「うーん、だけどこれはお話さ。」とホーマーはいいました。「それで、話のすじって、どれもおなじなんだ。」
ロバート・マックロスキー著、石井桃子訳 『ゆかいなホーマーくん』(岩波少年文庫, 1951, 2011)[1943]
こういう、ふつうの少年のふつうの生活を描いた作品は、読んでいてほっこりします。同時に、いつどこで読むのか、つまり、読み手の属性によって、受け取り方が大きく変わるのも、こういう作品だろうなあと思います。
その時代のその土地の読者にむけて、こういう作品がどんどん出てくるといいなあと思います。
ロバート・マックロスキーについて
アメリカオハイオ州に1914年に生まれました。やっぱり20世紀生まれの作家は、“最近の人だなあ”という印象を受けてしまいます。
マックロスキーはデザインを専門に学んだ人で、イタリア留学もし、商業美術の分野で働いていました。留学中に描きためた原稿を持って出版社の門を叩き、作家としての道が開ます。
『かもさんおとおり』という作品でデビューして、この『ゆかいなホーマーくん』は3作目にあたります。終戦後は家族で無人島に移り住み、そこの自然を描いて絵本をいくつか仕上げました。
イラストと文章両方が作家の手になるもの、というのは、作者の思いを余すところなく描けるという点で、すばらしいことです。ホーマーくんの挿絵は、躍動感と温かみにあふれています。
“ありふれた”生活のありふれていなさ
日本人からするとおどろきなのは、この作品の出版年が1943年、つまり第二次世界大戦真っ只中、ということです。戦時中に、これだけ生き生きとした、少年のありふれた生活を描いた作品が出せるというのは、まあ単純にいって、アメリカの国力を表しているわけです。(余談ですが、イギリスも戦時中に総天然色の映画を出していますし、ディズニーも何かしら出していますし、つまりまあそういうことです。)
この作品が日本に紹介されたのは1951年ですから、戦後間もない日本の子どもたちに、ホーマーくんの生活は、どう映ったのでしょうか。
2020年から見ると、なんともまあのどかな時代です。
強盗がそろって宿に泊まって、パジャマのまま連行されてしまったり、町にやってくる映画のスーパーマンに子どもたちが熱狂したり、ドーナツも家も大量生産にしてみたり。
食堂のおじさんも警察の署長さんも、すぐに床屋さんにいってはゲームをしてサボっているし、いい時代ですねえ。
のどかな生活でありながら、書かれていることは“進歩的な”アメリカの田舎町のことですから、ホーマーくんの趣味はラジオを組み立てることだし、食堂ではドーナツ製造機を導入して大量生産ができるし、町にイベントには独身女性が出場するし、当時の世相を写し取っているかのようです。
ドーナツの機械が壊れてしまって、ドーナツが店からあふれるほどできてしまって、どんな捨て値でも買い手がつかないあたりは、「ブラックマチューズデー……」などと思ってしまいます。おもしろさと、時代への皮肉のきいたエピソードです。
大量生産の波は住宅にも及んでしまって、由緒ある邸宅の周りに画一的な住宅街ができて、邸宅さえもブロックのような家にとって変わられるのも、その時代らしいエピソードです。
とにかく“進歩的”であること、“機械化”“大量生産”、その辺りが、当時のアメリカの流行だったのでしょう。
そういった、社会的な風刺のきいた作品でありながら、そこに出てくる人たちはおもしろい人たちばかりです。
言葉をこぜまぜに、いえ、まぜこぜにしてばかりいる署長さんや、すぐに仕事をさぼっておしゃべりにいくユリシスおじさん、ふたりの男性に求婚されながらも首を縦にふらないターウィリガーおばさん、そして気のいい我らがホーマーくん。
ホーマーくんは、特別な才能があるわけではありませんが、スーパーマンのお話に「これっていつもおなじお話ばっかりじゃないか」とつっこむくらいには聡明です。でも、だからといって、町にやってきたスーパーマン(の番宣の人)を馬鹿にしたりとかそういうことはなくて、ただ出来事にかかわっていくだけのようにみえます。
ホーマーくんは、はじめのいくつかのエピソードこそ、主役を張ってあれこれ動き回りますが、途中からはほとんど物語の進行にかかわりません。
彼はまるで、読者の分身のように、町で起こる出来事を眺めて、たまに驚いて、たまにお手伝いをします。その点でも、ホーマーくんはいたってふつうの少年で、世界を変えるような突拍子もないことはしないのです。
現代のホーマーくんの物語には、どういうものがあるのでしょう。
ホーマーくんのようなお話が時代ごと、地域ごとに書かれていれば、歴史の教科書よりも断然おもしろい、歴史的な読み物になるのではと思います。
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