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港・気仙沼&湯・花巻のんびり旅③

鉛温泉・藤三旅館を後にして、新花巻駅周辺の観光スポットを巡ります。最終日は、宮沢賢治ゆかりの地を中心に、丸一日楽しむことが出来るエリアです。快晴のイーハトーブを楽しんでみます。

やはり東北屈指の名湯!「藤三旅館」

朝起きて、銀の湯しろがねへ。大きな旅館で、3連休でお客さんも多く、撮影許可も気が引けるので、お風呂の写真はHPより拝借。

こちらはこじんまりとしたお風呂で、男女交代で浸かれる (藤三旅館 HPより)
浅瀬の渓流沿いにある藤三旅館

「白猿の湯」に続いて、素晴らしいのが「桂の湯」。男女別で、内風呂に、大きめの露天風呂もあり、川も近く、たいそう寛げるお風呂です。

こちらは女性?(もしかしたら入れ替わりあるかも)(HPより)
川に近い湯舟とこの上にはもう一つ大きな露天風呂を備える(HPより)

白猿の湯、桂の湯は、何度入っても、心地よい名湯の名に相応しい湯でした。評点は以下の通りW!
名湯度:♨♨♨♨♨
自らぶくぶく度:♨♨♨♨
昭和な宿度:♨♨♨

流れるのは豊沢川 川べりの宿好きです!
ロビーは昭和な雰囲気 こちらもゆったりモードの空間
ロビーからの眺め まだ11月初旬 紅葉はまだ
銀河鉄道エレベーター
川沿いのお風呂はこんな景色を眺めながら…

賢治の夢見たイーハトーブ

鉛温泉を後にして、シャトルバスで、宮沢賢治の記念館に向かいます。バスに揺られながら、「アンドロイドのお姉さん」も評していましたが、重低音、激渋の声のアナウンス。インパクト強すぎで、無料シャトルバス乗る際には楽しみにしてください笑

今日も快晴、紅葉只中だったら、さらに素敵だったでしょう
北上の平野に降りてきました のどかな風景が続く
大いなる北上川通過! 
新花巻駅 駅前

さて、新花巻駅から市内の循環バス(一回100円)は本数が少ないですが、こちら使うと、以下の優待券をいただけます。こちら、なんと該当の施設が無料になるという大特典。

5つの施設が丸一日無料で入れる!  

宮沢賢治記念館

さて、イーハトーブとは宮沢賢治が造った造語、エスペラント語にヒントを得て作った「理想郷」という言葉。賢治は、比較的裕福な家に生まれ、妹も日本女子大に通っており、東京にも何度も来ていますが、憧れの地は東京ではなく、この花巻を理想郷にしたいという思いが増していくのでした。

ここから丘の上の記念館へ
(↑左端に詩がある)  367段の「アメニモマケズ」の忍耐階段 
階段を上がり切れば、北上の澄んだ展望 左奥に岩手山 新幹線が一直線に伸びる

記念館は宮沢賢治の生涯や作品群が詳細に展示、かなり網羅的なので、宮沢賢治ファンにはたまらないでしょう。

こちら、じっくり見学
1900年前後 東北もいろいろあった

享年37歳の生涯ですが、童話の世界は言わずもがな、農業、自然科学、絵画・音楽など、守備範囲は広いです。特に小さい頃から、石コ賢さんと言われるくらい地学的な方面に興味があったので、親近感湧きます。

水彩画も独創的なものばかり
賢治が愛用したセロ(チェロ) 
製作者は、鈴木政吉(スズキメソッド慎一氏のおやじさん)
農学校の教鞭を退いて、「本統の百姓」になって、「農村をあかるくしよう」
農民芸術の実践  晩年、東北砕石工場にも勤務

父の影響で、法華経による信仰心は篤く、終生、心の支えとなっていたようです。40代、50代と彼が生きていたら、この花巻、岩手はどんな風に変化していたでしょう。

山猫軒~注文の多い料理店~

さて、お次は、こちらで腹ごしらえ。

山猫軒
ご遠慮ありません
肥った方、若いお方、大歓迎
注文はずゐぶん多いでせうが
早くあなたの頭に瓶の中の香水を
よく振りかけてください

ひぇ~と、昔読んだ「注文の多い料理店」リアル、なのでした。

むしゃむしゃ
店内は至って普通 お昼時は大混雑なので、要注意
普通に白金豚プラチナポークのカツカレーを頂きました~

宮沢賢治童話村 イーハトーブは心の中に

再び、階段を下ったすぐのところに、銀河ステーション。

ここをくぐれば、童話村
こちらが初代、銀河トレイン?
芝生の広場を中心に宮沢賢治ワールドが広がる
「賢治の学校」では童話の世界そのもの
宇宙空間?!
風と雲の空間 虫の世界などなど
人形で読む「セロ弾きのゴーシュ」
注文の多い料理店 手の込んだ人形、完成度が高い!
続いて、「賢治の教室」エリア

一棟ごとにテーマがあり、賢治ワールドの学びが出来ます。子供心がよみがえる時間。なんか、懐かし~い感覚。子供のころに必死に動物、植物を追いかけていた頃を思い出しながら…。

タヌキは楽しい音楽の先生!
歩き疲れて、娘とリンゴジュース飲ム

新渡戸稲造ゆかりの地

こちらは、観光客があまり行かないスポットですが、宮沢賢治の世界から少し外れたところにあります。新渡戸稲造のゆかりの地、新渡戸家の屋敷跡のそばに「花巻新渡戸記念館」。

稲造の祖父、新渡戸傳(つとう)ゆかりの地

新渡戸稲造自身、南部藩出身で、生まれたのは盛岡城の城下。しかし、彼の影響は明らかに新渡戸家代々の奉仕の精神、文武両道などから来ており、稲造がそれらの結実のような人生でした。

残念ながら館内は撮影禁止

祖父のつとうは、三本木原(今の十和田市近辺)の広大な土地の開拓に着手。堰を作り、トンネルを掘り、4年かけて上水が完成。さらに傳の嫡子・十次郎(稲造の父)が新しい街の構想をして、今の十和田市の市街地の基礎を築きました。田畑をひらいて、米が初めて収穫できたのが、1860年。その二年後に生まれた子を開拓地域で初めて収穫した稲にちなんで「稲之助」と命名、これが新渡戸稲造になります。

クラーク博士の一言 稲造の書

新渡戸稲造が札幌農学校に学び日本初の農学博士になり、教育者としても活躍、同郷の後藤新平の誘いもあって台湾の総督府で、台湾糖業の指揮をしたことなど、明らかにこの新渡戸家の精神が伝わっているのでした。

日常の行動そのものが本試験、世の人みな試験官!

晩年は、軍国色強まる日本と西洋列強の狭間に立ち、東西の架け橋というより、国際社会で孤立する日本の代弁者になりながら、十字架を背負い、犠牲の精神で、イエス様のような人生で幕を閉じることになりました。

国際連盟を脱退後、日本の立場や状況を米国で訴え続けるも、サンフランシスコで亡くなる
左は奥様、クエーカー(フレンド派)信徒
国を思ひ世を憂うればこそ何事も忍ぶ心は神ぞ知るらん

上記は、満州事変前後に軍部を批判したということで、一部から批判を受けた時期に、心境を託した和歌の一つと言われています。
戦争の足音が近づく中で、なかなかその信条を表に出さなかったと言わる新渡戸稲造。この世代が居なくなってしまってから、完全に日本は戦争に傾いていくことになります。今の世界をどんな心で天国から、眺めているのか…。
新渡戸稲造が好きだった言葉に以下があります。

「Haste not, Rest not」 急がず休まず

ゲーテの格言より

次は銀河鉄道に乗って…

あっという間の3日間。日が西に傾きました。釜石線を横切り、新花巻駅へ。このまま日が暮れたら、空には星がきらめいて、このまま、銀河鉄道になりそうな雰囲気です。

釜石線  昔、軽便鉄道の頃、銀河鉄道の着想をここで得る

ちょうど新花巻駅から釜石線が一両、釜石に向かいます。一時間に一本もないローカル線です。

車両は山を越えて、釜石へ

気仙沼から花巻へ、ちょっと変わったルートでしたが、ゆったりでしたが、恵みも、学びも、盛りだくさんの旅でした。
また花巻の温泉には浸かりに来ますよ!(完)(2024.11)

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