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関東最後の秘境~回心の加仁湯②

心も体も温まる加仁湯。朝はまだ小雨が続きますが、素晴らしいお湯に浸かることは、個人的には贅沢の極みです。今日はどこかを目指すプランもなく、近場の滝を見て、帰る予定だったのですが…。

加仁湯の贅沢なお風呂

5:30 露天風呂は最初から最後まで一人でのんびり
空が白むまで、長湯 こんなゆったりした時間も久しぶり
「かもしかの湯」 ひとりサイズの湯舟
朝食は山菜を中心に、ヘルシー 温泉粥に平家納豆
ロビーも素朴、気がつけば、外はかなりの紅葉

利き湯・ロマンの湯

常連さんから「是非それぞれの湯を入り比べたい」との声があり、実現したという利き湯・ロマンの湯。

なぜに「ロマン」!?

加仁湯の5つの源泉がそのまま、注がれています。どれもそれなりの高温なので、長湯はできませんが、それぞれの源泉の違いを楽しみつつ、絶景を見ながら浸かれます。

湯舟は浴槽サイズ 朝からここに浸かる人は私だけ
5つの源泉のうち、「たけの湯」のみにごりの無いお湯(旧重曹泉)

絶景の第二露天風呂

日が出て来てから、気がつきました、こちらのお風呂、絶景のロケーションで、下から色づいた木々と絶壁を眺めながら…

この淡い青色の湯がなんともサイコー
ここも独泉
どこから湧き出るのか小さな一筋の滝が、神秘的
貸し切り露天風呂も誰もおらず…

日光澤温泉へ

さて、加仁湯を後にして、この後のプランは、澤温泉の奥にある滝を眺め、澤温泉に寄り、徒歩で、女夫渕駐車場まで下り、帰るプラン。

10月20日前後が紅葉の見どころですが、やはり今年は後ろにずれている
それでもなかなかの紅葉 加仁湯を横に、澤温泉を目指す
流れる川は鬼怒川! 川の脇の道をひたすら歩く
澤温泉手前にも滝
日光澤温泉 ここの硫黄泉の露天風呂も秘湯好きには有名

こちらは後ほど浸かる予定で…

オソロシの滝で、the End…

写真では伝えきれない美しさ こちらも素晴らしいロケーションの宿
澤温泉の裏手 素晴らしい紅葉

ここから20-30分くらいのところに二つの滝があります。その名も、オロオソロシの滝とヒナタオソロシの滝。名の由来は「日陰」(オロ)の「恐ろしい音がする」滝、ヒナタオソロシの滝は、「日向」(ヒナタ)にある「恐ろしい音がする」滝ということでやや物騒ブッソウな名前。

巨大な岩は高さ3-4m以上はありそう
日光イワナ、釣ってみたい!
桃源郷 奥鬼怒までは3.1km

ここから桃源郷と言われている奥鬼怒までは近そうですが、ここから片道2時間以上はかかるらしく、今回は断念。ヒナタオソロシの滝、展望台を目指します。

鬼怒川を一回跨いで、急な山道へ

しばらく歩くと、小雨が降り出し、道はやっとのことで見分けがつく程度。この先にも温泉あるようですが、到底行けそうな道ではなく、しばらくすると道まで、あいまいになってきました…。

ようやく見えました「ヒナタオソロシの滝」

遙か下に鬼怒川が流れ、ようやく滝が見えて来ました。しかし、展望台らしきものはなく、道もどうも外れている。今日はココで終わりと思い、写真撮る為、3mくらい下まで降りようと思って、木に捕まりながら下りるも、足元が緩く、滑り落ちる…。右肩がゴキゴキと音がして…。
これは脱臼したなと。
捻挫対策とか、ひとりで動けなくなる時の想定は常にしてましたが、まさかここで脱臼とは…。

教訓と悔い改め

(ここから少し痛い記事…mm)
澤温泉まで下りは20分くらいなので、急いで下り、アドレナリンのせいかここまでは何とかたどり着く。少し休ませてもったら、体が冷えてきたら、痛みと共に体が動かなくなりました。加仁湯から車を出してもらい、結局、途中、救急車ドッキングで、3時間かけて今市の病院まで。

初「脱臼」こんなに痛いとは…

対応してくれた先生は内科の先生でしたが、幸い先生自身が、脱臼経験者なので、肩に麻酔を打ってあっという間に入れてくれました…。多くの方に支えてもらって、迅速に対応してくれて本当に感謝でした。そのまま、右腕を吊って、帰宅。

ひとり山登りは本当に要注意ですが、「道が分からなくなったら、分かるところまで戻る」とか、「雨降ったら足元注意、判断厳しく」など、いくつかの鉄則を犯していて、反省ばかりです。背負っている荷物の重さも考えねばならなかったし、30代なら外れなかっただろうに、と登山部出身の友人に話したら、「30代じゃないしね」と。おっしゃる通り。奇しくも、大谷SANと同じ日に脱臼したため、会社では、「怪我もワールドクラスですね」と声をかけられる始末💦
ということで、しばらく「ひとり山登り」は自粛しますmm

~反省の記~

こういう状況で、クリスチャンは何を考えるか、次につなげるか記して、この記事を終えます。あくまで個人的な悟りですが、記録のため。
ちょうど、自分の教会の今週の主日(日曜日の礼拝)のタイトルが地球が回るように、毎日すべきことをしなさい」 でした。聖句は以下の二つ。
使徒行伝20章24節『しかし、わたしは自分の行程を走り終え、主イエスから賜わった、神のめぐみの福音をあかしする任務を果し得さえしたら、このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思わない。』
ローマ人への手紙14章8節『わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。』

この聖句は、イエス様が亡き後に、イエスの教えを伝え廻ったパウロという弟子が残した獄中での極的な状況での言葉でした。強烈な聖句でもありますが、個人的には好きな聖句。
このパウロ先生、イエス様が生きている時には、イエス様とその弟子たちを迫害をしていた人物。ところが、ある日、イエス様の霊に呼びかけられ「回心」し、一転イエスの教えをヨーロッパに伝え始めるのでした。(ちなみに、この回心の時に「目から鱗のようなものが落ち…」という聖句から「目からウロコ」という言葉が生まれる)

肩が外れた時に、「う~ん、これは肩も外れたが、主の道からも少し外れた、一線超えたからだなぁ」と即感じました。上記の聖句が頭をよぎりました。パウロ先生は「自分の身は代価を払って主に買い取られた生だ」と表現し、自分もまた少なからずそのように考えているのでした。
しかり、あまりに自分中心・自己中心は自分も望んでないし、自分らしくもないし、神様も望まないというところで、今回は、「ちょっと待った!」という天からのメッセージでした。
そんなこんなで、2024年の自分の生活と自分の考えを点検し、「自分がすべきことは何か?」を考え、振り返る、年末にしていきます。
「加仁湯の回心、我も回心」
ということで、個人の気づきまで、お付き合い頂き、ありがとうございました!

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