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#写真
3月新マガジン ファインダー1 ライカのファインダーを世界中の路上に落として半世紀が経過した。我々カメラ人類はなぜアクセサリーファインダーに惹かれるのか?
レンジファインダーカメラと遊んでいるときに1番欲しくなるのがアクセサリーにつけるビューファインダーである。デジタルカメラが進化してミラーレスのリアルビューのファインダーになってくるともうファインダーは必要ないと言うふうに思われがちであるがそうでは無いのだ。他のフィルムカメラユーザよりも自分の方がワンランク上と言う、これは勝手なカメラ人類の思い込みではあるのだけどその差別化を図るためにアクセサリーシューにつけるファインダーは非常に重要な役割をするしまた業者さんのほうもこれで商売
3月新マガジン ファインダー2. 若かった頃のロバートフランクの貴重な写真を発見した。写真家はライカカメラにアクセサリーファインダーをつけている。
ライカでスナップショットを取る写真家として1番有名なのはアンリカルティエブレッソンであった。しかし写真芸術としてさらにレベルの高いのはロバートフランクだと思う。ロバートフランクは1947年にスイスからニューヨークにやってきて当時のファッション雑誌関係の大御所の門を叩くのであるが、その偉い人がフランクに対して行ったのがライカを使いなさいと言うことであった。それ以前の写真学生の卒業制作みたいなシリーズをおそらく彼はニューヨークのボスに見せたのであろう。それはごくごく普通な大判カメ
3月新マガジン ファインダー6フィルム時代のリコーGR1が好評だったのでそのレンズだけでライカマウントのレンズを作るお手伝いをした。私は思いつきで付属のファインダーにもシリアルナンバーを入れたらどうでしょうと言ってしまった。それでそのようになったが余計なことをしたな。
フィルムカメラ時代のコンパクトカメラの代表がリコーGR1であった。そのコンパクトカメラが好評だったのでリコーは新しいレンズの企画でコンパクトカメラについているレンズをそのままライカマウントにしようと言うアイデアが持ち上がったのである。その時に私はリコーのサジェスチョンをする機会があった。今にして思うとこれはすごい製品企画であって通常だったらコンパクトカメラのレンズをライカマウントにして販売しようと言うのは常識では考えられないことである。それを実際に製品化してしまったのだから大
3月新マガジン 7アクセサリーファインダーのダイナミズムと言う事から考えればライカ等は初心者向けである。私が最も尊敬している光学ファインダーはありフレックス用の1連のシステムファインダーだ。ただし単体でも7000ドル位する。
35ミリのレンジファインダー内下などにしてみるか単なるガリレオ色ファインダーの継続であるからレンズの組み合わせはシンプルで値段が高いと言うこともない。いや実際には非常に高いこともそれはコレクターズアイテムと言うやつで1つの商品に対して多くの人が高い値段をつけるからその結果として値段が高くなると言うだけなのである。要するに大した構造ではなく簡単にできているのであるがそれがステータスになるから特にライカが好きな人々はその単純なファインダーに対して高いお金を払ったりするのである。
3月新マガジン 8私はノーファインダー主義者である。ウィリアムクラインも森山大道もそうだった。パノラマカメラの使い手プラハのすべくもSudekもうそうだった。パノラマ写真で有名なこの写真家がすごいのは指でフレームを作ってそれを自分の顔を中心にして140度回転させる。写真家の頭の中にスキャン画像が蓄積されるわけだ。
森山大道さんの撮影にちょっとお付き合いして彼の撮影方法を拝見しているとファインダーなんかほとんど覗いてはいない。彼の視神経そのものがファインダーになっているからカメラのファインダーで確認する必要などはないのである。でもこういうのはアマチュア写真家が真似をしてなかなかできるものではないない。1種の人間国宝というかとにかく手技と視神経が同一のフレームでオーバーラップしているわけである。だから森山大道さんにファインダーは必要ないとも言えそうだがまぁそんなカメラを使っても一般のアマチ
3月新マガジン 9ライカM3のファインダーの構造は素晴らしい。しかし50ミリのフレームの角がぐにゃりとマルク切り取られているのが変である。90ミリと135ミリのブライトフレームは現実に張り付いたようなクリアである。
スナップ写真の天才アンリカルティエブレッソンは人生の後半の彼のポートレートを見るといつもライカのM3を手にしている。さらにもっと後の彼のポートレートになるとライカエム6を手にしている。戦前のブレッソンのポートレートを見ると当然のことながらシンプルなクラシックライカを手にしているのである。私が思うにブレッソンの決定的瞬間と言うのは彼の行動の世界の軸と時間軸が一瞬で交差したところを撮影するのであるから、あまり構図とかそういうことに神経は払っていなかったのではないかと私は考えている
3月新マガジン 10戦争写真家澤田Kyoichiのライカのファインダーワークを分析してみる。35ミリには補助ファインダーを使い、ピューリッツァー賞受賞した安全への逃避はファインダー付きの135ミリErmaritで撮影されたと言う事。
カンボジアで亡くなった一ノ瀬泰三は私の日大写真学科の同級生である。学生時代は学生服を着た地味な存在であった。ところがホーチミンシティーで取材でタクシーに乗った時にタクシーのドライバーさんが戦争博物館に一ノ瀬泰三のコーナーがあると言うので教えてくれた。ベトナムでは一之瀬は有名人なのである。もう1人の戦争写真家で有名なのは澤田である。澤田はピューリッツァー賞の受賞でいっきょにその名前が世界中に有名になった。安全への逃避と言う名作は135ミリのゴーグルがついたエルマリーとで撮影され
3月新マガジン ファインダー11 これが50年近く使った私の1番好きなファインダーである。ソ連製のターレットファインダーをちょんぎって28ミリ専用にしたものだ
アクセサリーファインダーは何百も持っているけれども、1番気にいっているのはこのファインダーである。その理由はこのファインダーは一般では手に入らないハンドメイドであるのがその理由である。いつどこで手に入れたのかもう既にわからない。オーストリアのウィーンに住んでいたごく初期の時にどこかで手に入れたのであろう。私はその時既にこの改造されたファインダーのオリジナルのモデルすなわちソ連製のターレットファインダーを使っていた。しかし考えてみると28ミリから135ミリまでのレンズのどれにも