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チョートクのカメラノート📷🎥📹

カメラで本気出す。カメラに本気出す。ついでに写真芸術にも本気出す。2001年5月からスタートしたチョートクカメラ日記です。webマガジンは毎月定額1000円。単品で買うよりもかな…
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2023年4月の記事一覧

クラシックiPhoneクラブをつくりました

iPhoneを1番最初に使い始めた動機についてはよく覚えている。2002年頃のリコーの新製品発表会の会場で私も参加したのだがその隣に座っていたのがさすらうさんであった。 彼はいわゆるモバイル物には詳しい人なのだが登場したばかりのiPhone G3を使っていた。それで私が感心したのは前の日にiPhone G3を地面に落としてガラスが割れてしまったのだがそれでも構わずに使っていてガラスで指を切って指が血だらけなのである。何か軍国美談のような感じだね。 iPhone 3の頃に何

私はカルバドスをちびちび。CAさんドンペリで手を洗う4/30(日)

私はカルバドスをちびちび。CAさんシャンペンで手を洗う 1970年代に仕事を手伝った、美術評論家からカルバドスを教えられたのである。この蒸留酒はなかなか便利な存在であって例えばハードな仕事をしているときにWINEを脇に置いてがぶ飲みするのはこいつはアルコール中毒だと思われる。

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なぜニコンエフは好きだけれども、ニコンエフフォトミックは嫌いなのか?

中学1年の時に父親に買ってもらったカメラがニコンエフフォトミックであった。これはご承知のようにTTLではなくて外部速攻色のCDエスメーターなのである。同じ時代のライカの場合は、ライカメーターエムアールというのがあって、これは必要に応じてライカの上に取り付けると言うシステムだった。

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エプソンのカメラがローマで壊れて

2005年のことであると記憶するがエプソンが世界で最初に出したレンジファインダー方式のデジタルカメラの写真集を撮影するためにまずローマに行ったのである。春であった。

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私の写真集の分析。

パロマのハムの撮影距離とレストランでメニューを見ている人の撮影距離がなぜ同じなのか?

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ビルカニングハム。ブルーのジャケットを探しにパリに行った4/26(水)

ビルカニングハムはファッションフォトグラファーであると言う。ファッションフォトグラファーと言うよりも、ニューヨークタイムスの連載でファッションのクリティックをやっていると言うのが正しい。リチャードアヴェドンがファッションフォトグラファーであり、ヘルムートニュートンもそうであると言うのに、対して、ビルカニンガムの場合は、ファッションストリートフォトグラファーと言うわけだ。

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シチリア島に行く前に、小豆島にオリーブを調査に行った

ガラクタ屋さんの2代目のお父上は小豆島出身である。それで30年近く前に小豆島に招待されてそこで講演会をやったことがあった。

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飛行機のコックピットに立ち入れた時代もあったのだ4/24(月)

ルフトハンザ、ドイツ航空のファーストクラスのカタログを作ったことがあって、ギャラ安いたくさん払えないと言うので、わずかながらプラス、ヨーロッパのファーストクラスの往復と言うオファーの時である。

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谷川俊太郎さんが70年前に阿佐ヶ谷駅前の写真屋さんに現像に出したモノクロフィルムとコンタクトプリント4/23(日)Free Note

昨日ギャラリーバウハウスで、谷川俊太郎さんのLost and Foundの写真展に関係して文化講演会を行った。そこで小瀧さんが実際にプリントした谷川さんのモノクロネガフィルムを見せてくれた。これがびっくりしたのである。 70年前に阿佐ヶ谷の写真屋さんに出したモノクロフィルムである。面白いのは私が知らなかったネガフィルムカバーのフォーマットであったこと。私が知っているのは66だと3枚横になっているやつだから、ここで示すカバーより少し幅が広い。昭和20年代は2コマでフイルムをカ

Tori kkoro ライカM2 Summicron35ミリをつけたセルフポートレートのフォトグラファー

世界的な写真家リーフリードランダーの1番最初の写真集。セルフポートレートはあれは自費出版であったようだ。インターネットのない時代に調べて彼のアドレスにレターペーパーに書いたエアメールを送ったのである。折り返し返事があって送料込みの何十ドル高忘れたけれども、その金額をマネーオーダーで送った。

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ライカエムピーのカタログが意味するもの

1950年代の終わりに、当時のライフのスターフォトグラファーであったアルフレッドアイゼンスタットが、その時最新型のライカM3に来クラビットをつけるようにライカの会社に提案したのである。当時のライフのフォトグラファーはスーパースターであったから、ライカの会社はすぐにその提案を受け入れて、ライカM3をプロフェッショナルフォトグラファーの時に改造したライカビットMPを装着したライカモデルMPを発売したのである。

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マンハッタン5番街の広告ビジネス

2011年3月11日に東日本大震災の第一報を受けて、夜中は日本の地震のニュースを見ていて、朝になると5番街を32丁目から59丁目のセントラルパークサウスまで往復した。ライカM3に3.5センチの広角レンズをつけて3本ほど撮影したのは、この界隈を撮影したロバートフランクに対する敬意を表するつもりであった。

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いわゆる、天抜きについて

天ぷらそばの画像を探してトップヒットしたのは、カップめんの天ぷらそばと称する商品である。これは困ったものだ。これは天ぷらそばじゃないからな。 以前はガストロノミーの鬼であったから、取材とは言え、ミシュランレストランを何10軒もハシゴしてえらい目にあった。その反動でガストロノミーから何年も遠ざかっているから、それに関連して蕎麦屋に行くこともないので天抜きで日本酒を飲むと言う習慣から何年も離れている。考えてみれば、酒飲みが勝手に考え出した非常に不健康な。しかもお店に対して失礼な

1時間写真術は偉大なクラシックである

2011年のチャイナタウンの写真屋さんである。すでにフィルムを現像すると言う事は過去になってしまったわけで、2011年時代でもすでに使われないテクニックであったと思うのが普通であるが、このショップで試してみたらちゃんと現役でフィルムの現像もできるし、もっと驚いた事はモノクロームの現像とプリントも引き受けていると言うことだった。

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