愛しい時間
近頃忙しくて(はい。単なる私のスケジューリングミスです…)noteを書くときには、撃沈間近という日が何日か続いていたので、今日は少し、ゆっくりとここに身を委ねてみようかと思ったら、なんだかワクワクして来ました。
そして、ふと、思ったのです。
noteを書く時間をつくる。ということは、自分自身の振り返りをしている大切な時間を作るという事でもあったのだなぁと。そう思えたら、なんだかこうしている時間がとても愛しくなって来ました。
ひとりひとり、愛しい時間というものがあるとしたら、人を支えているものは、この愛しい時間です。
子どもや愛する人の寝顔を見ていたり、犬や猫と戯れたり、空を見上げる時間であったり、その時間が心を平らにし、疲れた心や身体を元気にしてくれる時間です。
心が波風を立てず、穏やかで平らになっている時間がどれくらいあるかで、人の一生は違ってくるように思います。
苛々や恐怖や心配ばかりを抱えていたら、人は壊れてしまうから、自分だけの愛しい時間をつくっていくこと。
一旦日常の諸々を手放す時間、心を平らにする時間を持つことをお奨めします。
今から随分前になりますが、父の死期が近づいていた頃、私は頻繁に実家のある仙台と東京を往復していたことがあります。私はいつも不安と一緒にいたのですが、その時に出会ったのが、演劇の授業の一環として学んだ、一旦頭の中にあるものを手放す、という方法でした。あとから、これが、瞑想と呼ばれるものやヨガ、呼吸法などとも根本は同じだと知りました。
私にとっての愛しい時間。
それは、一人で車を運転している時間、昼と夜の境目の空を見上げる時間、細く開けた窓から吹き込む風にあたる時間、あったかい陽だまりの中で目を細めて空をみあげる時間、しんと静まり返った真夜中に遠くの音に耳を澄ます時間。
ねぇ。教えてくれない?
あなたの愛しい時間。
今日も最後まで読んで頂き本当にありがとう。
またここで会えたら嬉しいです。
それでは、また明日。
同じ場所で。