自分を癒す「毒親」の取り入れ方(1)

「毒親」「毒母」。
数年前から頻繁に目にするようになったこの言葉。
最初に念を押しておくと、「毒親」の存在を否定したいのではありません。
私も親との関係に悩んでいます(現在進行で)。

あなたにとって、心が楽になる捉え方について書きたいのです。
それを踏まえて読んでいただけると幸いです。

目次
・私の「毒」との出会い
・「毒親」は話せない
・誰に向けての言葉?
・愛(仮)が救うモノ

 
【私の「毒」との出会い】

本題に入る前に、私が「毒親」を知った経緯について触れておきます。
この言葉に触れたのは大学生のころ。
田房永子さん著の「母を嫌いになっていいですか」。

タイトルの直球さったら、優しい色合いが可愛らしい表紙とのギャップもあり、一瞬で目を奪われました。
タイトルとビジュアルとの違和感が、かなりのインパクトを放っていたのです。
SNSで目にしたその本を探しに、講義終わりに紀伊国屋へ。
ちょうど目線の高さ、表紙が見えるように並べられていたその本を
なぜかその日は購入できませんでした。

悩んで数日経った後、
本屋で見たのにも関わらず
紀伊国屋が大学の通学路にあるのにも関わらず、通販で購入。

この行動から分かるように
親を「毒」とすること、「親がしんどい」
と言い切ってしまうことに、当時の私はとても不安を感じていました。
同時に「本当にそう捉えても良いのか」といった疑問も。

【「毒親」は話せない】

田房さんのエッセイをきっかけに、国内外の「毒親」についての本を手に取ることが増えました。
どの本にも「毒親のことで何か悩みを抱えていても、友人や恋人には相談できない」といった旨の内容が。
家族制度が根強い日本において「血の繋がりがある限りは親は子を愛するものだ」という認識は、いわゆる毒親育ちに暗く覆いかぶさります。

「あなたのお母さんもあなたのために頑張っているから」
「大人になればわかるし感謝するようになる」
「愛されているからそういうことを言うのだよ(するのだよ)」

子どもが愛を感じているかいないか、そこは彼らには関係なくて。
見えない愛を「あるもの」として、親の愛を語るのです。

「愛ゆえに感じる苦しみ=誰しもが体験しうるもの=今だけの辛さ(だから親を悪く言うな)」

そういった前提がある(実際にはないけどそう云う声が強く聞こえる)からこそ、親を「毒」と感じても相談できず、苦しさを内に抱え込んでしまうのではないでしょうか。

【誰に向けての言葉?】

「親は子を愛しているから」。
こういって問題を片付けてしまう人は幸せな家庭で育ち、きっと親のことで悩んだことがないのだろう。
投げかけられた言葉のきつさに、そう感じずにはいられません。

しかし、その言葉を自分に言い聞かせている可能性もあるのです。

あなたに押し付けるために発言しているのではなく、
「自分を納得させるため」の愛の引用。

実際には親に対しての不満もあり、過去には言いたくないような経験もあったかもしれません。
だからこそ、似た環境の人を見つけてはその言葉を投げかけ、自分を守るのです。

【愛(仮)が救うモノ】

愛があるから許される、なんて、とてもじゃないけど私は思えませんが。
でも、愛がそこにある、と考える(仮定する)ことで救われる人もいるのです。

また、そうした語りは子ども自身を救う手段にもなりえます。
重複になりますが、心無い言葉を投げかけてくる人、「毒親」を救うのでもなく「子ども」を、です。

では私たち「子ども」はどう救いを獲得していけば良いのでしょう。
この続きはまた後日。

かる


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松岡ふぶき
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