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港・気仙沼&湯・花巻のんびり旅②

お昼まで気仙沼で過ごし、そこからは、岩手屈指の温泉郷へ。目指すは知る人ぞ知る鉛温泉「藤三旅館」。日本名湯100選の湯、開湯600年、日本に1%もない足元湧出かつ日本一深い湯舟が楽しみです!

朝の気仙沼、大島

明け方の祈りの丘に続き、気仙沼の対岸に浮かぶ大きな島に渡ります。ここはなんと震災前までは橋が架けられておらず、住民も船で行き来していたという島。知人の高校時代は、同級生の何人かは船で帰っていたと。

亀山の途中まで車、そこからは軽く登る
新しい道が出来、巨大な橋とトンネルが続く
もうすぐ山頂 奥の砂浜は海水浴場 夏なら泳ぎたい
太陽はだいぶ高く上がり、サンロードが出来ている
素晴らしい亀山からの眺め 大島全体が見渡せる

この大島の一番高い山、亀山の山頂に到着。この一角に「涙の松」由来碑を見つけました。

(抄略)天明の頃、当地の鰹船が出漁後、台風に遭遇して帰らなかった 家族らは一本ずつ黒松の苗を植えて来る日も来る日も沖を眺め夫や子の帰りを待ち続けたがついに船は帰って来なかった
いつしか人びいとはこの松を「涙の松」と呼ぶようになった 成長した松は遥か沖からも望まれるようになり 和船時代には航海の目印となった

涙の松は昭和初期まで数本点在していたそうですが、姿を消して、現在の松は後から植えたもの。海難の根絶と漁業の発展を祈念してこの碑が立っています。艱難にも耐え抜く、気仙沼の人たちの精神をここでも垣間見ました。

気仙沼を後に、再び大船渡線

ホテル一景閣に戻り、朝食。セルフで鰹節を削って、鰹の出汁茶漬け。

ぐるぐる回す今風の鰹節削り器
しじみのつゆ 厚切り鮭は毎朝食べたいくらい
内湾ないわんエリアを通過して、気仙沼駅へ

車移動で、写真には納められませんでしたが、被災のエリアであっても、古家が残っていて、どうしてだろうと思ったら、再建のプロジェクトがあり、歴史ある建物のいくつかはそれで再建されたようです。地元愛の賜物ですね。

駅前に灯台! こんなモニュメントはココしかない!?

再び、大船渡線、気仙沼を出発するとしばらくは山中を走り、里山の景色が続きます。

のんびりと車窓眺めながら…

さてこの線、鍋の取っ手のような形をした鍋蔓線と言われて、直線距離8kmくらいのところを、北に26km強も遠回りしました。計画時の首相が岩手出身の原敬。なんでも総選挙が絡んで、線路が捻じ曲げられたとか。いつの時代もこんな話があります。

大船渡線は地元の誘致、政治の駆け引きでこんなルートになっている(^^; (googlemapより)

猊鼻渓を越えると、左手に、石灰石の採掘現場が見えてきます。かなり大規模で、こちらは現役の採掘鉱山。

陸中松川付近 後ほど紹介する宮沢賢治もここで働いていた時期がある
北上川の鉄橋は見どころのひとつ
北上川を渡れば、もうすぐ一関

東北本線を北に、花巻南温泉狭へ

右に北上川を感じながら、北上、「平泉」ではどっとお客さんが乗ってきます。外国人の方も多く、やはり人気スポットです。時間があれば降りていますが、今回は通過。

ほとんど堤防で見えないですが、時折堤防の上から見れる北上川 
車窓右側は広大な北上平野 夕日に映える秋の北上
車窓左側には、奥羽山脈から流れ出る川で造られた胆沢いさわ扇状地 散居集落が見られる
花巻駅到着! 時間も時間なので、やや閑散としている
待合室にはかつての花巻駅の写真に、賢治の愛した湯

ここからは南花巻温泉狭行きの無料シャトルバスが、午後からは1日に3本出ています。大型バスなのでらくちんです。いくつかの旅館に立ち寄ってお客さんを下ろしながら、45分ほどで鉛温泉に到着。

日もすっかり落ちて、やって来ました藤三旅館!

藤三旅館~足元湧出「白猿の湯」

部屋は、旅館部と湯治部に分かれており、一人で来たら間違いなく湯治部ですが、今日は旅館のお部屋。天井は高く、川のせせらぎが聞こえる綺麗な部屋でした。

3名で泊まるには十分な広さ(10畳+α)
早速お風呂へ 大きくは4つのお風呂

さて一番先に目指すは、白猿しろざるの湯。その名の通り、手足の傷を癒している白猿が教えてくれた温泉ということで、1443年頃に仮小宿を建て、一族が入り始めたのがきっかけ。

この扉を開けると眼下に大きな湯舟が現れ、ドキッ
広い湯舟に高い天井 浴場を撮るには撮影許可必要(藤三旅館HPより)
こちら水深125cm! 楕円の両脇は一部座れますが、立って浸かる(花巻温泉協会HPより)

立ち込める湯気と、温泉のチカラを直接受けるような湯舟。足元湧出を確認すると、湯舟の中央の石の下から、かなりの勢いでお湯が湧き出ています~
温度は41℃くらい、奇跡的な湯舟です。この深さは、もっと深く掘れば、温泉がでるだろうということで、掘り進めた結果、今の深さに至ったとか。
脇には小さな水風呂もあり、交代浴ができます。

猿が見つけてくれたという伝説は少ないのでは…

計4つのお風呂は、5本の源泉から引いており、完全かけ流し。毎分600リットルの湧出量は圧巻です。

夕食は地のモノで!

夕飯は三陸の海産物に、メインは花巻名産の白金プラチナポーク!
薄味で上品な小鉢が多い
こんな柔らかくて食べやすいポークは初めてかも

程よい量で、ゆっくり食事の後、えんじ色のじゅうたんの敷き詰められた館内を散歩。それぞれのお風呂は男女入れる時間が細かく分かれてます。

こちらは明日浸かります!
ブラウン管テレビに昔の藤三旅館 今現在は外壁工事で往年の雄姿が見れず…
火鉢を囲んで語らう時代じゃないか…

名湯をさがして

薄暗い廊下に掲げられた文、秘湯を守る会の岩木一二三氏の文ではないですか。相変わらずの味のある文で。(以下、抜粋)

それはたしか昭和44,5年の頃だったと思う。せめて自分だけでもいい。どんな山の中でもいい、静かになれるところで自分に人間を問いつめてみたいと思って杖を引いたのが奥鬼怒の渓谷の温泉宿だった。ランプの明かりを頼りにいろり端で主人と語りあかしたあの日が今でも忘れられない。目あきが目の見えない人に道を教えられたような思い出がよみがえってくる。公害のない蓮華温泉の夜空はきれいだった。人間と宇宙がこれ以上近づいてはならない限界のようにさえ思われたのである。細々と山小屋を守る老夫婦の姿には頭が下がった。人間としてのせいいっぱいのがんばりと生き甲斐が山の宿に光っていた。
 ひとびとの旅は永遠に続いてゆく。それぞれ目的の異なる旅かも知れないが…。いづれの日か山の自然と出で湯は、ほのぼのとした人間らしさをよみがえらせてくれることだろう。秘湯で歴史を守ろうとじっとたえてきた人々の心の尊さがわかって頂ける時代が帰って来たのである。秘湯を守る皆さんや、秘湯を訪ねられるお客さん方に、私たちが近代社会の中で失いかけていたものは…という問いを投げかけてみたい。
これからの日本に大切なことは何か。それは、人間が共に考えながら、助け合いながら、築き上げ、守りぬく、ぬくもりのある人生の旅ではありますまいか。

(名湯をさがしてより抜粋)

奥鬼怒の湯とは、もしかしたら加仁湯?!先日の旅が奥鬼怒だったので、思い出させてもらいました。明日、最終日は花巻の観光スポットを巡ります!


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