指揮者・クラシカルDJ水野蒼生との邂逅
話しぶりに魅せられて
葉加瀬太郎氏のオーケストラ公演の指揮者を務めるなど、いままばゆい輝きを放つ若手音楽家のひとり、水野蒼生に筆者が出会ったのは約10年前、当時の職場でのこと。
彼はある音楽大学を半年で辞めて欧州留学を決意。働きつつ準備していた。
何となく面白い人材だと感じたので食事に誘い、ゆっくり話した。
すると音楽に対する感性や基本的な考え方がしっかりしており、同時に日本の音楽家の卵としては異例なほどの言語能力を持ち、クラシック音楽を現代に息づかせる強い使命感、社会との対話に積極的な姿勢の持ち主と分かって、応援しようと考えた。
しかし、間もなく筆者が職場の上司とのトラブルで退職。交流はいったん途絶えるが、暫く経ちブログなどを通じて彼が首尾よくザルツブルクに留学できたことが判り、安堵した。
以後、メイルのほか彼の企画するピアノを中心にした音楽イヴェントの会場で顔を合わせて縁を繋いだ。
このイヴェントはいつも盛況で彼の後に訪れる成功の伏線となった。
思わぬ形で拓けた成功
急展開は2017年春、大学の休みで一時帰国中の彼から連絡があり、渋谷でランチを共にしたところから始まった。
彼は席に着くと「仲間を集めて公演をしたいのでスポンサー探しを手伝って欲しい」と切り出した。
話を聞くと音楽面の企画はもうかなりできあがっている様子。成功させたいと思いつつ、筆者の頭にはかつて朝比奈隆が後援者から「何かする前にカネをくれと言うのは君くらいだ」と言われて耳が痛かった、というエピソードが浮かんだ。
そこで「実績の乏しいアーティストにつくスポンサーはいないし、いたとしてもろくなものじゃない。お金は広く薄く集めなさい」と当時注目されだしたクラウドファンディングをすすめた。
当初「こういうのなじみますかねえ・・・」と漏らした彼だが、筆者が「若い音楽家に演奏の機会を作るのは十分社会的事業だよ」と言ったこともあり、程なくクラウドファンディングに乗り出すことを決めた。
いざ始めると前述のようにみずから企画したイヴェントを複数回成功させた行動力を発揮。
同世代の仲間とあの頃まだクラシック畑の音楽家はあまり手を伸ばさなかったYouTubeやTwitterでのアピールを積極的に展開して少しずつ支援金は伸びていった。
一方、焚き付け役の筆者は音楽ジャーナリストの池田卓夫先生に彼を取材してくれるようお願いした。
池田先生は当時日本経済新聞に身を置き、バレンボイムや若杉弘など内外の超一流指揮者を見てきた大物ジャーナリスト。まともに受け止めてもらえるかさえ不安だったが、とにかく絶対に挫折させるわけにはいかないので日頃言葉不調法な身ながら、もう必死に水野の良さを説明し、礼を尽くして頼み込んだ。
幸い気持ちが通じ、池田先生は水野に電話インタビューを行ってくれて大部の記事を作成、web掲載にまでこぎつけてくださった。
記事はYahoo!ニュースに載るなど大反響を呼び、これが決定打になってクラウドファンディングは目標額大きく上回るかたちで達成。もちろん公演も無事行われた。
話はさらに続く。上記リンクの記事がユニバーサルミュージックの担当者の目にとまり、翌2018年に水野は同レーベルのドイツ・グラモフォンのブランドでメジャーデビューを果たした。
アルバムの題材は水野が前述のピアノ音楽イヴェントの幕間に行っていたクラシカルDJ。名曲の音源を自在にリミックスして再構成。身体を動かして受容することも可能な、現代の人々に息づく古典を創造したもの。
アルバムは大反響を呼び、内外の大会場におけるクラシカルDJパフォーマンスが実現。そして無事にザルツブルクでの学業を終えるとセカンド、サードアルバムも制作され、好評を博した。
困難な時期に躍進する偉才
多くの音楽家が感染症禍で活動の場が減ったなか、水野蒼生はむしろ活動の場を増やしている。ラジオではもうおなじみの存在だし、冒頭に記した通り、葉加瀬太郎氏のオーケストラ公演の指揮者として2年連続で起用。2021年冬には指揮者・クラシカルDJとしての単独公演を行い、配信を含めて大好評だった。
音源制作面も新たな次元へ向かっている。
初めて人声を主体にした3rdアルバム(本稿冒頭のジャケット写真)は、一見歌曲やオペラ・アリアの新たなアレンジのようだが、聴けばいまここで創成される音楽として受け止めた。というのもいくつかの曲で原曲が内包しない性質の情感を宿していたから。
従って最初の2枚のアルバムは曲当てクイズ的に軽く接することもできたが、3rdアルバムは全く違う1曲1曲の「重み」「陰影」「聴後感」が残る。
「音楽家・水野蒼生」がいつの間にか著しく自己開拓し、感覚的才能のみならず、何かずっしりくるものを醸成していると思わされた。
いまや水野蒼生は時代の先端をゆくアーティストのひとりで筆者から見れば遥か彼方の存在となった。これはひとえに彼の才能と行動力の賜物。
運よく筆者は彼が成功へ踏み出す過程で小さな補助線を引けた。培ったクラシック音楽の知識や人間関係を実地に生かす機会を彼は与えてくれた。
水野蒼生との出会いは一生の誇りだし、彼に対する感謝は絶えず心にある。その歩む姿は筆者の希望の灯。
※文中一部敬称略