信州温泉旅情(別所温泉・鹿教湯)①
2024年、心痛むニュースが飛び交う中、1年がスタートしました。知人の安否も気遣いながら、キャンセルも頭を過りましたが、鉄道の方はなんとかたどり着けそうだったので、信州の二つの古泉を巡る旅となりました。
別所に行くなら、上田電鉄「別所線」
昨年年始は、渋温泉、野沢温泉と強力な「外湯」をいくつも持つ北信の温泉場でしたが、今年も再び長野となりました。
かつて新幹線がなかった頃は、L特急「あさま」で、上野から上田までは碓井峠越えの3時間弱。今では、東京ー上田は新幹線「はくたか」なら、1時間半は切るので、かつての半分で上田まで行けるのでした。
指定席はほぼ満席、都心は曇りでしたが、進むにつれて雲は切れていきます。大宮を過ぎて、スピードは上がっていき、A席からは、あっという間に赤城山が見えてきます。
車窓は、赤城山山麓を眺めながら、「安中榛名」通過、碓氷峠の山中・トンネルを抜けると、あっという間に軽井沢。浅間山の雄姿を見ると、「また、長野来たよ~」とご挨拶。
上田駅11:51着、1時間20分切っていました、速い!高校三年生の頃に、信越本線で碓氷峠を越えた時は、木の枝も掴めそうな、ゆっくりした速度で、まさに山奥を往く峠越えでした。
上田丸子電鉄?上田交通?「別所線」
さて、上田駅からいよいよ初「別所線」です。「上田交通」だと思っていたら、上田交通の鉄道部門を独立して、もうとっくに「上田電鉄」という会社に変更していました。
上田駅を出て右にゆっくりカーブして、千曲川を渡ります。ここで別所線の名所がいきなり現れます。5連のトラス橋は、令和元年(2019年)10月の台風で一部流され、1年半近く不通となっていました。地域の多大なバックアップもあったのでしょう、見事に復活。
この千曲川に架ける橋、当初の資金では作れなかったようで、一番最初の開業時は、上田駅はなく、千曲川を渡った「城下駅」からの開業。お金を貯めて、新品の千曲川の鉄橋をかけて、上田駅に繋がるようになったとか。
このあたりは、雪も少ないが、雨も少ないので、ため池があちらこちらにあります。電車は「下之郷」から右に折れて、別所を目指します。下之郷は車両基地がありますが、昔は、西丸子線との分岐駅。
「下之郷」を出てすぐ急な右カーブを曲がると、住宅の数もずっと減って、田園地帯が続きます。
終点一つ手前の八木沢駅を過ぎたあたりからは、一気に勾配がきつくなります。山も迫ってきて、最後の勾配は40‰で、別所温泉駅到着。
愛おしき「別所温泉駅」
テツでなくても、カメラに収めたくなる可愛い駅舎とホーム。ベンチには、電車の発車を待つ子が手すりにしがみついております。
ホームの北側短い引き上げ線の部分には、かつての上田交通の車輌と言えば、こちらの「丸窓電車」。ひっそりと保存されています。パッと見、綺麗で今にも走り出しそうです。
いざ、別所の温泉街へ
別所温泉、歴史はかなり古く、枕草子に出てくる「湯は、ななくりの湯、有馬の湯、玉造の湯」のななくり(七久里)の湯が別所という説があり、さらにさかのぼれば、日本武尊が7ヵ所の源泉を見つけ「七苦離の湯」と名付けたとか。平安時代には、既に開湯していたようです。
温泉駅から、温泉街の方へ歩き始めるも閑散としており、一体どこから温泉街なのかと分からないような雰囲気です。
道の途中から何やら行列。店舗の行列にしては長すぎると思っていたら、こちらは、初詣の参拝客の列なのでした。
こちらの奥の観音様の境内まで参道が続き、それなりの行列。この人出は、温泉街の人出ではなく、初詣客の人出なのでした。寺社仏閣が温泉場の中心にあるケースは多々ありますが、お正月にここまで人を集めるところはなかなかないのではないか。
こちらの行列には並ばず、腹ごしらえ。参道脇のお蕎麦屋さんに入ります。注文を取りに来てくれたのは店の娘さん、隣りの妻が「偉いね、いくつですか?」と聞けば、「小4です!」と。こんな感じの店はもう東京だと、葛飾柴又くらいしかないでしょう。
この蕎麦屋から昭和にタイムスリップ。
少々歩き疲れ、娘のセレクトで、クレープ屋さんで一休み。
「寅さん」も入り浸った別所
信州の鎌倉、信州最古の温泉で、名前が通っている別所温泉ですが、第18作「男はつらいよ 寅次郎純情詩集」(昭和51年公開)の舞台ともなっているのでした。「山田洋次監督、よくぞ、この地を選んでくれました!」というところですが、2,3時間歩けば、その理由が分かります。
第18作、マドンナは大御所の京マチ子、ゲストには、まだデビュー間もないであろう檀ふみ。二人はクリスチャンの母娘という設定でした。別所を訪れた寅さんは、馴染みの旅芸人一座にばったり遭遇。お金もないのに一座に宴会の大盤振る舞いして、警察沙汰に。さくらがお金をもって迎えに来るも寅さんは外湯に浸かりに行って不在!?と、序盤のストーリーですが、当時の別所の街並みや雰囲気が手に取るように分かります。今となっては貴重な映像記録です。
さらには我らが山田洋次監督もテツ一派なので、別所線も見事に映像に収められており、かつ寅さんが丸窓車内の中で子どもをあやすシーンなんかもあります。
日が暮れる前に、娘はお休みモードで宿へ、妻と二人で、もう一廻り。
街の少し外れにある安楽寺へ。
境内は山の中腹。この安楽寺、曹洞宗の禅寺で、開かれたのは9世紀と伝えられており、文献では、鎌倉建長寺と並んで多くの学僧が学んでいたと記録されています。まさに別所が信州の鎌倉と言われるゆえんのお寺。
こちらには、木造の八角、三重の塔があり、国宝なのでした。こんな簡素な山寺に何故国宝、という疑問が…。
「素晴らしいですよ」
三重塔入り口、拝観料が必要で、入るか迷っていると、受付の方が「本日はもう16時、10分前で終了です」とのこと。今日はご縁がなかったと思って、そそくさと帰ろうとしたところ、ちょうど居合わせた金田一耕助風のおじさんが、
耳元で、一言。
「素晴らしいですよ」
妻「何が素晴らしいんですか? 建物ですか?」
金田一氏「う~~ん(絶句)」
(しばし沈黙)
金田一氏「塔の中にはお釈迦様より偉い、大日如来がおりましてね…」
妻「お釈迦様より偉いんですか?」
自分「キリスト教の神様が大日如来なら、イエス様がブッタにあたるとか、そんな感じでしょ」
金田一氏「まあまあ、そんな複雑に考えずに…」
と言いながら、たちまち姿を消してしまいました笑
素晴らしいですよ、の一言に感化され、これは明日来るしかないね、という結論になりました。
その後、こちらは、ひとり外湯へ。まずはメイン通りの奥にある「石湯」、こちらは真田幸村の隠し湯の碑があります。池波正太郎の真田太平記の中で、幸村とお江が結ばれるのがこの別所の湯だったということらしいです。史実ではないのか。
外湯は3つあり、どれも単純硫黄泉で、ほのかな硫黄の香りが漂い、熱さも程よく、とても入りやすいお湯です。
こちら、大師湯は、「天長二年(825年、平安時代)比叡山延暦寺の座主円仁慈覚大師が北向観音堂建立のため当地に来錫の折、好んで入浴したので大師湯と名付けられる」ということで、1200年の歴史を感じさせる信州最古の湯なのでした。こちらは源泉44度ですが、ぬるくはなく、源泉が近いからでしょうか。濁りもややあります。
投宿は「斉藤旅館」
本日のお宿はこちら。別所温泉、信州の中では人気なのでしょう、どこも年始は料金かなり高めの設定です。
この日の夕飯は、比較的シンプルで、すき焼きメインに、土瓶蒸し、
天ぷら、お刺身、漬物に野沢菜やななくり煮という地元の漬物が並びます。
齋藤旅館、ご主人が手打ちのそばを打って、出してくれるのですが、激写し忘れました…。
食事の後は、旅館の内湯に入ります。
泉質は弱アルカリ性単純硫黄泉PH8.8、湧出の温度は50℃ということで、内湯は快適。露天風呂があるのですが、温度が低くて、ちょっと入れませんでした(^^;
静かな別所の夜
小休憩してこのまま休むのも惜しい。外湯は22時まで入れるので、ちょっくら、徘徊します。斎藤旅館の常連のお客さんに聞けば、別所は昔は芸者さんもたくさん居て、ご主人なんかは、「定年後は別所に足繁く来て、老後を楽しもう~」なんて、話していたとか。昭和何年ごろの話なんでしょうね、そんな雰囲気はもう微塵もありません…。
大湯は、多少循環かけてますが、温度は適温、やや緑がかっていて、少し塩気のある泉質でした。こちらもいい湯だな~
静かな別所の夜は更けていくのでした。 (つづく)