地元で起業日記 No,16自分通知表を付ける
~起業準備から稼げるようになるまで~
僕は現在38歳で奥様と4歳の息子の3人家族。これから不確実な時代の中でも自分力で稼げるようになりたいと地元で起業を目指している。起業準備中の今、なぜ僕がサラリーマンを辞めて地元で起業を目指したのかを過去を振り返りながら書いておこうと思う。そして起業前のリアルな試行錯誤を2週間毎に更新して、稼げるようになるまでの出来事や様子を書き留めておこうと思う。いつか僕と同じ様に自分の力で人生を歩もうとしている人に、少しでものお役立てば嬉しいと思う。
早く稼げるようにならなければという焦りは勿論あるけれど、方向性を間違わない為に自分のrootsと向き合う事も大切。まず1年間を目標に更新していきます。 2023年7月8日スタート。
目次
■第一章 商売家系と僕
1,母の手伝いから
2,遊び場だった製材工場
3,配達と地域の繋がり
4,恩師との出会い
5,木の自由研究
6,おじちゃんおばちゃんが誇らしげに見えた
7,身近にいる素敵な人に磨かれた美意識
■第二章 営業と俺
8,大学を卒業して営業会社に
9,「ダイレクトセールス」ってこういう事なんだ(会えなきゃ始まらない)
10,反響案件はいりません!
11,24時間いつでも電話して良い上司
12,尊敬する社長との出会い
13,営業成績が上がる一方で
14,愚か者のメンタルダウン
■第三章 副業と私
15,社会との繋がりをもう一度
16,「自分通知表」を付ける
17,副業を始める(きっかけは比企起業大学)
18,国産材を売る事の難しさ(なんで売ろうとしているの?っと軽くアシラワレた)
19, こりゃダメだ!!木材業界の希薄な関係性
20, 副業の大きなメリットと少しのデメリット
21,副業で学んだこと
(第四章 起業 7回)
【第三章 副業と私 No,16 自分通知表を書く】
もう一度自分と向き合う時間を作った。この時思い出したのが、前職で社長に言われた「やりたい事が分からなかったら、自分の通知表を付けてみなさい。」という言葉。
私はノートを開いて左側に年齢を縦書きした。3歳~27歳(当時)。隣に年齢毎に何をしていたかを書きだしてみた。幼少期は当時の写真やVHSカセットビデオを探して見た。
幼少期に姉二人に良く泣かされていた(笑)。保育園の頃は近所のおばちゃんや木材工場のおじちゃんに遊んでもらっていた。小学校低学年ではでお店の手伝いを、高学年では木工場の手伝いをやって、木の自由研究なんかもした。中学校は野球部で苦しかった。高校大学はゴルフ部で打ち込んだ。社会人は営業・・・、などなど思い出せるだけ書いてみた。夢中で書いてノートがいっぱいになった。
次に横書きで評価項目を書いた。色々試したけれど下記4項目で5段階で点数を付けた。
①自分は楽しんでいたか
②結果は出たか出なかったか
③お気楽指数
※結果に対して苦労したと思えば点数を下げ、苦労したと思わなければ高得点。
④周りの人は喜んでいたか
自分通知評なので思いのまま。幼少期などは無理ない範囲で気持ちよく書くと良い♪
この中で③が面白くて、苦労して取り組んできた事が、もしかすると得意なことでは無かったのかも?と気が付ける。
例えば高校大学で7年間打ち込んだゴルフ。一人でランニングして夜まで練習したけれどプロへの道は程遠かった。楽しさはそこそこの「3」、結果的はプロには程遠くて「2」、その割にお気楽指数は「1」。ゴルフをする事で喜んでくれる人は少なかったので「2」。そこまで得意じゃ無い事に7年間打ち込んで来たのかと少し焦った。(笑)でも気付ければそれで良し◎
会員権営業の楽しさは、尊敬する経営者に出会えて成長を感じたので「4」。結果も「4」。お気楽指数は初めかなり歯を食いしばったけれど徐々にコツを掴んだので「3」。でも以外と周りで喜んでくれている人が少なかった。尊敬する経営者以外は、希薄な人間関係で自分の周りにはお金で繋がる人しかいないのかという葛藤があったので「2」。お金だけが目的になってしまう人間関係は侘しいと再確認!
電気屋さんの仕事は体を動かしながら営業も出来て楽しさ「4」、結果はどんどん仕事を覚えられた、でも電気専門職になれるかというと難しいので「3」、気楽指数は苦労した記憶は無いので「4」、周りの人は喜んでくれていたので「5」と高得点。
そんな感じで、幼少期に経験した商売の手伝いや、木にまみれて木材工場の手伝いをした経験も点数付けをした。時間はかかるけれど年齢毎に自分の棚卸しが出来るのでお勧めしたい。
そういえば、高校時代にめちゃくちゃ好きな子がいた。3年間で5回告白して卒業間近で付き合う事が出来たという、見事な5満点!バンザイ(笑)何とか喜ばしたいとがんばった3年間は苦労とは全く思わなかった5!(笑)年齢毎に書いていくと、その時の情景や感情、香りまで思い出せるのでお勧め。
現在の年齢まで全て書けたら、その中から
■得意な事と
■好きな事
を見つける。その為に4.5点の高得点を赤丸で囲む。良いトコ取りをしていくのだ。(自分の貴重な経験だから、誇りを持って良いトコ取りしよう!)
自分が楽しんでいることは好きな事なので、営業はポイントが高かった。周りの人に喜んでもらえていたのは、お店や工場の手伝いをした時と、伯父さんが営む電気屋商売での仕事の時。年齢は10〜12歳と27〜28歳。この頃は「人の役に立つこと」が出来ていたのかもと評価する。そしてお気楽指数も高く、苦労せずとも喜んで貰える事にも気が付ける。苦労して結果を出すプロアスリートは感動を与えるが、私はゴルフで叶えられなかったので違う方法で役に立てば良い。
そうして出来た「自分通知表」から共通を探した。そこで出てきたのが「商売」「木」「営業」という私なりのキーワードだった。
あぁそうか。「商売」を中心に人と繋がり、その中で育ってきた。幼い頃遊んだり手伝った木材工場の経験は忘れられないものなんだ。「木」の香りは体に染み付いていて、事ある毎に想い出す。
でも木材業界は斜陽産業と言われ、実家の木材工場は傾いた。沢山の人に迷惑もかけた苦しい経験がある。不安があるなら、好きな「営業」で木材を学びながら仕事してみようと考えた。木材に関しては素人だったので、先ずは木に需要があるのか、木がどのよに使われているか知ることからだと考えて住宅業界に入ろうと思った。調べてみるとハウスメーカーの営業は、現場と距離があり営業だけになってしまうのは嫌だった。もっと職人の近くで現場をみたい。そうかリフォームだ。リフォームであれば昔の建物から現在の施工まで見ることが出来きる。木材の使い方も勉強出来るしお客さんの声も近くで聞ける。そう考えて、営業と現場管理の両方を担当出来る住宅業界リフォーム会社に再就職した。
自問自答をした28歳の冬、住宅リフォーム業界に再就職した。
【この2週間の取り組み】
・桧丸太20本を製材場に移動した
・新築用の桧柱の1次製材を始めた。半日で5本ペースは悪くない!
・息子と木工ワークショップに参加した
・地元新聞店の看板打合せが進む
・巻の注文を頂いた
・木工学校での技術照査試験を受けた(墨付け、加工、組立、仕上げ)
木工学校卒業まで1ヶ月となったので、欅の化粧棚を仕上げる。地元で新築用の柱を製材する。トイレ小屋建築着工に向けて打合せる。お陰様でやる事が増えて来ている。やるべき事に一つ一つ取り組んでいく。