青と赤:映画『ゼンブ・オブ・トーキョー』感想
東京とトーキョー
東京とは青と赤である。
あまり馴染みはないかもしれないが、東京都の旗は紫色だ。江戸紫からきているカラーリングのそれは、Dos Monosの『アガルタ』で没 a.k.a. NGSが担いだり地面に突き立てたりしている。ちなみにこのMVの監督は三宅唱である。
ここで『アガルタ』について引いてみる。Wikipediaで申し訳ないが。
つまりアガルタとは「ここにはないどこか」であり、ある種の理想郷としての都市である。ここに「トーキョー」という、11人が思い思いに描いた数だけの東京を重ねることができよう。ゼンブ・オブ・トーキョーは、そんな「トーキョー」と東京が重なり合った記録の映画であり、青春と朱夏をまさに渡らんとする日向坂四期生の「いま」の映画である。
映画に入る前に筆者自身の話をしようと思う。
映画公開初日の10/25(金)の22:00、わたしは竹芝客船ターミナルから、伊豆諸島は新島に向けての大型客船「さるびあ丸」に乗船していた。目的や詳細についてはここでは割愛するが、温かくてどこまでも続く海・空を持ち、人と生活と音楽を愛するこの島もまた東京なのだ、と自身の東京観が拡がった体験であった。
また、わたしは東京都立川市の出身である。多摩地域、旧くは武蔵国だったエリアだ。いわゆる「東京」として思い浮かべるのは23区、もっというと港区とかスカイツリー近辺の下町、江戸の区域を想起させるだろうが、ここもまたれっきとした東京なのだ。
というように、首都だって遷移しているし行政区画だって時代により変遷している。東京がいまの線引きになったのだってたかだか200年くらいの話であり、そこに住む人、土地の歴史は「東京」よりも長いスパンであるはずだ。
とここまで「東京」について書いてきたが、これはすべてイメージの器であるということを言いたいが為である。これを踏まえて映画について書いていこうと思う。
『ゼンブ・オブ・トーキョー』
ストーリー
冒頭は高校3年生となった池園(正源司)が「あの時」としての修学旅行を振り返るモノローグから始まる。物思いにふけりながらヘッドホンを装着した瞬間、主題歌である「急行券とリズム」が流れるOP、そこから楽曲が終わるまでは至って通常の修学旅行を楽しむ池園班を中心とした日常パートであった。各種インタビューやパンフレットを読むと、この冒頭”通常”修学旅行パートはアドリブでのやり取りのようだ。
張り切る池園班長はスケジュール詰めっ詰めのゼンブ盛りな行程表を配り、それ通りに行動しようとせかせか進んでいる。班員皆も別にそれを嫌がっているとかそういう訳では無いが、それぞれ東京における裏目的があっての昼食帯までの行動だった、とのちにわかる。池園プランはおそらく主要観光地を抑えたりはしているものの、花やしきが閉まっていたり、ごはん屋さんの予想以上の混雑を想定していなかったりと甘い部分はある。ただ「みんなと楽しみたい!」という思いに一直線のあまり、いつしか行程全制覇で東京のゼンブを感じるぞ!が主目的になってしまっていた状態だったのだ。
昼ご飯第1候補も第2候補も皆に渋られ、じゃあ各々で食べて集合ね!としたら一瞬で皆散って一人になっていた池園には流石に同情する。が、4人にとっては「東京でしかできないこと」「この修学旅行というイベントでしかできないこと」に胸を躍らせていたようである。修学旅行って自由行動が本質だよね、というのはもう15年くらい前に修学旅行をした自分でさえ記憶に残っている。わたし自身は中学でも高校でも(公立→公立、中高一貫でもない)京都・奈良で行き先もほぼ同じだった(下の代から沖縄だったらしい。くやしい)ので、こうして長野の高校生からみた東京という都市の輝きはどれほどだっただろうか、と思いを馳せたりした。
その後池園班のメンバーを中心に①ぽぽまるず組(説田、門林、角村、梁取)、②東京組(枡谷、花里+満武)、③守谷組(羽川、辻坂)、④オーディション組(桐井)、⑤班長組(池園)に分かれ、池園はいじらしくも一人でも立てた行程に従って都内各所を巡っていく。この池園の動きを監督はインタビューで「狂言回し」と表現していたし、実際各組の物語が同時並行で進んでいく中で池園がそのどれにも少しずつ影響している。これは群像劇そのものだ。脚本の福田さんはハイローをやられていた人と後に知り、この群像劇の作り方に納得した。ここにおいて池園は本当に「班長」であって「主人公」ではない、ちゃんとそれぞれの登場人物に対するウェイトというかバランスというか、いい意味で一歩引いたところからの登場人物への目線を感じた。
この「群像劇」の感覚は「デュラララ!!」における池袋のそれ、だとしたら池園は竜ヶ峰帝人?みたいなことも考えたりしたけれどそれは本筋ではないのでこれくらいに。
そうした5つの組が一つになる物語上の契機は、桐井がスマホを先生に没収され、駆けつけた池園に桐井が事情を吐露する場面になる。桐井にとってはこれが一世一代のチャンスとして、修学旅行の最中班を抜けてまで行きたかったこと、やりたかったことなんだ、というのを初めて池園に伝えたのだ。
そして、ここでようやく池園はゼンブを巡ることで東京のゼンブを体感する、事よりも、というかそれではゼンブにはならない、皆がいなくちゃゼンブじゃない!という本質に気づいたことで、自分が時間と熱量をかけて作った行程表を自らの手で破ってみせた。そして桐井の手を取り走り出す。このカットが映画の中でも出色のシーンだった。
アッセンブルしてからの桐井スマホ救出作戦、からのタクシー運転手さんとの会話については些か性急な感は否めない。桐井が心中を吐露する前後にもう少し助走というか橋渡しがあってよかったとは思う。そもそも元凶はあなたやないか、というのは観客側からの意見としても、「うっす、巻きます」は編集が強い。まあでも、各々の記憶の集合体が「青春」なのであるならば、こうしたディテールが抜け落ちてしまっているのもまた「青春」なのかも。
最終的には桐井はオーディションに間に合わなかったけど、お台場の海で修学旅行、班も学校ですら違う(満武さん)子も含めて海ではしゃいでいる姿はまさしく青春そのもので、後日譚というか監督談では平岡海月さんがいちばんはしゃいでたらしくてニッコリ。
個人的にはお台場の海なんて綺麗なもんじゃない、グレーで磯臭い人工物、という感覚が強いけれども、それでもこうして修学旅行のクライマックスで、それぞれのわだかまりや悩みが晴れた状態で観るお台場の海は、青春の中でもトップクラスに青い海だったんだろうな、と思う。
ラストシーンは再び3年生の教室、これから卒業式に向かうであろう池園班(桐井はアイドルになり、花里ちゃんが入っている)のカットで終幕となる。振り返った時、美しかったな、と思えたのが彼女たちにとっての青春だったのだと思う。明確に「私たちは青春を卒業していく」と宣言した池園を始めとする11人の少女は確かにあの東京にいたし、それはこのわたしたちが生きる東京と同じ地平に存在したんだろうな、という感覚があった。この感覚を覚えさせてくれたのは「街の上で」以来である。「本当の」という意味では「14歳の栞」も近い。あれはドキュメンタリーだけど。
ストーリーの作りは上記のように比較的シンプル、池園班分解からの5チーム並行の群像劇、からの桐井救出作戦でアッセンブル→大団円。なのだが、キャラクターの東京への溶け込み具合と、人物主体すぎないカメラワーク、そして下北沢や新宿などの再開発の様子も余す所なく映していた、監督曰く「東京が彼女らを観ている」視点がこの映画を単なるアイドル映画とは異なる地平に置くことができた(日向坂四期だから生まれたし作れたが、日向坂四期であることが物語の駆動とは関係ない)大きな要因だと思う。
良かった、にはいくつものバリエーションがあるけれど(泣くほど感動したり衝撃を受けたり行動を促したり励まされたり癒やされたり、など)、この映画に関しては卒業アルバムのページが増えた、みたいな感覚だった。良い映画でした。
好きだったシーン・演技
①ぽぽまるず組
・説田ちゃんがバスの一声目から説田ちゃんだったの、石塚瑶季ちゃんの演技適正の凄さを物語っている。ひななりでも蓮見さん(ダウ90000)に言われていた「台詞を自分のものにする」力は熊切監督にも同様に言われていた。キャラクターは当て書きとはいえフィクショナルなんだけど、それでも「あんな子いるよね」にする説得力があった。
・角村は神社で守谷くんと話すシーンが好き。運動部ガチ勢女子であんな子いたな、と記憶を呼び起こされる。インタビューでも話していたけれど、理央ちゃん自身は普段きゃぴきゃぴしてる方だからギャップがいい。
・梁取の新宿ダンジョン永遠回遊わらってしまった。明日わたし梅田いくんだよな…梁取出られなさそう。
・門林は掘り下げがほとんどない(梁取も角村も然り)けど、絶対に仲良くなりたい。
②東京組
・枡谷さんはオタクをひた隠しにしてクール系を作っていたけど、カミングアウトしてからというもの明らかに表情が明るくつかえの取れたような表情で、本当のコミュニケーションが始まった感覚が画面から伝わってきてぐっと来た。満武さんもありがとうね。
・花里さんはめちゃくちゃひらほーなんだけど、最後枡谷さん→あやのっち、に呼び方が変わってるところでなんだか泣きそうだった。
↑「呼び方が変わるみたいなときがもう何回あって 思い出にいつかねえありがとう、いうんだよ」という歌詞があります
・満武さん、友だちの修学旅行中にたまたま出会ったとはいえ、他校の知らない人ばかりの中行動をともにしているの中々ガッツがある。けどあやのっちと会えたのが嬉しかったんだろうなと思う。
③守谷組
・羽川はキャラクター的にも細かくてテクニカルな部分があると思うが、それにちゃんと乗っかれて羽川としてそこに居たかほりんの底知れ無さを感じた。女子〜〜って感じだったよね。そこが良い。単独でドラマに出演することもそう遠くないと思う。
・辻坂はきらりんとギャップのあるキャラクターではあったけど、ビジュアルのクールさと本人の努力により女バスの辻坂が顕現していた。ドスを利かせられるというか、存在で成立するパワーがきらりんにはある。頼もしかった。かなり好きキャラでもあった。
・守谷くんの将来有望感すごい
④オーディション組
・映画の役作りのためのショートカットだったのか、と前触れなくショートになっていたときには驚いたが(そしてめっちゃ似合ってて良い)、桐井というキャラクターは監督インタビューにもあったように複数のメンバーのエピソードを複合させたようで、アイドルを目指す地方の子という姿は四期生もそうだし、これから入ってくる五期生、さらに未来…にも通じるものだと思う。静かで落ち着いているけど、楽しんでいないわけじゃなく、内向的だった彼女が初めて自分から「やりたい」と思えたのが「アイドル」という事実が良い。スマホの件は同情を禁じえないが、最終的にちゃんと夢を叶えていたようで嬉しかった
⑤班長組
・劇中の役割やエピソードは上記で触れたので追加で書くならば、これはパンフレットに記載されている内容なので買って読んでほしい(ここには書かない)んですが、事前インタビューでのよーこの言葉から様々なものが駆動していく様は、やはり主人公としか言えない磁力を持っていると思う。
日向坂46四期生と「東京」
実のところ東京都出身は石塚瑶季ちゃん1人だ(岸帆夏ちゃんもだったけど)。ほかのメンバーは千葉や神奈川といった近郊もいれば、北は北海道、また中部〜九州に至るまで、幅広い分布となっている。そうした土地からそれぞれがそれぞれの夢を持って「トーキョー」に集っているという点では、今回の11人と同様である。彼女たちは東京に夢を掴みに、叶えに来ているのだ。
12月末、2024年ツアーの集大成として四期生は東京ドームの地に立つ。そこから見える景色は「ゼンブ・オブ・??」
おまけ
わたしのツイート群と貼りたい動画などのコーナーです
散々「朱夏」と言っていますが、朱夏って青春のあとに来る、人生の壮年期を指す言葉なんですよね。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?