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世界一周へ-留学

初めての海外が、アメリカ短大への正規留学だった。
交換や短期留学ではなかったので、
予備校に通って英語を勉強した。
全ての手続きを済ませて、うんざりな物を全て日本に置き去りにして
ラブサイケデリコのフリーダムというイケイケな曲を聴いて海を渡った。

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〈日焼けをごらん!〉


それは、日本を出る前から、頭の片隅にあった計画だった。
派手な学生の思い出もなく、自分の人生経験に劣等感のあった私は、
失敗や挫折を経験していない恐れを抱えていた。

そして、カリフォルニアの田舎町に1年も住まないうちに、
それまで仲良くしていた日本人留学生やアメ友のほんのわずかにしか別れを告げずに街をでた。
その後、SNSなどで、私が旅していることを知って
連絡をくれた人もいたけれど、ほとんどの人との交流がそこで
ぷっつりときれた。

この旅で、命が危険にさらされて死ぬことも、
考えていたからだ。


それほどに、私の思春期は
陰鬱とし、抜け道がなかった。



ある年、6月の始めだった。

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〈人がたまに見るべき風景に毎日出くわす田舎町〉



沈没宿

アメリカ留学中はずっとホストファミリーの家にお世話になっていた。

犬が2匹と猫が1匹いて、広くて豪華で、
壁には熊の毛皮が展示?されて鹿の頭も謎に生えてて、
贅を尽くした家だったので、
そこに初めて訪れた時は、自分の運の良さに感動し、
当時のSNSでそれを自慢すると、通りすがりの人に、
「ゴムパッチンの痛み、わかりますか?」と書かれてしまった。


でもみて
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こんな場所に住むこともう人生においてないでしょう。

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〈博物館?〉


でも、ゴムは必ずパチンとくるものだ。
実際、その後の留学生活では谷底のように暗く深い孤独を味わった。

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犬の1匹は、もう1匹の糞を食べた口でヨダレを垂らしてすり寄ってきて、もう1匹は、弱くて臆病が故に、玄関から出入りする人に
誰彼構わず噛み付いた。

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〈本当にあいつは犬なのか〉



フィリピン人のホストマザーは、あんな人見たことがないというくらい、
豪快で、声が大きく。。
彼女は元シェフで、いつも絶品料理をつくってくれ、ブラウニーが最高だった。
彼女はキリスト教なのに旦那さんはアメリカ人で創価学会にはいってて、
娘は旦那の子なのでマザーとは口もきかない目もあわさない。
マザーの方のおばあちゃんは枯れ枝のような細い体なのに、90歳を迎えようとしていた。
マザーとファザーの会話には、なぜか笑顔がなく。
その家はお金さえあるが私の人生や孤独のそれのように?
空間に歪みを生じさて成り立っていた。



カリフォルニアで、私の体は
常に健康だった。よく食べるので肉がついて、
毛穴も引き締まり、髪も、野草のごとくピンピンして艶があった。
旅の直前にひどい風邪をひいた以外は、
土地や風土との相性が良かったのかもしれない。
でも常に寂しかったので、ものを楽しむことなど、
はるかずっと上のステージのことだった。
幸いいくら泣いても、乾燥しているせいで、
涙は秒でなかったことになった。



旅を決めてからは、しかし、
一気に悔いのないように動いた(前回記事さんしょう)。
たくさんのアメリカ人やモン人と遊びまくって
スカイダイビングや登山や、ビリヤードにボウリング。

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〈手巻き寿司つくってます!〉


当時の私は、髪がながくて英語が喋れそうな雰囲気だけしている。

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〈このパンクなシャツは首が空きすぎていてブラの紐がよく出る仕様だった〉


この、殺風景な、なにもない田舎から、
いろいろなところに出て行くことを考えると、
道端にころがっている石ころさえも愛おしい。



これから何が起こるかわからないのだ。
なにを怖がればいいのかわからないということは、
なにも怖くないのと一緒だ。




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〈パンクだ〉




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