毒親1

被害者意識ってなんだ?

「毒親」に関する記事を見ていると、「毒親」を語る子どもに関しての否定的な意見もある。
どんなトピックもそうだ。
肯定される意見ばかりではない。

けれど、「毒親」という語りをすることで、しんどさや生きづらさの責任を親に押し付けてはなぜいけないのか。
そこにあるのは「毒親」を語ることで、自分の経験を納得できるものとして受容できるようになったり、似た経験をする人との繋がりを手繰り寄せることではないのか。

「毒親」を使う人たちの意識は親に向いているのか。
そうじゃない。
意識は自分に向いている。
もちろん親に意識を向けざるを得ないことだってある。
しかし、なぜそのワードを選び、使うのか。

自分のためでしょう。

「責任転嫁をする人間は責任感がない」
仕事じゃあるまいし、そうすることによって自分自身の生きやすさを見つけられるのであれば、その責任転嫁は誰を苦しめることもない。むしろ楽になるためのひとつでは。自分がよりよく生きるための。

いわゆる親世代(稀に子も)が言う。

「子を愛さない親はいない」
「親も苦労をしている」
「親にならないとわからない」


社会のいわゆる普通は、規範的であること、模範的であることの塊だ。
でもその普通に自分を合わせていく必要があるのか。

社会へ自分をなじませることは、規範に寄せることだけではない。

「親を嫌いな子だっている」
「子も苦労をしている」
「子にならないとわからない」

親にならないとわからないこともあるだろう。同じように子の立場でしかわからないものもたくさんある。

理解できないことは本を読む、人と話す、アドバイスを経験者からもらう。
誰しもが行うことを、行うための「毒親」という共通ワードの使用。

「毒親」って、使う側から見ても良い言葉だなーとは思えません。だって毒に侵された「子」を想像して、なんだか落ち込む。

それでも自分のために使う。
親を「お前は毒親だ」と断罪するためでも、誰かに「毒親のせいにするな」と注意するためでもないはず。

「被害者意識を持っているから親を否定する」
否定することを誰が否定できるでしょう。誰にとっても「私」をよりよく気持ちよく生きるためには、肯定と同じくらい否定も大事です。
肯定の中には否定の意味合いが、否定の中には肯定の意味合いもある。
その対象が親だっただけ。

「毒親」を使って立ち直ろうとしているあなたへ。

「自分のために使っているなら、気にしない」の一言です。
それを用いて人を傷つけないのであれば、盾にも槍にもなります。
自分を守り戦うために、「毒親」を使うこと。
それができれば、ちょっとでも楽になる。

かる

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松岡ふぶき
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