ジョージ・セル【指揮台のタイラントと呼ばれて】1970年5月22日「余録」《前編》
レコード会社スタッフが見た巨匠の素顔①
本シリーズのテーマと同タイトルの本記事は下記リンク参照。
三遊亭圓生の録音などを手がけたCBS・ソニー(現ソニー・ミュージック)のプロデューサーで後年落語評論家に転じた京須偕充(1942~)は、1970年のジョージ・セル率いるクリーヴランド管弦楽団の来日公演の際、若き制作担当として販促担当の大西泰輔(故人、後に洋楽担当プロデューサーとなり名をはせた)と一緒に来日公演の裏方を務め、セルや随行指揮者のブーレーズ、そして楽団員たちの素顔に接した。
当時を振り返る京須の文章が上記リンク記事で取り上げた1970年5月22日東京文化会館公演のライヴ録音CDのライナーノーツに載っている。
結果的に最初で最後となった来日時のセルの姿に加え、日本における公演の受け止め様まで盛り込んだ短いながら中身のあるものなので、一部を御紹介したい。
回想はこんな場面から始まる。
公開版に記したが来日前のセルとクリーヴランド管弦楽団のコンビの日本における評価は「知るひとぞ知る」というところ。
本国アメリカでの扱いもバーンスタインやオーマンディが「CBSマスターワークス」ブランドだったのに対してセルは長らく廉価ブランドの「エピック」で扱われ、1968年のオーマンディのRCA移籍でようやく「昇格」したほど。
日本のCBS・ソニーは「《EXPO'70来日記念》セル/クリーヴランドの芸術」なる各2,000円のシリーズを発売。5枚買うと1枚プレゼントの施策がセールス・キャンペーンの中心だった。
広告のキャッチコピーは
京須は記者会見に臨むセルの様子をこう綴る。
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