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のんびりラオス-昆明・ビエンチャン・パクセ

中国から昆明まで降りる。

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〈硬座という一番安い席に座って〉



●昨日はカンディンであっためいちゃんとリタンの王くんとそのお友達と5人で遊んで
お見送りしてもらった。


なんだかんだ中国人のお友達ができてる自分にうふふんだったけど
めいちゃんが日本語が結構喋れるけど男の子たちは私の地獄のように重い荷物にひんしして
最後は自然に萎えてゆくコースだった。
みんなご飯をごちそうしてくれてやさしい。●

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〈どうしてこういう経緯になったか覚えてない〉



私の荷物は、5分で口数が減り、
10分でもう限界になる罰ゲーム級の重さだった。
日本に置いてくるべき日記帳を誰にもみられたくて
肌に話さず持ちはこんでいたからだ。
日記帳は人生そのものだったので命の次に大事だった。
でも帰国後シュレッダーに全てかけた。



●昆明は日本の秋を感じます。 

今日もそんな新しい街で道に迷ったりして時間がたくさんきえた。
一番ひどかったのは
ウォールマートにはいったのに出口がわからずに一時間近く迷ったこと。
私はそういうのでいつもすごいストレスだ。
そこに出口があんのにここは入り口だからだめという女の従業員がいて
でもティムドン(わからない)だからと
イーベン(日本人)だからティムドンですといって強行突破したら
後ろからどなられた。
でも何をいっているのかわからないのだ。
他のお客は通してなぜ私は通さないんだ。
反日感情にモロに加勢した瞬間だった。
でもあそこを出なかったらたぶん今もあの迷路の中にいるわ。 ●



昆明ではやることがなかったので
あまり泊まらずに、すぐにバスのチケットをとった。
しかしチケットを取るまでが結構大変だった気がする。
チケット売ってるとこまでが意味わかんなくて暑い中何時間も同じところをぐるぐるあるきまわった。


****

いざ、ラオスへ。8/29

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〈バスが大変わかりやすい!〉



思い思いの時間をすごす。

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〈おままごとできそうなスペースあり〉



途中ごはんたべながら。

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〈おごられまくり!〉



またバスにもどります。

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〈もうおうち感覚!ゴミは床にすてる〉



バスは何回かクラクションを鳴らしたら休憩時間の終了という合図だけど
それ知らないと置いてけぼりを食らってしまう。
私はそれをしらなくてあせった。



●08/31
ラオスの首都に寝台バスで二泊三日かけてきた。
変なおっさんをつれこんでしまった。


ネットが街に行き通っていなく
親切な夫婦にネットショップにつれてきてもらったけど
帰り方がわからず迷いながら必死でホテルにもどってくると


ベッドにおっさんがパンツ一丁で寝てスタンバっていたので
完全エマージェンシーモード。 


 とっさに私
「友達がくるからばいいい!(英語で) 」

おっさん
「え?? 」


「友達が来るからさよーなら!」           


おっさん
「え クンミン??(coming だから)
昆明にもどる??? 」



「NO!!!」


私おっさんの前でずっとおとなしい子になってご飯を3、4食ごちそうになっていたので
急変な態度に驚いてた。しかも英語喋らないでいたので。   
(しかもその人の知り合いの人のお金で人生初のご飯6杯おかわり・・) 



サンキューアンドグッバイ!もう用はない!
ぽかんとしているおじさんを置いて
荷物をとってマッハで出てって
新しい宿さがし。
phone paseuth guest house?





ラオスのバス旅はとても過酷だった。
みんな風呂入れないしやることもない。
どんどん食い散らかされていく車内の中はとてもくさく
夜は蚊が耳元でなくし 
トイレはどこにでもあるわけじゃない。
夜はやっと光をひいてきたような乏しい灯りの道の中をいく。
このラオスジャングルにて私もはれて野ションデビューを成し遂げた。
女子が野ションするときは、まず草を踏まないと、おしっこが
跳ね返ってくるということを学ぶ。



窓から川で無邪気に泳ぐ子供たちを見た。
なにかこれからのこととか今までのこととか考えた。

 



優しいタイの人が(この人は本当に優しい)
イミグレのとこでビザとか換金とか援助してくれたりしてすごいたすかった。
私が普通にカップラーメン食べようとしてたらご飯は?ってきいてきてくれて
あーラーメンライスいいねっておもって自分で頼もうとすると普通におごるよって意味だった。
おごられてばかり。おかずもいいっぱいくれた。
138カ国だかまわったらしい。仕事らしい。 



宿さがし大変。
いろんな人に安い宿どこってきいて
最後のほうまったくしらない外国人に20メートル離れたとこからTHANK YOUとか言ってた。
暑さで狂いだす!



そしてメコン川を見た。
半裸のおじさんが話しかけてくれて
上を向いて歩こうを、歌ってくれた。



ラオスでは街がなにか訴えかけてくることはなかった。
こちらが耳になっているのではなくて、
自分で手を伸ばして体験する国だった。
終始非常に貧しさを感じ、
トイレは自分でバケツの水をジャーとやる汲み取り式で
原始的な生活に現代的な体が反応をおこしたのか
欲求不満でご飯を満腹を超えるまで食べ続けてしまった。
食べても食べても足りない。こんな経験ははじめてだ。

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〈フォーを食べて初めてのパクチーに恋する〉




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●09/03

おしゃれなカフェにいます。
ラオスのお金よくわかんない。
今飲んでるコーヒーも2万キープ!
二万円みたいな響きでビビってうまくつかえない。

ラオスはフランスに植民地にされていたことがあったようで街が何か西洋の雰囲気でいっぱいで
思ってた感じとは違う。
いたるところに外国人観光客がいて、日本人にもよくあう。
首都と言ってもとっても小さな町、ビエンチャン。
いろんなものが揃っていて、ご飯も美味しくておしゃれで
ホテルも安くきれいなとこにとまれているし
沈没してしまいそうですが
高級な雰囲気?と便利さがなにかいちゃいけない気分。


てことで今日の夜からパクセに移動です。
ちょと不安だけど、もう少しラオスを見てみたいので。
ルアンパバーンとかスキップしてるけど、気分的にはやく南に進んで落ち着きたい。




あまりにやることがなくいろんなこと考えてしまう。●

***


●09/04
パクセについたー!
3万キープで寝れるとこにいますう

バスはとてもエロいバニラの香りのするバスだった! 

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〈冷房がキンキン!〉


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〈二階建てのバス!〉



 
中国とは大違いで感動した。


ぐうぜーーーーーんすごおい確率でとなりの人が日本人の26歳の女の人だった!!
みかさんはハノイで環境問題の指導をしているジェイカの人!!

環境問題に目を向けてる人は私の今までの友達にはいない。
私は環境問題が小さいときはとてもきになっていたのに、
いつしかその怒りににた情熱は消えていってしまった。

温暖化にたいして怒りってあるのって
私がきいたら
ないっていってた。 え!!


単純に自然も人も好きだから携わりたいって。
とてもいいいいいいですね!!!


みかさんはジャイカとかなにもしらん私にいろいろ教えてくれた。
なんだか昔小さい時によく話していた友達と雰囲気が似てて
安心のテンポが落ち着いてそのまま寝た。


外は夜じゅう大雨でした。
窓に止めどなく流れて落ちる雨水が外の街灯にてらされて
すっごくきれいに見えた。 ●


●09/05/

そろそろ確信してしまった。
私は単に寂しくって食べ過ぎてるみたい。
寂しいって思ってないのに、気づかないうちに思ってるみたい。
あーあ。。。。


今日川にフルート持って出かけたのにまた雨だ。
ラオスは雨季。
パクセの街はやることがなにもない。
ラオスは何もやることがない。
でも他の国でもなにをやることがあっただろうか。
観光観光って先にきた旅行者が見てったものを見ていくだけだったんじゃないか。


私は他の観光者とかに
この数日間どこ行ったのって聞かれるといつも
とてもめんどくさい気持ちだ。
それは沈没しているからな時もあるけど
基本的に、もうその国にきたんだから
どこ行ったのはないんじゃないのって思うの。

何をしてたのってきいてほしい。
人間観察とかしか言えないけど。。。。


ラオスはのんびりです。
なんだかうまく言えないけど。
たぶん好き。
コプチャイ(ありがとう)って言って
顔の前で手をあわせてニコってしてくれます。


もっと考えないとな・・・
このままだとデブにしかなれない。 ●


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〈小便小僧にであった〉



●09/06/

小学生くらいの子供達が店を手伝う風景は
ここじゃ当たり前だ。
ビエンチャンではホテルの中に土足で入っても良かったのに
ここじゃ土足は禁止。(気づかない私はいつも土足だった)


都会とは違ったことがたくさんある。
今日は街で一番大きなスーパーマーケットにいった。
モールみたいなのも予想してたけど
うーん、全然ちがった。


でもそれがとても良かった。
かばん屋さんの家族とテーブルを囲んでお話をした。
言ってもラオ語はわからないんだけど。。       
みんな英語を一生懸命考えて伝えようとしてくれてたけど
まったく伝わってこなかった。


とある旅人は 
『旅の途中で働く人達をみていたら
自分もなにか消費だけでなく
生産性のある生活をしたくなった』


と言っていた。
私はそんなことあるわけないって思って。
だって仕事ってつらいから。 

 

でもなんかここにいると少しわかった気分になる。
水道から水が通っているのがすごいなって思う生活だ。

子供を含め、人々は優しさを知っている。
この優しさは中国人が食べ物をいっつもおごってくれる優しさとかは
違う味のもので。


男の子が覚えたての英語を駆使してお話してくる。
ドゥーユーハブボーイフレンド?
照れくさそうに聞いてくる。


ラオスについてわかったように書きたいですがかけない。
わからないことがたくさんだから。
でもそれが魅力なんだそう。
とにかく私はラオスの人の笑顔だい好きだ。

蚊に刺されまくっていてマラリアとかがとても心配な時期になりました。
あしたうまくいけばベトナムいりする。●


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〈フロントガラスがバキバキ割れたままのバスにのって〉



沈没宿


昆明

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昆明のホステル
かなりいいとこだったけどほとんど泊まらなかった。
ホテルってのは、こういうことじゃないんだよ!
やっぱシムズがいい!


ビエンチャン

いくつか移動したのち、サバイディーホテルというところに泊まった。

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〈病院すぎる〉


あああああ!というおじさんの大声をきいて夢から覚めると、それは窓の外で轟音を立てて降り続くスコールの音だった。
私は東南アジアで初めて、これほどまでの雨に出会った。
毎日がスコールの連続で、日本の雨とは比べものにならない量が降っていた。
必ず、スコールの前には太陽がカンカンに日差しを降り注ぎ、
視界を真っ白に染めた。


パクセ

不明

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〈テレビでファッションショーを見て過ごした〉



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