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信州温泉旅情(別所温泉・鹿教湯)③

本日は、鹿教湯温泉から上田に移動。上田城とその周辺を歩きます。市内に入っても、温泉モードは止まず、学びとくつろぎの時間に。
前日はこちら。


鹿教湯温泉の朝

鹿教湯には二つの外湯+「クアハウスかけゆ」があります。クアハウスは近代的でもう一日あれば、じっくり癒しの場所にはなりそうで、湯治場らしい施設です。もう一つの外湯は中心地から少し徒歩で十数分くらい下ったところにあるので、日が昇る前に、向かってみます。

外はみぞれ混りの雨 寒い~

近くに着くも、どうしても見当たりません。明け方に民家のあたりをウロウロ、公民館のあたりをウロウロと探りながらも結局見つからず、でした。
後で考えたら、灯りがついていないのは当然なんで、灯りを頼りにしたのが間違いでした。また次の機会に。

高梨共同浴場 たどり着けず…
寒すぎなんで、24時間入れる宿の内湯に浸かります
湯舟に注ぐ源泉もそのまま飲める
部屋に戻り、外を見れば、山の中腹からは雪

朝食は場所を移動して、この日も野菜たっぷりの朝食。

湯豆腐、煮物が染み入りましたW
雪も舞いましたが、ひとまず止んでくれました

最後にもうひと風呂。お風呂は一部循環となってましたが、よく見れば、湯舟の端から、お湯は流れ、ほとんどかけ流し状態。

衛生管理のため一次ろ過、旅館の気配りと見るべきでしょう

望山亭「ことぶき」ともここでお別れ、女将さんはじめスタッフの方々も大変親切で、清潔感と料理も満足度高く、特に女性にはおススメのお宿です。

五台橋と薬師堂 見納め
おぉ、湯端通りからは、見事な「鹿教湯富士」 ちょうど雪を被って富士山のようです

この湯端通りの付近では、初夏にホタルも見れるということで、初夏のホタル、秋の紅葉といつ来ても良さそうな鹿教湯でした。

丸子温泉郷

千曲バスで、上田市街地へ

バスで、内村川沿いを下っていく街道は、よく見たら、国道254じゃないですか、都心では川越街道にあたります。東に向かえば、松本までつながっているという長大国道。鹿教湯を出たらすぐの集落に「大塩温泉」という名前が出てきます。こちらは、信玄の隠し湯とアナウンスされていました。
更に下ると、「宮沢」というバス停で、お客さんがかなり乗ってきます。
ここは「霊泉寺温泉」の入口なのでした。

霊泉寺温泉(うえだトリップなびより)

鹿教湯、大塩、霊泉寺とこの3つで「丸子温泉郷」と呼ばれており、国民保養温泉地に指定されています。

鹿教湯の鳥観図 赤丸が大塩温泉、青丸が霊泉寺温泉

大塩、霊泉寺温泉とここに来なければ、分からなかった温泉地であり、次来るときにはこちらも足を延ばしたい。

バスは内村川をひたすら下ります

上田の駅に近づけば、千曲川が造った河岸段丘的な地形が続きます。

写真がイマイチですが、河岸段丘

城内にある「上田市博物館」

上田駅から上田城までは徒歩で10分強。途中、上田藩主のお屋敷跡を眺めながら、まずは、上田市観光協会へ。

江戸時代の上田藩主の館 今は上田高校に
旧上田市図書館 製糸業で栄えていた頃の立派な図書館
観光協会二階に上れば、真田尽くし
こちらの立体マップは分かりやすく真田氏の舞台を一望
二の丸橋を渡り右手に折れれば、直ぐに上田市博物館

当然ながら、真田氏の展示物がお目当てですが、今回は企画展で「信州上田湯けむり紀行」なるものが開催されています。

どでかい暖簾 常設展示物と同じスペース

外側の展示物は真田氏や藩主松平氏関連の展示、内側には温泉企画。もう目移りするんで、一周内側を見て、もう一周して、歴史物を拝見しました。

信州上田湯けむり紀行

「(鹿)が(教)えた(湯)は特(別)な(所)」ということで、丸子温泉郷と別所の温泉企画展。

タイミングよく、ど真ん中の企画展 笑

過去の絵ハガキの写真やチラシ、パンフなどから始まり、かなり本格的な文献まで展示。

別所にも湯治宿があった
鳥観図には 別所にスキー場があったことも記されている
昔の温泉分析書

上記のようなお気軽な展示物から、下のようなマニアックで貴重なものまであります。

江戸時代に藩が所有していた源泉が廃藩置県で国有化
それを別所村が大金を払って買い上げる
鹿教湯温泉のふぢや旅館にあった鏡文字木版 これを使って効能が書かれたちらしを作成
上田藩主も湯治へ行きたい! 「発疹で困っており、3週間留守にするので、城下をよろしく」笑
「飲泉器」左はmade in チェコ 右がそれを模した鹿教湯温泉の磁器 鹿のデザイン!

こちらは、今回通過しただけの、丸子温泉郷の「大塩温泉」。

現在 旭館はコロナで休業となってます 大塩温泉で入れるのは共同浴場のみのようです
鹿教湯温泉場全図 今よりも宿泊施設は確実に多かった

ということで、カメラOKで、載せきれないほどの資料。見ているだけで、温泉に浸かったような気分に。温泉ネタによる「プラセボ効果」。

徳川家、天敵の拠点「上田城」

歴史物の展示も見ごたえあるものばかり、妻は「どうする家康」からの熱が冷めやらずで、展示物に、のめりこんでいます。
こちらは、中学の時に見た大河ドラマ「武田信玄」(新田次郎原作)から戦国時代に突入したので、真田は少しだけかじってますが、一番偉かったのは真田幸隆でしょう。彼が居なければ、真田家代々、あんな知略に富んだ生き延び方はできなかったはず。

真田幸隆 出自は謎

こんな戦国時代の実際の「のぼり旗」はなかなか見れないのでは…。

六文銭の実物の御旗 血痕での汚れでしょうか…
真田正幸の甲冑

個人的には↓幕末の、この辺りの展示が面白かったです。

最後の上田藩主 松平忠礼ただなり 新政府側なんですね
しかし廃藩置県でお役御免 こんな辞令は初めて拝見

ということで、展示物はごく一部、語りつくせない市民博物館を後に、お城の城内へ。

東虎口櫓門ひがしこぐちやぐらもん こちらが一番大きな出入り門
「真田石」真田信之が松代へ移封される際、父の形見で持っていこうとしたが動かなった
石垣は江戸時代でしょうか 幕末には櫓門2基、櫓7基があったそうですが、今は一部を復元

上田の二回の戦はあまりに有名で、二度の徳川との対峙も撃退し、2回目の徳川秀忠に至っては、ここで秀忠軍が足止めをくらい、関ヶ原の戦いに間に合わないという失態に至らせる。関ヶ原が終わった後には、当然、徳川家に破壊されますが、しかし、もともとは家康が命じて、これを支援して、真田昌幸が築城。まさに家康にとっては、悶絶極まりない上田城なのでした。

今回一番見たかったのは、こちら城の南側にある「尼ケ淵」の崖
石垣の奥にあるただの崖ですが、

この城の左側には当時、千曲川が流れており、自然の要害をつくり出していました。こちら側からは攻められない。しかし、同時に千曲川の浸食も甚だしく、結局石垣を築くことになりました。名城に自然の要害ありです。

今は千曲川は、数百メートル南を流れる

お次は城の東側へ。こちらは二の丸のお堀の中の道ですが、なんと過去には、お堀の中に電車が走っていました。

お堀の中を走っていた電車はここだけか… 右端の上部に電線跡
この写真と比べたら、ホームも残っていた(上田丸子電鉄の記憶より)
上田温泉電軌 北東線 菅平高原方面に向かって延びていた 
どことなく電車が走った面影が

「北国街道」

さて、上田城を後に、少しだけ、旧街道を歩きます。城の北側に西にまっすぐに延びている街道が「旧北国街道」。起点は中山道の追分宿(信越本線「信濃追分」駅付近)から越後へ抜ける街道です。

こちらが越後方面

やや、古めかしい家もありますが、普通に歩いていたら、そこまで街道の気配はしないでしょう。

紺屋町 歴史的な建物が点在
蔵が現れ、ようやく「宿場」の雰囲気に
柳が垂れる柳町エリアに入ってきました
「保命水」 昔お寺の境内から木管でここに引いて、北国街道を往く人たちに使われた
昔ながらの街並みが続きます
年始で空いている店が少なかったですが、季節の良いシーズンには賑わうことでしょう

復興の「架け橋」

上田市のメイン通りに戻って来て、駅方方面に向かいます。

池波正太郎の「真田太平記」館

お腹が空いたということで、上記には残念ながら入れず、食事処を探します。駅近くのお蕎麦屋さんへ。

塩田屋 おそば、うどんのお店

3日連続のそばになりそうなので、ココでは、うどん。こちらは、鍋焼きうどん、娘はきのこ蕎麦、妻は「真田うどん」。真田うどん!?とは、初耳。聞けば、この店のオリジナルということで、真田ひもという真田にまつわる平たい紐があるようで、それを模したうどん。

真田うどん ほうとうよりもさらにぶ厚い けど、美味しい!

信州上田ともあと1時間半でお別れ。名残惜しく、今一度、千曲川を見に歩き始めました。

河川敷はかなり広々としています 令和元年10月の台風で大洪水になりました
初日に通過した上田電鉄の鉄橋 橋脚も付け替えたのでしょうか、左岸の堤防もまだ新しい

当時の洪水で、上記の橋の向かって一番右側のトラス橋が落橋しました。ニュースの画面を見ていて気がついたのは、明らかに越水(堤防の上を越えて水が溢れる)箇所があること。これは堤防の設計上、100年に一度あるかないかの降水量だったということになります。

かつての河川敷には大きな雑木も 
今は切ってしまったか、洪水で流れたか…

あの時、長い付き合いの友人夫婦の実家が千曲川沿いで、ご両親、1階の天井近くまで水が来て、もうダメかと思ったという話を聞きました。友人も休み返上で泥かきに行っていました。あれから、5年、地震、台風ほか日本は自然災害と隣り合わせの国。普段からの備えあっても、それでもなお、災害を食い止める事は難しいのを痛感します。

この鉄橋が信州上田の復興のしるし 

この千曲川鉄橋が復活したように、北陸の復興を祈りつつ、小さなことでもできることを探して、動いてみます。了   2024.1.2-4


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