マガジンのカバー画像

チョートクのカメラノート📷🎥📹

カメラで本気出す。カメラに本気出す。ついでに写真芸術にも本気出す。2001年5月からスタートしたチョートクカメラ日記です。webマガジンは毎月定額1000円。単品で買うよりもかな…
カメラの過去現在未来のトレンドをお知らせします。毎日更新。毎月30本から31本読めます。頼りになる…
¥1,000 / 月
運営しているクリエイター

#ウィーン

Winの天使薬局 2025/1/19

ウィーンの中心部の観光客の来るランドマークと言うのはあまり魅力的なものがない。ステファン大聖堂はあまりにも大きすぎて、カメラアングルが迷ってしまう子蔵弁の通りにあるペスト記念塔の場合は高さがありすぎるから。これもカメラアングルでツーリストは苦労するのである。

¥300

ローライフレックスのネームプレートをピカピカに

オーストリアウィーンに暮らしていた夢判断のシグムントフロイト。彼のミュージアムと言うのは、以前フロイトが住んでいたところである。かなり広いスペースで考古学的なコレクションの展示もある。

¥300

写真集のセレクションは、第三者に任せると良い結果が出ると言う実例

お正月なので、自分の出した写真集をめくって、いろいろなことを考えているさんが日である。こういう時間が楽しい。

¥300

ウィーンウィーン雪の中のポルシェの風流1/17(水)

1975年の12月であったと思うけれども、もともとウィーンはそんなに雪が降る町ではない。というのもウィーンは非常に寒いところだから、1970年代は冬はマイナス10度以下になる。そうなるともう雪は降ってこない。さらに気温が下がるとアパートメントの前のドナウ運河の水が凍るのである。完全に変わった事は無いけれども、土地の古い人の話によれば、1955年にウィーンがまだアメリカやソ連に占領されていた頃は、ドナウ運河の水が氷になったそうである。私が暮らしていた時はそれほどの氷形ではないけ

¥200

ニューヨークから戻った直後に、ツバメのぴーちゃん12/31(日)都心は19年ぶりの雨

家人の母親の持っている古いアルバムは、母親が樺太生まれて結婚して後は満州に住んだりしていたので、昭和天皇が登場したりとか、歴史的なモチーフが登場する。

¥200

ニコンカメラとペリカンの万年筆 1/24(火)

40年前のオーストリア、ウィーンの生活の時に7年と6ヶ月かけて3000本位のフィルムを撮影した。これは全部モノクロフィルムである。

¥200

ウィーンのクリスマスイヴ。誰も歩いていない12/24(土)

2005年のクリスマスイブのことだと思う。エプソンアールディーワンの写真集の撮影で12月にウィーンとプラハとユネスコの文化遺産のTelchに撮影に行った。ウィーンではシュテファン大聖堂のすぐ下のペンションに宿泊した。いつものことであるがウィーンのライカショップのオペレーターのところに行ったらそれがクリスマスイブの昼まであって、ペーターが言うには夕方ちょっと写真を撮りに来てくれないかな?というのである。

¥200

まるでニュージャーマンシネマのワンショットのような11/28(月)

ウィーンの中心部からドナウ川を越えて北の方向に向かう路面電車は131番と231番と331番があった。ウィーンの路面電車の系統番号としては331というのが1番大きい。

¥200

タバスコの思い出4/28(木)

アンディウォーホールはスロバキアの移民2世である。彼が有名になったのは1連のキャンベルスープの作品であるが、あれは日本だとなかなか一般的ではないものだ。第二次大戦後のキャンベルスープの存在感はギブミーチョコレートに準拠しているからかなり強烈なアメリカナイゼーションなのである。

¥200

佃島のEnchan 4/17(日)

ドイツ語でEnteと言うのである。それを短くしたので家だけで通用する言葉なのであるが、かもさんのことをえんちゃんと何十年も呼びならわしている。

¥200

1970年代ウィーンとライカの日々のリアリティー2/20(日)

ギャラリーバウハウスで3月の6日からウィーンとライカの日々と言うタイトルで私の何回目かの個展を開催するわけである。それで当時つまり70年代のwinの暮らしを思い出すにこの写真はその頃のDetailがかなり忠実に表現されていると思う。

¥200

1000ミリの超望遠レンズでゴシックのタワーを手持ち撮影NEW2/7(月)

1970年代ウィーンに住んでいた後半になっていた一時期私はいつも1000ミリのレフレックスレンズをカメラバッグに入れてウィーンを歩きまわっていた。

¥200

写真集をめくる ウィーンモノクロームセブンティーズ1/31(月)1月おはり

この写真集は最初のアイディアでは1000ページにする予定だった。それで実際に本がどのぐらい熱く(厚く)なるかと言うのを業界用語で束見本と言うのであるがそれを作ってもらったら重さが5キロもあって持ち上がらないことがわかった。それで半分の500ページにしたのである。

¥200

ウィーン1973見慣れた街のスナップショットが重要である1/30(日)

3月から5月にかけて私のギャラリーバウハウスでの何度目かの写真展を開催するのである。ギャラリーオーナーの小瀧さんが、一昨年はウィーンでコロナがスタートしたときにギリギリでwinから逃げてきたと言う感じで今回の小瀧さんの写真展ウィーン旅の憂鬱が展開しているわけであるがその後に私がバトンタッチしてウィーンとライカの日々と言うタイトルで3月から5月までウィーンをテーマの写真展を展開する。

¥200