【case:ミナ】母に贈るプレゼントの金額は母の価値じゃないのに
母の日、父の日、誕生日、クリスマス。
イベントは大切な誰かと一緒に、またはその誰かへの感謝を伝えるために行われるのだろう。
私にとってはそうではない。
感謝の言葉で覆った、理想のプレゼントを求められる日でしかない。
春先のショッピングモールで「母の日に感謝のプレゼントを!」の文字を見るだけで、鼻の付け根がじわっと熱くなる。
幼少期から変わらない。
小学校の4年生の母の日、兄と一緒に色紙を作った。
写真を切って貼って、おりがみでデコレーションもした。
出来がいいとは言えないけれど、確かに母のことを思って作った。色紙の大きさも手触りも、よく覚えている。
光に当てるとところどころ金色に光る宝石みたいな色紙は、母も喜んでくれるだろうと自信もあった。
母が色紙を受け取った瞬間はよく覚えている。
ちらりと見ただけで、ありがとうの言葉もなく。
ファックス機能付きの大きな電話機の、紙を入れる部分に置いた。
照れ隠しだとかそんなものではない。
学級だよりを受け取る時のように、なんとなく置いたのだ。
ファックスの紙を入れる部分に置いたのは、まあせめてプレゼントだから見える部分に立てて置いてやろうと考えたからだろうか。
たくさんの書類や手紙が入っている、ごちゃついた引き出しにしまわれなかったことを考えると、少し安堵した。
それを見た翌年からは、お小遣いやお年玉を貯めて、母の求めるモノにお金を払うだけだった。
社会人となってさらに、求められるプレゼントの金額は上がった。
スタッズのついたバレンシアガのキーケース、見るからに重そうなグッチの靴。
母はブランドの成り立ちや、お気に入りのバッグを誰がデザインしたかを知らない。
ニコラ・ゲスキエールも、グッチオ・グッチも。
ただ「良いものだから」と母は言う。
そして良いものを贈ってくれる「孝行子ども」の存在を、ブランド品とともに周囲に自慢した。
「ブランド品を買えるだなんて、偉いねえ」
「どうやってそんな出来の良い子どもに育てたの?」
帰宅するや否や、私たちが贈ったブランド品を玄関に放って報告する。
ようやく、わかった気がする。
母は、きっと価値が一般化されたものにしか価値を感じない。
自分の価値基準がない。
だから誰でもわかる価値を持っていなければ不安なのだ。
母にとって、高級品を贈るに値する自分の価値と、高級品を贈る甲斐性のある子どもに育てた自分の価値を誇示するものこそがブランド品なのだろう。
わかりたくなかったことを「わかった」と理解した瞬間。
叫びたくなるほど恥ずかしく。
後頭部を壁にぶつけたくなるほど苦しく。
誰も居ない場所に走り出したくなった。