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春の外房(鴨川温泉・太海・御宿)を巡る旅③
太海・御宿を巡る旅、二日目。明け方は、自然の目覚まし・鳥のさえずりで目覚めました。鳥の主はイソヒヨドリでしょうか、明け方の海岸も素敵で、天の演出かと思えるほど。気持ちの良い目覚めです。
忘れられない「明け方」
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言葉は要らない明け方になりました。朝風呂も、海を眺めながら…
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朝食は鯵の塩焼きに、あさりの味噌汁。定番通りですが、素朴なおかずで、味もしっかりしており、こちらも美味しく頂きました。
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まずは、仁右衛門島へ
本日、二日目はノープラン、館山経由で内房線を回って帰ろうかなと思ってましたが、昨日の仁右衛門島を眺めながら、ここは渡っておきたく。さらに昨晩調べていると、御宿の歴史民俗資料館が3月末で閉館ということを知り、これは行かねばならないということで、この二か所をめざします。
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ということで、この赤旗、どこに向かって振ったら良いかもわからず、ひとまず旗を手に取り、5秒間くらい海に向かって振ってみました。
なんのリアクションもなし…
仕方がないので、隣の市場に写真を撮りに…。
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乗り場に戻って、「やっぱ、振りが足りなかったんだ、今度は30秒くらい振ってやろうー」と思っていると、向こうから来ました、小舟笑
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「すみませ~ん、お待たせして~」と明るく、二人で手漕ぎ。
乗るのは私のみ。朝一から、一人で、何だか恐縮…
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気になっていた灯台らしき建物は、昔この近くに定置網を張っていて、その見張りに使っていたということでした。
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鶯、メジロ、とんびが、そこかしこで、鳴いています。
さて、この島、鎌倉時代の初代・平野仁右衛門以来、一戸だけが住居している所から島の名前が来ているとか、現在38代目? 1180年に頼朝が石橋山の戦いで敗れた後にこの島に身を隠したとのこと。ということで周囲4kmの島ですが、島の遊歩道は20-30分もあれば、回れます。
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芭蕉が来たわけではないですが、いろいろな方の句碑が点在してます
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そして日蓮伝説のすぐ脇に、頼朝が身を隠したというほら穴があります。日蓮は確かに安房小湊出身、鎌倉時代の重要人物が本当にこの島を経由したというなら、何か因縁を感じる場所です。
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ここで、家臣と一緒に過ごしたのか
ということで、伝説多し仁右衛門島を後にしました。
1時間に一本しかない内房線、乗り過ごさないよう、太海駅へ。
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閉館惜しまれる「御宿歴史民俗資料館」
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駅前の観光案内所で、レンタサイクルを借ります。2時間で400円。なんでみんな借りないんだろう…。最新の電動自転車で、まずは歴史民俗資料館へ。
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かつて御宿町には大勢の海女がおり、サザエ、アワビなど豊富な海の資源を採取していた。御宿町の海女は全国的に有名だが、それはその姿を撮影した人々がいたためである。現在海女の文化は後継者不足に陥っているものの、今回展示する写真は当時の暮らしを鮮明に物語っており、小さな空間に半世紀前のストーリーを復元させる。
また、御宿町には海女のほかにも興味深い文化遺産が多々あり、ドン・ロドリゴ関連遺産や神楽囃子は後世に伝えるべきものである。さらに、昨今大河ドラマで話題の武将上総広常の史跡に関する展示もしているほか、当館に所蔵している指定文化財を全て公開しており、歴史と文化を学ぶことができる。
海女さんの写真は、御宿の撮影で有名な岩瀬禎之氏と市井の写真家田辺隆氏のものが展示されていました。
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私も伊豆の出身ですが、小学生の頃には、親戚の家に泊まりながら、海水浴をするときには、遠くの磯辺で、海女さんが数人で、潜っているのをいつも見てました。子どもながらに、大変な仕事だろうなぁと。
千葉県が編集したカラーの映像も上映されており、貴重な映像でしたが、これら見れなくなるのは本当に残念。御宿の大事な歴史の一ページですからね。これからもどこかで見れるようにしてもらいたい(懇願)!
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月の沙漠をはるばると~
さて資料館から、海岸の方に自転車で数分。月の沙漠記念館へ。御宿と言えば、「月の沙漠」が作られた場所。「加藤まさを」という詩人・画家・作詞家が結核の療養のため、御宿にいた時にここの海岸をモチーフに作詞されたのがこの曲でした。
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今行くと、御宿の海岸は、平たい砂浜の海岸という感じですが、下の写真のような部分もあったようで、なるほど沙漠の着想があったのだなぁと分かります。
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佐藤まさをは、画家という肩書もあり、大正時代、竹久夢二と並び人気を博した絵を描いていたとのこと。
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日本とメキシコ、架け橋の地
さて、御宿で最後に訪れる地は…、「日西墨三国交通発祥記念之碑」日本・メキシコ・スペインの友好記念する記念碑です。民俗資料館では、自転車は結構きついですよ、とのアドバイス。こちらは何せ最新の電動自転車なので、googleの地図を見ながら、激走!
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この記念碑、事の起こりは、こうです。
1609年9月30日スペイン船サン・フランシスコ号(メキシコ生まれのドン・ロドリゴ総督)がフィリピンを出帆し、メキシコに向かう途中、御宿の岩和田沖で座礁し、岩和田村の近くの田尻海岸に泳ぎ着いた317名の乗務員を御宿の岩和田村民が助けました。幸い、御宿が漁村だったので、海難の人たちに対応できたのでしょう。とは言え、当時の岩和田村の人口が300人余り、村民の生活は貧しかったけれども、裸同然の乗組員に、衣服や食料を与え、救ったということです。村の人口を超える異国の人を助けるのはどれほど大変だったことでしょう。村民総出だったと思われます。
彼らは私たちの事を気の毒に思ってくれ、女たちは泣き出すほどであった。日本人は非常に同情心が強いようだ。そして女たちは、夫の服を私たちに貸してくれた。それは「キモノ」といって、綿でできたものだった。女たちは実に気前よく、私たちにその着物をあてがってくれた。また、彼らの食糧である米、大根や茄子などの野菜のほか、村の浜では量が出来ないにもかかわらず、魚までしばしふるまってくれた。
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「ロドリゴ上陸の地は遠すぎますよ」という忠告もあり、電気が切れた電動自転車の怖さは知ってますが、ここまで来たら、やはり目指すしかありません。下りは電源offにして、節電しながら、再び激走。
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たどり着いたメキシコの乗組員たちを、400年以上も前に、ここで介抱したですね。WBCも至極白熱でしたが、日本人とメキシコに人たちとの出会いはここから!感慨深いです。
さて、ここからまた1km戻り、メキシコとの友好記念碑のある場所に向かいます。
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この記念碑の由来には下記のように記されています。以下抜粋。
乗組員373人のうち、56人は溺死、残る317人は岩和田村民により救出された。この時海女たちは、飢えと寒さと不安にうち震える異国の遭難者たちを、素肌で温め蘇生させたと伝えられている。大多喜城主本田忠朝の判断により遭難者たちは37日間岩和田大宮寺に滞在、村民の手厚い保護を受けた後、江戸城に至り、将軍秀忠に謁し、さらに駿府に至り家康に謁し、翌1610年家康が三浦按針に建造させた新しい船を与えられ無事メキシコに帰国した。(略)~一覧の史実はすべてこの岩和田村民の心意気に発するものである。我等の先祖の美挙を後世に永く伝えるため、また永遠なる国際親交を祈願して、~この記念碑が建立された。
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この事件の後、翌年メキシコからは御礼のため特使を送り、家康と面会するもオランダからの横やりが入り、少し冷たく扱われたとか。家康の死後、二十数年で、日本は鎖国に入るため交流はスペイン、メキシコとの交流は途絶え、この史実も忘れられます。
しかし、明治になり岩倉具視使節団らが欧州訪問の際、この御宿での事件があったことを知るようになり、それが日墨交流の契機となりました。
1888年(明治21年)、日本とメキシコは「日墨修好通商条約」を締結し、これがメキシコにとってはアジアの国との初めての条約となり、日本は欧米列強国と不平等条約を結んでいた中でアジア以外の国との初の平等条約となったということです。
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270年の時を経て、御宿の人たちの心意気が、平和の種となったという何とも心揺さぶられるエピソードでした。まさに郷土の誇りになるエピソードであり、危機を機会に変え、平和をつくり出すのは、政治や戦争ではなく、我々次第だと改めて考えさせられる歴史の一幕でした。
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次は、家族や知人も連れて、この地を訪ねてみたいです。
是非皆さまも、訪ねてみてください~。
長々と、お付き合いいただき、ありがとうございます。 (おわり)