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チョートクのカメラノート📷🎥📹

カメラで本気出す。カメラに本気出す。ついでに写真芸術にも本気出す。2001年5月からスタートしたチョートクカメラ日記です。webマガジンは毎月定額1000円。単品で買うよりもかな…
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2022年3月の記事一覧

プラハ2010年1月17日の目玉焼き3/31(木)

Google Mapsとか非常に便利なものであって今まで暮らした世界の街並みをそのまま今の状態を見て記憶の入り口というか記憶をキックバックするためのエントランスとして使うのには非常に便利である。それで長年暮らしたオーストリアウィーンのアパートとかプラハのアトリエとかニューヨークのロフトとかパリの安ホテルとかそういうのを実際に見ながら楽しんでいるのである。

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カメラをたくさんぶら下げている友人スミスさん3/30(水)

カメラをたくさんぶら下げていることがプロ写真家であると言う認識があったのは一体いつまでのことであったのだろう? 1番有名な写真が友人スミスがまだ若い頃にカメラをたくさんぶら下げている写真で、確か森永淳さんがアシスタント時代だったと思うけれども友人スミスがカメラをぶら下げたまま休憩しているような写真があってその頃何に驚いたかと言うと有名写真家はこんなにたくさんカメラを買うことができるのかと言うことであった。

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ウクライナのコンタックス3/29(火)

1970年代にウィーンで暮らしていた頃はシンプルな生活であったから今週はフィルムを買うかそれともソーセージを買うかと言うような二者択一の生活を迫られていてそれが私の人生にプラスになったのである。

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自分の写真展の案内葉書ができて思うこと3/28(月)

今までに何度写真展をやったのか既に忘れてしまったが、いつでも自分が写真をやっていることに対して非常にフレッシュな気持ちになるのがその写真展の案内葉書が到着したときのことである。

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じゃがいものデンプンで作ったクラシックなカラー写真でwinの中心部を見る3/27(日)

初期のコダクロームでカラー写真が一般的なものになった。それまでは非常に大変な技術であってオートクロームと言うじゃがいものデンプンで作ったカラー写真というのがあった。かなり高価であって1部のアマチュアとプロフェッショナルしか使う事はなかったが、そのプロセスというのが非常に複雑で今まで真面目に勉強したこともない。

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テーブルの上でこっちを見ている1番最初の白いペンデジタル 3/26(土)

尊敬する写真家ヨセフスSudekの1番好きな作品の中に写真家のラビリンスというのがある。これは実は彼のプラハの仕事場のデスク周りとその背景の資料の乱雑な状態を四つ切りの大判カメラで撮影したものだ。

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ヤシカペンタJ3 +アムステルダムで買った17ミリの広角レンズ 3/25(金)

国産の一眼レフカメラはたくさんあるけれどもニコンエフより好きなのは、ヤシカペンタマチックである。ニコンエフとほぼ同じ時代に登場したカメラであるがそのデザインが素晴らしい。資料を調べてみたらちょうどその当時ヤシカはすごく儲かっていてNiccaカメラをその傘下に収めたのである。もともとニッカカメラはその前に頭脳で有名な帝国光学を買収していたから、最終的にヤシカは帝国工学の技術が使えるようになったわけだ。

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SOHO 2011  3/24(木)

最近Amazon Primeを見ることにしているのだが最近印象に残ったマンハッタンのアーティストで2019年に90歳で亡くなったハンクのことが印象に残った。彼はユニオンスクエア41番地にあるスタジオを1960年頃から使っているのである。私の勘違いが起こったのはそれをSOHOで撮影したのと最初誤認したことだ。その映画の一番トップのシーンがEmpire State Buildingがロフトの窓から見えると言うショットなのである。それでくだんのアーティストはユニオンスクエアに仕事場

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Lower East Side NYC Mar 2011   3/23(水)

私がニューヨークにいた1980年代はこの辺は非常に治安が悪くて怖いと言うことになっていた。いや実際に怖いところであって私の友人の写真家が長年マンハッタンに住んでいる人だがこの辺のジャンキーの皆さんを撮影しようとしてそれで考えたのが、いきなりカメラを向けてはえらいことになるから中古のセダンの脇に隠しカメラを組み込んでそれで撮影をしたのである。これはすごい迫力の写真だった。

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マンハッタンにいて東京と言う都会はどのように感じられるかと言う実例がこれ3/22(火)

2011年の3月にマンハッタンで撮影したショットである。3月11日マンハッタンに到着してシャワーを浴びていたらファーイーストから東日本大震災の第一報が入った。宿泊していたホテルが日本のNHKが見れたのでライブで被害の状況をずっと見ていた。

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ブラックコンタックスに似合うのが小村レンズ3/21(月)

3月9日からギャラリーバウハウスで開催されている私のウィーンをテーマにした写真展の話だ。26年前に日本カメラから出した写真集タイトルがウィーンとライカの日々と言うのであるが別にライカでばかり撮影したわけではない。

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パリのメトロにファーストクラスとセカンドクラスがあった頃3/20(日)

カメラノートスペシャルでパリの思い出話をぼつぼつ描いているのである。パリの街は小さいから端から端まで歩いても嵐と言う事はないが、1970年代終わりごろにアサヒカメラの撮影で1週間と言うものを毎日メトロに乗っていたことがあった。これがまた不思議な体験だった。

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ワイドフィールドエクターの事3/19(土)

40年近く前にニューヨークで買ったレンズである。値段は1000ドルであったが当時の日本円のレートが280円だからすごい高い買い物だった。それでもニューヨークのこの手のプロフェッショナルなレンズの値段としては結構安い方だった。

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シュトゥットガルト製のコンタックスみたいなヤシカ35 3/18(金)

カールツアイスが日本のメーカーであるヤシカとタイアップして出したコンタックスの一眼レフが50年前にあった。最近ではICがダメになってほとんど使い物にならない。私の持っているコンタックスRTSも同じ状況である。

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