「もうずいぶん前のことですが、「最近、本を読まなくなった」とふと感じることがありました。」
そんな風にかんじたこと、ありませんか?
さらに文章はこう続きます。
この文章まで読んで、わたしはこの本をレジに持って行きました。
若松英輔著 『本を読めなくなった人のための読書論』(亜紀書房、2019)
この本を買ったとき、わたしは疲れていました。
疲れているということを、じわじわと実感しつつありました。
そして、この本を読み終わったあとしばらくして、ぶっ倒れました。
”なにか別のことに夢中になっている”ときに本を読まないことはありますが、
「なんとなく読みたい気がするけれど読む気がしない」
「なにか読みたいのに、読みたい本がない」
「読もうと思って買ったのに、読み進まなくてやめてしまう」
そういうことが起こることがあります。
昨年のわたしもややその傾向があって、別の記事でも書きましたが、読みやすくて親しんだ本をひたすら読み返していました。
以前Twitterで「元気がない時に見るアニメまとめ」を見て、ほうほうと参考にしたことがあります。
精神が疲労すると、新しいコンテンツを摂取しても咀嚼消化する体力がない。
でも新しい栄養素を取り入れないと(精神的に)死んでしまう。
そういう時でも見れる「消化のいいアニメ」を重症度別にまとめたものでした。
白湯レベル、重湯レベル、おかゆレベル、おうどんレベル、など。
できるだけ刺激が少なくて、極端に悲しいことも前向きなことも楽しいこともなくて、淡々としたやさしさにみちた物語だけを集めていました。
しかもちゃんと、「こういうシーンが一部あるので、ダメなひとは避けた方がいい」などと注意書きまでしてあるのでした。
読書にも、こういう概念があると思います。
本読みの人間は、本を読まないと死んでしまいます。
でも、本を読むのが、物語を追うのが、一つの話を咀嚼するのが、いや、本を選ぶことすら、億劫になってしまうことがあります。
そういう状態とどう向き合うのか。
そういう自分とどう向き合うのか。
いや、わざわざ向き合わなくていい。
ただそういう自分よりそってそこにあればいい。
この本にはそういったことが、ていねいに、優しく書かれています。
さて、ぶっ倒れる前のわたしはなんとかこの本を読み終えて、
「読めないときは読まなくていい、でも読まなくても身の回りの言葉とふれあっていていい」
ということを心に大事に抱きしめて、そして本から少し離れました。
おかげでわたしは、読みたくなったら読み読みたくなくなったらやめ、Twitterやインスタの投稿を流し見し、流れてきたマンガを適当にながめ、また目を閉じて転がる。
ということを繰りかえしました。
そのうちに、またバリバリ本を読むようになっていました。
これは読書に限らず、どんな趣味でも同じだと思います。
「最近◯◯をしなくなった」ではなく「できなくなった」と感じるとき。
それでもそれをやりたいと思うのであれば、なんとなくそれ関連のものを身の回りに置いておけば、いつかまたやれるだけの元気がでてくるのだと思います。
あるいは、「できなくなった」が「それでもいいや」であれば、またやりたいと思うときまで、「昔は◯◯が好きだったな」と思い出にしておけばいいのではないでしょうか。
本が読めないとき、それはきっと、心を癒す時間が必要なときです。
本は離れていてもいつでも待っていてくれる、本読みの大切な友人ですから、どれだけ時間がかかっても、わたしたちはまた大好きな本に戻っていくと思います。
あなたの大切な本、最後に読んだのはいつでしょうか。
またいつか、読みに戻れるといいですね。