「出かけていった妖精たちは、そこで映画に出て、おしばいをしたり、ダンスをしたりするのだよ。」
#岩波少年文庫70冊チャレンジ #6日目
カレル・チャペック著,中村好夫訳 『長い長いお医者さんの話』(岩波少年文庫, 1952,1990)[1931]
今わたしたちは、娯楽といえばドラマを見たり動画を見たり、マンガや小説を読んだりするわけですが、昔は「物語り」、つまりお話をすること、聞くことが娯楽のひとつでした。
物語り、つまりストーリーテリングが娯楽の大部分を占めていた期間は、それなりに長いと思いますが、形式は昔と変わらなくても、内容は時代に合わせてどんどん変わっていきます。
それは、現代の娯楽でも同じことでしょう。
カレル・チャペックについて
日本には「カレル・チャペック」という名前の紅茶屋さんがあって、ここはわたしも大好きではあるのですが、元ネタはいうまでもなく、チェコスロヴァキア出身の作家、カレル・チャペックです。
チャペックは1890年チェコスロヴァキア生まれで、チェコ国民のための芸術を創ることに注力した人でした。
現在のチェコ共和国が誕生したのが、1993年のこと。それまで、第一次世界大戦後からは、チェコスロヴァキアという国でした(途中第二次世界大戦で、ドイツの支配を受けるなどした時期もあります)。
そのチェコスロヴァキアは、1918年にオーストリア・ハンガリー帝国の崩壊をきっかけに、誕生しました。チェコスロヴァキアは、民族としては存在していたにもかかわらず、国家としてはなかなか独立できなかったのです。
一般に、民族が団結するのに必要なのは、「自分たちが属している」と思える共通意識、共通の文化や歴史意識なのでしょう。
チャペックは、チェコ人が団結するための物語を多く生み出し、国民的作家としても人気があります。
彼の作品はプロパガンダではなく、まず物語ですから、100年近くたった今でも、国を超えて人々に愛されているのでしょう。
ストーリーテリングという娯楽
「なにか面白い話をしてくれ」と頼まれて、起承転結のあるお話をできる人は、どのくらいいるでしょうか。
わたしは即興で物語を作ることも、覚えておいた物語を語ることもできませんが、口承文学というのはかつては一大ジャンルとして栄えていました。
『長い長いお医者さんのお話』は、そういうストーリーテリングの場が、いくつも盛り込まれた本です。
お医者さんが手術待ちの間に順番に語るお話とか、警察官が夜番の間に語るお話とか、鳥たちが暇つぶしにする世間話とか、そういったお話のまとまりが、いくつも入っています。
人々がお話を順番に語っていく、というスタイルは、例えば中世の『カンタベリー物語』のように、昔からある文学の型の一つです。
(『カンタベリー物語』は、巡礼の途中で宿に居合わせた人々が、それぞれお話をするという形です。)
おもしろいなあと思ったのは、お話の内容が、半分はおとぎ話なのに、もう半分はいやに現実的なことです。
例えば、タイトルで引用したのはあるお医者さんの話ですが、彼はあるとき、足の骨を折ってしまった妖精の治療をします。
ところが、妖精の骨はX線がわずかに通っているだけなので、花びらや蜘蛛の糸で添え木をしようとしても、なかなかうまくいきません。
お医者さんはどうにか治療を成し遂げますが、最後に妖精たちに、いい加減森の中で暮らすのはやめて、ハリウッドに行って映画にもでて稼いだらどうか、と助言するのです。
そんなわけで、今ではチェコのあたりには妖精が全くいなくなってしまったそうな。
この、ものごとの由来や歴史を語る昔話風のお話の中で、X線だのハリウッドだのが出てくる、というのが、なかなかシュールでおもしろいのです。
ほかにも、怪獣に立ち向かう警官も、正義感からではなく「法律違反だから」取締りをするだけだったり、一事が万事そんな感じです。
おもしろいなあと思いますし、物語を”現代”に引き寄せるうまい方法だなあと思います。
そうやって、昔からある物語の型や決まり事は、少しずつ形を変えて、世の中に馴染んでいくのでしょう。
そういった例は、わたしたちの身の回りにも、たくさんあります。
カレル・チャペックが「チェコ人のための」作品を作ることを使命としていたのは、先に書きましたが、そのためこの本に出てくる人名や地名も、ほとんどがチェコのものです。
つまりですね、日本人であるわたしには、まったく馴染みがなくて、どうしようもなく覚えにくいものでした。
よく、「翻訳物は名前が覚えられなくて苦手」という人がいて、わたしは英語や西欧の作品ではそれほど苦に感じたことがなかったのですが、なるほどチェコ語の物語は名前が覚えられないなあ、と実感しました。
そういう言語の違いを感じられるのも、本を読む楽しみの一つです。