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チョートクのカメラノート📷🎥📹

カメラで本気出す。カメラに本気出す。ついでに写真芸術にも本気出す。2001年5月からスタートしたチョートクカメラ日記です。webマガジンは毎月定額1000円。単品で買うよりもかな…
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2021年5月の記事一覧

Fujita66/Leica MP 74歳の誕生日に思うこと5/31(月)HAPPY BIRTHDAY!

物心ついてカメラに興味が行くようになったのが10歳の時だから思春期とカメラの欲望はオーバーラップしているのであろう。アサヒカメラのこの広告は1957年頃のものだから私が10歳当時である。それから64年が経過して74歳になったのである。何事であろうが60年以上やっていればその道の専門家になることができるのであろうが私の場合はなかなかそこまで達成することができないのは才能がないせいだな。

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ブラックコンタックスと21ミリレンズ5/30(日)ブラぱちの日

戦前の1番短い35ミリ用レンズは28ミリまでだった。戦後になってシュツットガルトのシュツットガルトののコンタックスが製造を始めた時西ドイツではまだ超広角レンズを作ることができなかった。

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変異株拡大中5/29(土)

最近この右翼のようなトラックを都内で見かけるようになった。巨大なトラックに看板が付いていて何か罵りながら走っているのである。これは結構不気味だな。どっかのお煎餅屋さんがやっているちょっと右翼っぽいステートメントの巨大看板のトレーラーは世の中を斜めに見ているスタンスがあってあれは右翼と言う感じがしないので私は好きな方である。

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ジビエが大流行5/28(金)

家人のお弟子さんからジビエをいただいた。ドイツ語ではWildと言うのである。ウィーンのラッシュマーケットなどで秋が深くなってくるとのうさぎとかFasanぶら下がるようになって季節感満点である。秋から冬にかけてウィーンでも典型的な味覚である。市場でのうさぎを買ってきて適当に調理して食べたが甘かった。でもちゃんとしたレストランで食べるのが粋なのであるがグレービーソースの脇に果物ジャムをつけるのが定番なのであるがどうも私は果物のジャムみたいなのが嫌いだからどちらかと言うと敬遠してし

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佃日記アーカイブ2008年4月16日。氷川丸の第二進水式5/27(木)

16日の水曜は横浜の氷川丸の「第二進水式」であった。

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佃日記アーカイブ2008年4月。ニッコール2.1センチのこと5/26(水)

日本カメラに連載中の「一眼レフの王国」はカラー見開きであるがもうかなり長いことの 連載である。ノンブルを見たらすでに52回を数えていた。

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1947年生まれ私と同い年のコンタックスS 5/25(火)

コンタックスSは戦後のドイツのカメラである。1947年生まれだから私と同い年である。最初、このカメラを使い始めたのは1973年のウィーンだった。まずそのデザインが気にいった。私が幼年時代にこのカメラのデザインを知っていることを思い出したのである。それは親戚の家に置かれていたカメラの本であってそこで初めて見たのだった。気に入ったのはペンタプリズムの小さな事だった。もっとも用事であるからそれがペンタプリズムであると言う認識はなかった。

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食べ物の記憶はその場所の記憶である5/24(月)

蒲田生まれの蒲田育ちで今は出雲に住んでこの間出雲通信の第5号を出したのみかわさんであるが、その彼から聞いたのが大田区萩中公園の中にあるレストランのチャーハンがうまいと言うものだった。今までに3回ほど行ったことがある。チャーハンとかラーメンとか言うのはうまいとかまずいとかいろいろあると思うけれど、どちらかと言うとまずいのは絶対に忘れないものである。

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プラハのPがプラハの春のドキュメンタリーで使っていたカメラとヨセフクーデルカが使っていたカメラ5/23(日)

私の50年にわたる友人であったプラハの写真家Pavel、3月にコロナで亡くなった。その顛末を忘れないために以前私が連載していたある文芸誌にそのことを書いていたのだが思い出したことがある。

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ヤシカのレンジファインダカメラが好きな理由5/22(土)

国産のレンジファインダカメラつまりライカカメラのコピーであるがいまだによく特許権の侵害などで裁判沙汰にならなかったものと思う。それともパテントが切れていたのかもしれないがそういう事実関係は抜きにしてやはり戦後のある時期にライカのバルナック型そっくりのカメラが作られたと言う事は不思議な現実である。

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ミノルタスーパー:A:と言うカメラが好き5/21(金)

1970年頃にそれがどの雑誌だか忘れてしまったのであるがカメラ年鑑みたいなものでハードカバーの本を大泉学園町2207番地でよく見て遊んでいたのである。1950年代のカメラを紹介しているもので1970年から見るとすでに20年前のフルカメラなのであるがそれぞれのカメラが実に魅力的に見えた。

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佃日記アーカイブ2008年4月。Patheのフィルムマガジン5/20(木)

シャルル・パテは映画製作の草分けである。

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JONAS Mekas の事5/19(水)

1960年代にJonasの事は日本のインディな映画雑誌などで耳学問として知っていた。でも実際に彼の映画を見る事はなかった。ウィーンに暮らし始めた翌年であったかオーストリアフィルムミュージアムが10周年記念と言うフェスティバルで彼の仕事をまとめてみたのである。たしか5日間位のプログラムで毎回5時間位のフィルムを見たのである。

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距離計が付いていなくてしかも撮影距離が10フィートでフリーズしているスナップ専用カメラリコーレッド5/18(火)

カメラノートで最近デジタルカメラのことを全く書かなくなってしまったのは単純な理由であってデザインが美しくないからである。それともう一つカメラを見てもそれがどこのメーカーのものかわからなくてメーカーの属性がどんどん希薄になっているのが情けないと思う。一方でカメラメーカーの新型デジタルカメラの宣伝というのが高画質高性能と言うのも情けない。15年ほど大手量販店のデジカメ売り場に行ってないからネタ探しに行こうと考えているのではあるけれどどうもつまらなそうなので佃島から隣の有楽町に行く

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