2.【なんとかなるさぁ思想】
こんにちは。
何となく日記を書きたいなと思って手を動かしています。
ただ独り言ではなく、50%くらいは誰かに話しているような。
そんなイメージで書いていきます。
自分にあった事。
自分の感じた事。
自分の考えた事。
自分の中ではなくて、オンラインの世界に置いておこうと思います。
これを読んだ誰かが、少しでも楽になればなんて思って。
ぼんやりと希望がない
第一志望の企業に落ちて一番最初に襲ってきた感覚は
「この先どうしよう」
でした。
より解像度を上げて言語化すると、
「こうしたいという希望や願望がなく、何に向かって行けば良いかわからない」
そんな状態です。
自分の父親は、ちゃんとしろと厳しいことを言うタイプではなく、
まぁ何とかなるよ。俺を見てみ。何とかなってるでしょ。
といつも気にして声をかけてくれる人です。
私は断片的にしか知りませんが、父親の家庭は色々あったみたいで。
自分の子供には負の遺産は残さんと、父親は育った家族とほとんど縁を切っている。
そんな父親の言葉を聞くと少し安心します。
このままでもいいんだなって自分を許せるようになります。
自分の周りにはそんな人がちらほらいます。
自分より大変な状態で生きてる人や、何も考えずふらふらしているような人がいて。
言い方は悪いけど、その人たちと自分を比較して、
「自分は結構頑張って生きてんだな。」
とちょっと安心することもあります。
「希望がないと生きていけないのか。」
そんなことを自分に問いかけて、
「あればあったでいいけど、頑張って手にしなくてもいいんじゃないか。」
そうやって返したのが今日でした。
楽しいと中毒の境目があるような気がする
スマホを開いて、Twitterを開いて、対して中身も見ずに閉じて、次にYoutubeを開いて、特に何も見たいのがないから閉じて、またTwitterを開ける。
そんな短時間じゃそこまで新しい投稿はないのに自然と手が動いてしまう時が結構あります。
何やってんだろうか。
超常刺激という言葉を聞いたことがあります。
人間が本来処理できないレベルの刺激を受け続ける事によって、鬱などの精神病に繋がるのだとか。
インターネットとかブルーライトとかジャンクフードとか。
簡単に面白いを見つけて消費できるもんだから、習慣のようにコンテンツを探してしまいます。
だから、スマホと縁を切れる人は凄いと思います。
そんな中毒のような習慣に飽きたと明確に実感するタイミングがあります。
YoutubeやTwitterに面白さを見出す事に飽きるという感じですかね。
そこまでくると妙な事に少し前向きになります。
メンタルがやられてやろうとしなかったことが少しできるようになります。
「少し苦労して楽しさを感じたい」
とか考えるようになります。
でも結局またダラダラしちゃうんですけどね。
しかし、楽しいと感じることが楽しくなくなるのは何だか寂しいので、
苦労した後にまた貪りに戻ってきます。
本当はいい塩梅で、バランス持って、生活に影響が出過ぎないくらいがいいのですがね。
サボったり、遊びすぎたり、その後に過度に罪悪感を感じることは止めたいです。
ま、いっか。
なんとかなるか。
自分のことに対して、そうやって心から思えるようにいつかなりたいものです。
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