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過去のトラウマ、父とギャンブル依存症(忘備録シリーズ③)

今回も前回の続きとなります。

父が倒れたことがきっかけで、色んな心の葛藤を経験しましたが、

まだまだ新たな問題がでてきます(汗)

父は今リハビリ中ですが、これもまた同時並行で進んでいる気になる問題です。

新たな問題が発覚した当初はさすがにまた心がどん底まで落ちましたが、今は何とかまた立て直すことができています。心がどん底でも、捉え方次第でまた心の状態が変わってくるという事を身をもって痛感しました。

 

重い内容が続きますが「こんな人生もあるんだな」と、少し離れた所から無理なくお付き合いいただけたら幸いです(^^;)

それでは、よろしくお願いします!


過去のトラウマ、父とギャンブル依存症


父が入院している間に、実はもうひとつの問題が同時並行で起こっていた。

 

でもその話の前に、少しだけ、

私の過去のトラウマについてまとめさせてください。

 

私の父は過去にギャンブル(パチンコ)で多額の借金を作り、当時住んでいた家を手放さなくてはならないことがあった。私が物ごごろついた時から、私が大切に貯めていたお年玉やおこづかいが気がついたらなくなっているなんてことはしょっちゅうで、勝手に通帳からお金が引き出されていたこともあった。

犯人はもちろん父だ。母に伝えて問いただしてもらっても父は「知らない」の一点張りでだった。だから私はその当時、いつも必死で自分が得たお金を隠すのが普通だった。でも、今思うと、子供の隠し場所なんて大人からすればすぐに見つかるような場所だったから、隠す努力はむなしくいつも気が付いたらお金は無くなっていた。

私は「なんで普通にお金を置いておくことができないんだろう」と悲しい気持ちでいっぱいだった。嘘だらけの父に対して、このころから私は「どうしたら父は本当の気持ちを言ってくれるのだろう…」と心の奥で考えるようになっていた。

 

ギャンブルを除くと父はただただ優しい父だった。といっても、家族のことには無関心だったんだろうなと今は思う。どこに行くにも母と弟の三人。父とのお出かけはほとんどなかった。なので、優しいというよりはただ関心がなかったから怒られるようなこともなかったんだろうなと思う。それでも子供のころの私は父が嫌いにはなれなかった。どんなに裏切られても子供は親の事が好きなんだ。だから、いつか父が「普通のおとうさん」になってくれると願っていた。

 

そんな状況だったので、父と母はしょっちゅう喧嘩をしていた。母はよく怒っていた。今思うと、余裕のない母がそのまま私や弟に怒りをぶつけていることもあったんだろうなと思う。私は母の機嫌をうかがう事が癖になっていった。それほど、怒っている時の母は私にとってとても怖かった。でも、母は私と弟の事を愛してくれていた。必死で育ててくれていた。そこに関してはとても感謝している。だからこそ私はいつもこう思っていた。

 

「私が母を守らなくては。私がしっかりしなくては。私がわがままをいってはいけない。頑張らなきゃ。頑張らなきゃ」

 

今思うと父は完全にギャンブル依存症だった。何かと理由を付けてお金を持ち出す父に、母は怒りながらも父を信じたい気持ちが勝って、嘘の理由を信じてお金を出していた。困り果てている母に私は何度も「私はお母さんの味方だから。大丈夫だから」と勇気づけていた。

私も年頃になり、ある程度理解ができるようになっていき、父と母は共依存の関係になっているなと思うようになった。客観的に見れば、明らかに嘘をつく父を信じている母。私は何度も「絶対嘘やから!信じたらあかん!お金出したらあかん!もう家にはお金はない!」と説得した。

それでも出してしまう母。私がバイトするようになり、働くようになり、お金を本格的に得る様になると今度は私にも「お金をかしてくれないか」と聞いてくるようになった。私が何度も「それは嘘だから」といっても母は「もしほんまやったらお父さんが仕事で困ることになる」といってくる。それを言われると私もそれ以上反論することができずに泣く泣くお金を貸していた。

 

私は何のために働いているんだろう、とむなしく悲しみに明け暮れる日々だった。弟が大学にいっていた時期なので余計にお金がなかった。大学がいけなくなったら弟がかわいそうだからと、授業料を出すこともあった。

お金が払えずにガスや電気が止まったこともあった。寒い寒い冬の季節。出るのは水だけ。お風呂も入れない。そんな状態になっているのに、なぜ父にお金をだしてしまうのか。この時、何が一番つらかったのかというと、母が私のいう事を信じてくれなかったことだ。

私の必死な訴えよりも、父の嘘を信じる母。それが何より悲しかった。

親なのに母は子供の私たちを守らずに父を信じている。母は私を守ってくれない。口では私たちの事を大切だといっていても、本当に大切なのは父なんだ。私の居場所はここにはない。本気でそう思っていた。

 

客観的に見ると、異常な状況だったなと改めて思う。でも、その当時はそこから抜け出すことができなかった。その当時、私にも知識がなかったし、必死で働いていたのでそういった勉強をする時間もなかった。

今は自分も家庭を持ち、色んな立場を経験して、母は母で必死に戦っていたんだと思えるようにもなった。みんなそれぞれがそれぞれの立場で一生懸命生きているんだと思える。ただこの経験は本当に長く長く私の心の重しになったことは確かだった。

 

家を手放さないといけなくなった時、新たに住む場所を探さなければいけなかった。その時の記憶は実は、はっきり言ってあまり覚えていない。あまりにもつらく悲しかったからなんだろうか。本当にあまり覚えていない。ただ、家族で話し合いをして、父が反省をし「もうこれで大丈夫なんだ」と安心したのはかすかに覚えている。

だからこそ、これまでのことは水に流し、家族として新しい一歩を、前向きな一歩を出していきたかった。そんな思いがあったから、私は沢山の選択肢の中から「新しく住む家を私名義でローンを組む」決断に至った(父はもうローンが組めなくなってしまったため)。

今思うと本当になんでそんな事をしたんだろうと思うのだが、その時は本当に純粋に父の事を信じて明るい未来を信じていた。自分にとってもそれが一番いいと思っていた。でも、これは本当に父のギャンブル依存症が治っているという条件があってこその選択だったのだ。

 

「もう何もないから大丈夫」

 

そう思っていたのに、見事にその純粋な気持ちは打ち砕かれた。

 

新しい家に引っ越しして、再スタートをきってから、また再び父の不穏な動きが始まったのだ。

そこからまた、お金に苦労する日々が始まった。本当にこの時期の記憶はあまり覚えていない。つらすぎて眠れなかったり、心がとにかくしんどかったことだけは覚えている。だけど、細かい記憶は覚えていない。きっと私の心が危ないと思って記憶に蓋をしたんだろうなと思う。

苦しい状況が続きながらも、何とか今の夫と結婚することができ、私は新しい人生がはじまった。途中、お金に関してのごたごたは尽きなかったが、少しづつマシになってはきていた。

そして子供が生まれ、そこを境に父のギャンブルがおさまった気がした。実際わけのわからない理由でお金を持っていくこともなくなったと母も言っていたし、予想以上に孫を可愛がる姿をみて、子供のおかげでギャンブルへの気持ちがかわったのかなと思うようになっていった。

 

そこからは本当にただただ「やさしいおじいちゃん」だった。昔の父からは想像がつかないくらい、孫や母や私の事を気遣う様子がおおく見られるようになった。私自身も本当に父は変わってくれたんだと思うようになった。嫌な過去の記憶が良い記憶に上書きされていくようになった。

 

そして、9年がたって父が倒れたのだ。

 

父が倒れてわかった借金


今度こそ、もう父には何もないと思っていた。父は本当に変わってくれたんだと思っていた。だから、もう私も「過去ではなく、今の父を見ていこう」とおもっていた。

そして昔の父に想像の中で寄り添い「父もきっと色んな事があって依存症になったんだろう。父もつらかったんだろう」と思えるようになり、自分の中で過去のトラウマを手放していた。

 

そんな中、父が倒れたので、本当に心底ショックで悲しくてつらかった。

 

でも父が倒れてから、数日後、事件は起こった。

 

父の携帯に見知らぬところから電話がかかってきたのだ。母からそれを聞いてすぐさま番号を調べてみるとローン会社からの電話だった。私も母も心臓が破裂しそうだった。まだ詳細はわからないのに、ローン会社というだけで一気に不安が押し寄せてくる。過去の記憶が一気に蘇る。怖い。怖い。怖い。

本当に怖かった。でも父には確認できる状態じゃない。会話だってスムーズにできる状態ではないのだ。そうこうしているうちに実家に今度はハガキが届いたのだ。

 

そして正式に父の借金が発覚した。

 

父のギャンブル依存は治ってなかった。

心が通い合えていない悲しみ


父が倒れて、借金が発覚して、ダブルパンチで頭がどうにかなりそうだった。「これはいったい何なのか?」本人に聞きたくても聞けない。

父が倒れてちょうど2週間が過ぎたころだった。私も母も日々を生きることがやっとのことで、気力で生きていたのに、本当に追い打ちをかけられた気分だった。

でもやっぱり何より悲しかったのは、

「嘘をついていた」という事実だ。

過去の経験が影響して、私は心の奥では人を信じることが怖くなっていた。裏切られて傷つくのが怖かった。自分にも自信がなかった。いろんな勉強をして分かったことだが、小さい頃に辛い経験をすると子供はたとえ親に原因があったとしても何かにつけて「自分のせいだ」と思うことがあるらしい。

「私がこんなんだから嘘をつかれるんだ」「私が悪いんだ」と無意識に自分を責めて、そう思うことで自分を守るという心理が働くらしい。私もそれに当てはまっていたんだなと思う。

いつも傷つきたくないと思って信じることを恐れている自分が心の奥にいた。そしてそんな自分が大嫌いだった。

嘘をつかれることは私にとって「信頼されていない」と同義だ。それはそのまま「自分がこんなんだから信頼されずに嘘をつかれてしまう」という解釈につながる。長い年月を得てそんな思考回路が出来上がってしまっていた。

 

夫と出会いそこからもう一度自分を見つめ直すようになり、子供が生まれてまたさらに自分と向き合うようになり、私は自分への自信を取り戻していった。自分を否定することなく受け入れることができるようになっていった。

それでも今回のことはやっぱり本当に悲しかった。

 

実際私自身も、父とコミュニケーションを取りながら、ここ最近の父は嘘をついているように見えなかったからだ。疑う気持ちが徐々に薄れて、本当に父を信じれるようになっていた。

だから嘘をつかれたことが悲しかった。裏切られていたことが悲しかった。

今まで信じていた物、築いてきたと思っていた物が全て崩れ去っていった。

 

人から裏切られた経験のある人は、人と心が通じあえることの幸せを痛感している。

何よりも心が通じ合いたいとおもっている。

今回のことで父の何を信じたらいいのか、またわからなくなってしまった。

追い打ちをかけるようにまたもう一つの問題が勃発


そして、問題はこれだけでおさまらなかった。まだ何か起こるのか。なんで、、、どうして、、、

考えても、悲しんでも事実は消える事はない。

 

今度は弟の借金が発覚したのだ。

 

実は弟も父が倒れる前にギャンブル(ネットカジノ)での借金が発覚し色々と大変だった過去がある。弟もギャンブル依存症になっていた。ネットカジノはパチンコよりもたちが悪く、一瞬で恐ろしい金額に膨れ上がってしまう。そんなものがあるなんて弟の問題が発覚するまでは一ミリも知らなかった。

客観的に見ていて、弟のギャンブル依存症は父が確実に影響している。きっかけを作ったのは父だ。弟も同じく小さい時から沢山つらい経験をしてきている。本人は無自覚でも、私は確実に影響はあると思っている。

ただ、同じくつらい経験をしてきてなぜ同じことをしてしまうのか。最初に発覚した時は本当に私もつらかった。わかり合えていると思っていたのに、私だけが信じていたのかとまたむなしくなった。

 

父も弟も共通しているのは、本当に平気でうそをついていて、でもこちらとしては疑う気持ちが湧かないくらい自然な様子だという事だ。

本当にわからないと思った。嘘つきな人は本当に嘘をつくのがうまい。褒めてるわけではないが本当に気づけないのだ。それくらい自然に嘘をつくときがある。

弟も何度も借金が発覚し、そのたびに話し合いをしていた。そのたびに本気で反省していた。(そういう風に見えた)

ここ最近では自助グループに通うようになり、それから今までと明らかに弟の行動も発言も雰囲気も変化が表れ始めた。確実に良くなっていっているなと思った。「人は変われるんだな」と前向きに思い私もうれしかった。ギャンブル依存症は治るんだ!と希望にもなった。

だけど、今回の発覚。

父のことと重なって、トリプルパンチだ。

それでも、この事実を受け入れるしかない。前を向いてできる事をしていくしかないんだ。

父が倒れてからの2か月間は、私にとって修行のような期間だった。

ギャンブル依存症は病気だと認識すること


これらの経験によって私は今まで何度もギャンブル依存症について調べてきた。

わかったことはギャンブル依存症は病気だという事だ。

脳の変形が起こっている場合もある。つまり、自分の意志ではなかなかコントロールすることが難しいという事だ。

 

ギャンブル依存症への理解が浅い時は「どうして大切な家族がいるのにそんなことするのか?家族が大切ではないのか?」と悲しくなったが、本当に本人の意思ではどうにかなるものじゃないということがわかり、

家族の大切さとギャンブルを天秤にかけるような考え方をするのはやめようとおもった。

ギャンブル依存症は本人も苦しんでいる。それは本当のことだ。

今回の弟の件は、また話し合いの末、自助グループには変わらずに通い続け、新たに「自分を振り返る日記をつける」という新たな行動と、「未来に対する目標、なりたい自分」の方に意識を向ける様にしていく事を本人が決めた。

これに関しては、私もできる事を探しながら見守っていこうと思っている。もちろん相手の課題を奪ってしまうことにはならないように、あくまで自分自身で解決できるように援助できる形を探っていく。

 

戦いはこれからだ。

 

 

続く

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