部。
「私は まひろさまに腹をたてておりますのよ。物語をうらんでおります。」
で、「タイトル」             演出 黛りんたろう氏
『まぶしき闇』
寛弘6年= 1009年。
道長 あやしてる。彰子の 赤ちゃんは『敦成』親王。
『藤壺』 行成 が中宮に奏して「敦康さまご元服」「11歳であられますものね。」と彰子。が、当の 敦康親王は、「行成、我は望まぬ。」「『藤壺』を出て行かなければならぬから」と。
行成「されどいつかは。」に 中宮も「ゆくゆくは帝になられる 敦康さま、ご元服見とうございます。」と 彰子。
百舌彦 が「「呪いの符」見つかった。」と 道長 に。
道長、それを 行成に見せる。驚きの 行成(の「驚き」方は、意識的…すぎか)。「ご誕生を、いまいましく思っておる者のしわざ。」と 道長。
行成 の調べで、僧 円能の仕業と判明、訊問し 伊周縁者が「敵対相手を排除の目的で。」と口を割らせる。高階光子 と 源方理。
陣定め 行成から考えを奏上「死罪が相当なれど、明法博士 の勧進に。」と。公任も 実資も 道綱も 右大臣も、みな同じく。
「伊周については、」の 道長 の問いには「シーン」として答え無し。
帝 に 道長、明法博士は「死罪」というが、私は「官位剥奪」でと。と。
「そなたが呪詛されたのに?」と驚く 帝に「厳しい罰でこれ以上恨を買いたくない。」と 道長。で「伊周のためでも、」と「参内」禁止に。
帝 と 彰子、寝台、(呪われて)「大事ないか?」と帝。彰子は、「思いかわらず 敦康さま を大切に。私の心は変りませぬ。」「親王さまは(藤壺での孤独の)闇を照らす光だった。」「敦成 が生まれても。かわりません。」
「敦康 も 敦成 も愛おしい。」という 帝に「お上のお心と共にありたいと願っております。」と 彰子。抱きあう二人。
『藤壺』の渡り廊下、上弦の「月」 独り見上げている 藤式部。
清少納言 の言ってたこと、命を懸けた思い…。の丈を思い出している。
宮の宣旨 横に来て「いつも月をながめておるな~。」「何を考えてる」と聞いてくる。さすが 統括。「皆様はどういうおつもりで宮仕えを」を考えていたと。「そなたは何のためにここに居る?」に 式部「帝のため中宮さまのため。」という建前の答えに「生きるためであろう。」と。「ここで書くのは暮らしのためかと思っておった。」と 宮の宣旨 。主任 さすが!
「いろいろ見てきた。」「親子、夫婦、まことに 解りあう事は できぬのでは。寂しいことだが。」と。 (の出だしの「物語は書けぬ」の台詞、「が」が抜けているのか…ちょっと?)
隆家、「兄うえは?」と駆け付けて来て、伊周 …呪いで 壊れてる。
人型形代を傷つける「呪詛」を止める 隆家。伊周 は板の人型を噛みちぎる。…黛さんに言われたらやらなきゃ!…かな。
頼道 に 道長「これより俺とおまえが成さねばならないのは何か」の問い。
「敦成様 を次の 東宮にして、一刻も早く「ご即位」頂く事だ。」
「「帝」は、どんな方でも、いかなる時も、我々を信頼して下さる 帝であってほしい。」「それは 敦成さま。」「家の繁栄のためではないぞ。」「成すべきは、揺るぎなき力をもって、民のため 善き政を行う事だ。を 胸に刻め。」と。
「除目」があり、実資が 大納言に。公任 と 斉信は 権大納言。行成 が 権中納言で、「道長の政権の『四納言』」の時を迎える。
道長 の長男・頼道、19歳。 権中納言 に。
行会った 実資に「ご尊敬申し上げます。」「実資さまの 御指南お受け致したくよろしく…」に喜ぶ 実資。秋山 の「今からやる?」に「おいおい。」と答えて、怒る 実資=叱られる 頼道。
父、為時も『左中弁』に八年ぶりに、任官される。 為時とイトが、「やはり 左大臣様の…」「ふたたび、アレ…」と話しているのを聞きつけて、「アレって何?」と カタコ。慌てる二人。「左大臣さまって 紙をくださった方?」「母上とはどういうお知り合いなの?」と聞いてくるので苦慮する 二人。
(「次回」予告、ネットのニュースにある「弟君が カタコの本当の 父を 為時 にバラしてしまう。」という文言。イトさんは、懐妊時から知ってしまっている事。為時 は越前に居て良くは分かっていない。が、娘 や 自分への処遇等々で、すでに気付いていたかと思っていたが。でないと、ここの「アレ」って話が少しオカシイ事になる。のでは。-イトさん、惟規 には話して、為時 には隠している…という事なんて、あるかな…。)
道長、頼道の「婿入り」の話し、「承知」か聞かれた 倫子「頼道 の気持ちは?」の問いに「妻はおのれの気持ちで決めるものではない。」と言ってしまう 道長。「あなたは私が好きで結婚したのではなかったの?」と突込まれて…」。「男子の行く末は「妻」で決まると申す。」「私が今日こう在るのは、そなたのおかげだ。」と 感謝をあらためて口にして、思わず漏らした自分の結婚の経緯を弁明。」出来たのかな…。
具平親王 長女「隆姫さまもそなたの様であれば。」と。倫子は「子どもたちを早く嫁がせて、殿と二人きりででゆっくり過ごしとうございます。」と。
『藤壺』 式部、見みていた紙には、「宿命、不義、出産、出家」とか書かれてあって。 『源氏物語』第二部 のストーリー構想中。
に 道長。
「父に「官職」ありがとうございました。」と挨拶する 式部。娘の話が出て、「まもなく「裳着」」と。「裳着に何か一つ頂けないでしょうか。」とお願い。 「裳着を終えたら、「藤壺」に呼んだらどうだ?」「そなたの娘聡明であろう。人気の女房になるやも。」 と、まだ話題作り画策の 道長。
「おまえに人気が無いと言っているのではない。」と取り繕いつつ。
「私は私の物語に人気があれば善いのです。」と 式部。
で、(人気取りに)「心当たりあり。」と、「あかね」を推薦。
「藤の香りが」と、きれいに藤の咲く『藤壺』に アカネ、初参内。
宣旨 の「和泉式部と呼ぼう。」に「別れた夫の官名はイヤでございます。」と言ってしまう奔放な アカネ。亡き想い人から「宮の式部がいい」と。
これは、中宮 御前でなく、首座に大夫の 斉信、横に 頼道が居ての任命式。
左衛門の内侍 ら「あの人呼んだのよ。二人で才をひけらかすのよ。」と。
和泉式部 から「アツミチとのこと綴ってみました。」と紙束を渡される。「書くことで己の悲しみを癒すことが出来、書いている内に「まだ生きていたい。」命が息づいて来た。」と。「ご自分も『源氏の物語』を書いて救われたのでしょう?」と言われて「そのような思い出はありません。」「書いてたら ウサは晴らされるけれど。」「お仕事なんですね。」と 和泉式部。
『藤壺』庭で、「貝覆い」。……今回のには、中に「絵」が描いてある。合わせた貝が「正解」かどうか(視聴者に)判りやすくするためでしょう。「絵」が描かれるのは 時代が下って…と言われている。と、貝が小さいよ。
和泉式部、となりに座っている 頼道に「お先に」と、早くもアタック?
で、「風」演出 多用の今回、でも「藤の花」は、あんな散り方しない。
マメ科の フジ は花弁に分かれず、花が 毀れて ポトポト落ちる。庭の「風」が 室内にも。藤式部 の部屋で 風で飛ぶのは、和泉式部の「書いて来た紙」か?!
源明子、俊賢 と、頼道 を歓待。 藤壺の「貝覆い」に隣にいた頼宗が、伴って帰宅して酒宴。明子「どうかこれからもお引き立てを。」と。
「こらからは頼道さまの世。」を見越して、「左大臣さまの道綱さまへ、みたいに。頼宗を末永くお引き立てください。」と。
『藤壺』道長、抱いてる 赤ちゃんは 敦成 親王。「重くなったの。」と顔を上げると、向こう「対屋」で、敦康  親王 が、彰子 に甘える様子を見る。
『 源氏の物語』での「藤壺と光源氏の事」も気になり。 BGMの 楽調…は、優雅だが…。危惧が大きくなり道長「元服」を急がせる。命じられた 行成、素直に 嬉しい。定子 も 補佐して来た行成、成長を見て来た 皇子だし。
6月、頼道と 隆姫 婚儀。  彰子 中宮、二人目を ご懐妊。
道長、「元服」の日取りを告げるが、敦康親王 が「遅れせたい。」と。
道長、まひろ式部 の表情、ともに 微妙…。
夜、彰子『土御門邸』へさがる。
帝の「中宮が子を産むまで、敦康の元服を先延ばしに。」との仰せで「日」を改めるさせられる道長。
『藤壺』でボヤ騒ぎ起きて、敦康 親王 様→ 伊周 の屋敷に。
主の 伊周…もう老人、廃人、の様で、よろけて咳。 清少納言 も驚く。
「火事、だれの仕業かわかりやせぬな。」と 伊周 の息子 道雅 が言う。
「えっ。」と 清少納言。
土御門邸 に 伊周。 道長 に丁寧な話し方で「敦康さまを宜しく」と。
(再度、「出禁」解かれたのに、)「なぜ内裏に参内せぬ。」と問う
道長 に、何かぶつぶつ言っていた 伊周「なにもかみおまえのせいだ。」
と、顔を上げると 憤怒の形相。「今後、政へ関わる事は無い。」と言われ
伊周、持参の「呪符」を、喚きながら 撒き散らす。 狂気の沙汰。
侍従 に取り押さえられて連れ出される 伊周。 の 修羅場の折に、
「対屋」廊下を来た  藤 式部、通りがかりの 目撃。
中に庭をはさんで。茫然の 道長。 見てしまう式部。 道長、何か言いたそう。 お互い悲しそうでも。       で、「つづく」

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