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Nipponの温泉文化、再考サイコー (その3:野沢温泉)

地獄谷温泉を後にして、日本の温泉とそれを取り巻く人・歴史・風土などに世界中から人も集まり、お猿さんも集まるのを見ながら、なんかもっと「私の中にある日本」、「埋もれた日本」を掘り起こさねばという思いがふつふつと湧いてきて…、次に目指すは、野沢温泉。

長野駅から野沢温泉へ

渋温泉からほぼ外国人観光客だけの急行バスで、長野駅に向かいます。約1時間。信州の山々が近く、スキー場もちらほら見えます。

須坂から「北信五岳」方面      焼額山 渋温泉の北側の山々  
遅い昼食 長野駅東口 駅そば 信州の八割蕎麦で大満足

さて長野から飯山まで、乗車券は昨日からの続きですが、新幹線では一駅、しかし飯山線で向かっても、待ち合わせ時間を入れたら、さして時間が変わらないので、迷わず戸狩野沢温泉行き鈍行。昔は、名前のごとく、野沢温泉へは戸狩野沢温泉駅からのアプローチだったと思いますが、今は飯山駅からのバスです。

飯山線 戸狩野沢温泉行き キハ110系

長野駅を出て、北陸新幹線とはしばらく並走。リンゴ畑、新幹線の高架橋の向こうは千曲川、左奥の雪山は志賀高原方面になります。

豊野駅からしばらく走り、信濃浅野の手前で、北しなの線(旧信越本線)と分岐。

立ヶ花駅手前から、千曲川が一気に近づいてきます。飯山線、日本の中でも豪雪地帯を行くローカル線です。赤字路線ながらも、車が通れなくなるほどの雪が降る地域を通るため、存続されました。おかげで、日本の原風景を車窓から楽しめます。

三才駅(こちら珍名の部類、駅もかわいい❤) 旧信越本線ともお別れ。  
しばらくは、千曲川沿いをのんびりと走ります。
替佐を過ぎてからしばらく登りが続く 川沿いの山村の景色
飯山線(替佐-蓮)登り下りの20‰の峠
飯山線からの千曲川と高社山

約45分の峠越えをして、蓮駅を過ぎれば、すぐに飯山駅です。右側から北陸新幹線が合流します。
ここから野沢温泉へは急行のバスで約25分。再び千曲川を渡り、いよいよ、野沢温泉です。

また雪がちらついて来ました
スキー場が見えて来て、野沢温泉到着。

本日の宿は「山三荘」

雪が強く降り続き、何とか宿に到着。野沢温泉の温泉街からはやや離れていますが、スキー・スノボのお客さんにはおススメの宿です。残念ながらスケジュール的に滑れませんでしたが…。

比較的大きな宿 山三荘 当然スキーのお客さんばかり

宿には、有名な新旧のジャンプ選手のサインがずらりと並びます。早めの夕食を頂きましたが、こちらもボリューム満点。しかも野菜はほぼ100%自家栽培で、お米まで自家製とのことで、超健康的な夕食です。

野菜が豊富、馬刺し、ニジマスの塩焼き、唐揚げ

内湯は、弱アルカリ性の温泉で、硫黄泉中心の野沢温泉の中では特異ですが、温度的にも入りやすいお湯でした。

野沢温泉のチカラ①:外湯13か所

さて、外湯巡りはこれからスタート、まず宿に一番近い、「中尾の湯」。構えはかなり立派で、浴槽も広い。入ったら、脱衣所と浴槽の部分は同じ空間です。このつくりは野沢温泉には多いようです。

中尾の湯 浴槽は熱め、ぬるめと二つ。

スキー終わった後の時間で、満員御礼。外国の方もちらほら。泉質は、含硫黄-ナトリウム・カルシウム-硫酸塩泉で、PHも8.8でアルカリ性。温泉街の中心のあたりとは違う泉質。

源泉77℃ 加水となってますが、基本、かけ流し、入る人が調整。
温泉総合研究所の指標「還元系温泉」の表示あり。酸化していない温泉の鮮度が高いという証。

野沢温泉、学生の時と、社会人になってから、1度ずつ来てますが、スキーばかりしていて、温泉にゆっくり浸かる時間もなく、野沢温泉は硫黄泉の濁りのあるお湯という印象しかありませんでした。

続いて、中心街の真ん中「大湯」

「大湯」こちらは、ものすごい人。こちら、入場制限必要じゃないかというくらいで、やむなく退散。一番近くで、泉質も近いと言われている「河原の湯」へ。

大湯のすぐ下、昔河原の脇に湧いていたという

泉質は単純硫黄泉。やや緑がかった色がつき、いい硫黄泉でしょ!という泉質で、熱いは熱いですが、少し水を入れるだけで浸かれました。年始で、人が多く、途中、大挙して来たおじさん集団に飲み込まれそうになったので、そそくさと、次のお湯へ。

長坂スキー場に向かう松葉民宿街の道を上ります
松葉の湯 外で寒そうに連れを待ってる方がおられる
一階は「洗濯場」だそうで、ある意味立派なつくり

「松葉の湯」、二階に浴場があり階段を上がると↑な感じ。泉質はアルカリ性単純硫黄泉で、源泉は、大釜・御嶽の混合泉となってます。調べてみれば、源泉は三十数か所あるということで、ブレンド泉が多い理由も分かります。入ってみれば、やや白緑色の濁りがあり、訪れる人も少なく、長い時間浸かってました。
ということで、野沢温泉、硫黄泉で、比較的泉質は均質というイメージでしたが、よくよく入ってみると、微妙な違いがあり、楽しく外湯巡りができます。
外湯というのは、銭湯と同じく、温泉場から消えたら、もう再び、そこに復興させるのは、難しいでしょうけど、あったら嬉しく、賑わいを引き出すポテンシャルは十分ありますね。例えば、箱根湯本なんかはもう二つくらい外湯があったら、夜も人が出歩くんじゃないかなと思ったりします。

野沢温泉のチカラ②:「ザ・温泉街」

渋温泉と比べると広範囲に広がりを持つ温泉街。夜歩いても、昼間あるいても風情があり、以前から魅力的だなぁと感じてました。

大湯通りにつながる道はひと気が少ない
河原の湯の前の通り

大湯通りは、ここはヨーロッパのスキー場かと思うくらい外国人観光客が多く、さすがスキーで押している野沢温泉。おやきを出す店には行列ができ、海外の方が入りやすいような洋風のお店が増えているのも驚き。

大湯通りは外国人観光客多し
「大湯」付近も風情満点

お土産屋は閉店時間をとっくにオーバーしているのに、人が押し寄せてくるので、締められないようです(^^; 温泉街に活気があるのはなによりです。

大湯通り沿いのおみやげ店 海外の方何買うんだろう??

日中は、麻釜の周辺を歩きます。

皆さん日中はスキーですね
宿の朝の雪かきは一仕事

麻釜は、あさがまと書いて、「おがま」と読みますが、元々は麻を茹でて皮をはいでいたことに由来しています。5つの釜というか浴槽のようになっていて、それぞれ温度も異なり、山菜や工芸品の材料、卵を茹でたりと用途を変えて使っているとのことです。昔は入れたと思うのですが、今は一般の人は立ち入り禁止。一番熱い所で85℃もあり、誤って落ちたら大変ですからね。

野沢温泉といえば、麻釜 熱い温泉の熱気が伝わりってきます
管理は地元の方々 時折店の方が出入りしてました

麻釜近くの店で、野沢菜や地のものをお土産に買って、温泉玉子と笹団子を頂きました。温泉の茹で加減は店主のおじさんがこだわっているようで超厳格に管理しているそう笑 たしかに絶妙で、温泉で温めた笹団子も美味しい!
店主のおじさん「もう、客が多くて、パニック、パニック」と叫んでますが、そんなにお客さんいません…。

手前の野沢菜ほか地のものを扱うお店

店は先代から70年続けているけど、「後継ぎもいねぇし、もう雪下ろし怖し、いつ店閉めるか分かんねーよ」とは申してましたが、その元気なら、あと10年20年は行けそう(^^;

絶妙茹で加減の温泉玉子と笹団子
雪は降り続き、温泉まんじゅうの店もフル稼働

あまりに寒いので、坂を下ったところ「麻釜の湯」に最後浸かります。こちらは、名前の通り、麻釜からの引湯、さすがに熱いですが、日中なんで誰もおらず。地元の人が後から入って来られました。

麻釜の湯
野沢温泉の外湯はどこも立派で、きれいに管理されております

こちらも、うすい緑色の単純硫黄泉。ゆっくり浸る。

さすがに麻釜からのお湯は熱かった!

ということで、渋温泉、野沢温泉の外湯、温泉街を歩きながら、この外湯(共同浴場)は温泉場の原型かつ、これは個人(宿やホテル)のものではなく、『授かったもの』という思想というか、「考え」が脈々と続いて、温泉街が成り立ってます。欧米風に言えば、パブリックの考え方(公のものはみんなで作る)というところとほぼ同じ。地縁コミュニティが壊れる中、その地域で核になるものは、やはり核になるものとして大切に扱われてこそだなぁ、と感じました。

野沢温泉のチカラ③:スキー場(スキー博物館)

野沢に来て、スキー・スノボやらずに帰るのか…、というところで、昼食を食べ、バスの発車時間まで2時間あるので、スキー博物館まで行ってみることに。

ゲレンデまではこの長~いエスカレーターのような遊ロード
滑る人が少なそうに見えますが、メインのゲレンデは、左奥の方のリフトでかなり上に登ります

ゲレンデに着いたものの「スキー博物館」の案内は無く、ゲレンデをひたひたと歩き、メインリフトを越えて歩くも、妻・娘は途中リタイア、カフェに消え、ようやく看板が見えるも、雪が深くて進めない…。
諦めそうになりましたが、何とか回り道して、入口に到着!

ココがスキー博物館、日本で唯一!

ご覧の通り、入口は真っ暗。あれっ?と思ったらちょうど職員の方が現れて、「よく来られましたね~」と言葉にはしなかったものの、館内の電気を自分のためだけに付け、暖房も入れてくれました笑

冬よ、つづけ! 1923年(大正12年)に野沢温泉スキー倶楽部が創設。

聞けば、野沢温泉スキー場、来年で100周年! パンフによると1924年に法政大学のスキー山岳部員が12名スキー合宿を行い、これがスキー場の始まりということで、PRにも力が入ります。

本格的な日本へのスキー導入は陸軍から
オーストリアの将校からレクチャーを受けたらしい

1930年に、世界的にもスキーを広めたオーストリアのハンネス・シュナイダーが野沢温泉で、スキー指導を行う。

なんか、かっこいい! 1930年ですからね。

それ以前の日本の歴史の記録は間宮林蔵??

1808年樺太探検の図説、地元民のスキーの履物が描かれている

スキーの存在は江戸、明治期もちらほらあったとか、こんな話から、長野オリンピックの話まで、スキーにまつわるものなら何でも置いてあるような博物館で、恐れ入りました。

館内見物しているのは自分一人でしたが、スキー人形の企画展までやってます!

ということで、是非、ウインタースポーツ好きな方、もしくは冬スポーツのアスリートは是非ここで刺激を受けて頂きたいです、モチベーションUP間違いないし!

充電完了! 2023年、心新たに!

ということで、スキー博物館を見学し、心はスキーを滑ったようになって、下山。バスで、飯山駅まで向かいました。帰りの新幹線、天気が気になっていましたが、案の定、大雪は止まず、飯山線はラッセル車が準備中。在来線は、運転見合わせになっています。

飯山線はラッセル車(除雪車)が待機
外は降りしきる雪 飯山駅はおしゃれなカフェが二階にあります

飯山には、高野辰之の記念館があります。兎追いしかの山の「ふるさと」の作詞家です。この地域で暮らし、その風景がモデルになっているということです。新幹線ができる前はこんなに開けてなかっただろうし、さらにもう一昔前に遡れば、日本の原風景そのものだったと思われます。飯山は新幹線の恩恵を確実に受けますが、旅する人の勝手な願望としては、原風景は残っていてほしいですね。

マルゲリータピザ、リンゴがモチーフ

カフェの中はいっぱいで、寒いですが、窓際の席を取ると、隣りには、ひざ掛けをした受験生?聞いてみると、看護系の学部を目指しているとのこと。看護系もいろいろあるからね、東京の大学にいらっしゃい、頑張って!とかなんとか、伝えましたが、数か月後には、新幹線に乗って北に向かうのか、南に向かうのか…。希望で前途を祝して、別れを告げました。
2023年、こちらも充電完了です! (20230103-04)

看護系の学部を目指して!

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