アメリカのインクルーシブ教育事情から日本の現状を考えてみる。
はじめに 遅ればせながら、ちょっと自己紹介。
ずっと前から、学校現場のインクルーシブ教育が進まない理由を考えていた。同じように考えている同僚の先生たちとは放課後にあーだこーだと話すことはあったが、すぐに日々の忙しさで忘れてしまうので、こうやって何かに書き残していこうと思い立ち、この夏休みに重い腰を上げてみた。
私は、普通の公立の小学校の教員で、講師の頃から支援学級と通常の学級を2年交代くらいで受け持ってきた。
現在の学校に来てから6年目だが、ようやく支援学級担任として落ち着いてきた。
そして、せっかく支援学級の担任を続けるならば、もっと勉強したいと思い、支援学校教諭の免許をとり、公認心理師の国家資格を取った。
今は、特別支援教育士の資格認定の最後のテストを待っている。
勉強しながら実践するのは楽しい。
学んだことをすぐ次の日に実践し、手ごたえを感じたり、子どもの反応をすぐに見ることができる。
教材作りも楽しい。
8割はいろいろな市販の教材を組み合わせているが、「これ!」というものがないときは自分で作っている。それで子どもが楽しそうに取り組んでくれたり、成果が上がったりするととても嬉しい。
そんな毎日の一教員の思うことあれこれを発信してみたいと思っている。
本題に。 アメリカのインクルーシブ教育事情より。
今まで、いろいろと特別支援教育の研修を受けてきましたが、以前受けた研修の中に、「アメリカのインクルーシブ教育と学びのユニバーサルデザイン」というバーンズ亀山静子先生の教育講演がありました。
その資料を久々に見返してみると、やはり、「そうだよなー。」と納得できるものがたくさんありました。
その資料によると、
アメリカでは、障害者の権利に関する条約の解釈として、みんなが地域の学校に通え、「同じ場所で学びの権利が保障される」ということだそうです。
IEP(Individualize Education Program)委員会というものがあり、そこで障害のある子の学びについての話し合いがなされるそうです。
構成メンバーは、□ 学校区の特別支援教育の担当管理職
□ 通常教育の教師
□ 特別支援教育の専門教師
□ 関連サービスの専門職(サイコロジスト、ST等)
□ 保護者
□ 本人(14歳以上)
□ 特別支援教育を受ける子を持つ他の保護者
など、だそうです。
そして、IEPの文書作成が義務付けられ、それは法的文書として扱われるそうです。
内容は、□ 現状(その子の通常の教育においての学習に及ぼす影響も含む)
□ 年間ゴール(学習、機能上のゴール)
□ ゴール達成へのマネージメント(評価基準、方法、頻度)
□ 措置や支援サービス(何を、提供規模、頻度)
□ その子が通常学級以外に措置される場合、その理由
□ 合理的配慮
□ 開始日程
というもののようです。
ここで、注目すべきは、「通常の学級では学習ができない」ということを立証する必要があるということです。
「特別支援学級でなければいけない理由」
「通常の学級ではできない理由」
を法的文書で立証しなければならないとなっているそうです。
日本も、4月に教育課程の書類を出しますが、法的文書でもないし、保護者にも見せないので、正直、実態と異なる内容でも通ってしまうわけです。
そういうお役所仕事のような書類より、内容と実体のあった責任ある書類にしないと意味がないんじゃないかと感じています。
話を戻します。
「特別支援学級でなければいけない理由」
「通常の学級ではできない理由」
この理由として、
「この子は支援学級で、専門的に見てもらった方がいい」とか「通常学級では他にもたくさんの子がいるので見れません」とかそういう理由は職員室でもよーく耳にします。
でも、アメリカでは、「それは、教師が教え方や指導方法を知らないからではないですか?」という考えだそうです。
まずは、「通常の学級」が学習する場の優先順位1位であって、そこから他の場に措置される場合は、その理由を明確にする必要があるそうです。
私が、スクールインターンとして2000年にアメリカの公立学校で働いていた時には「LDルーム」というのがあって、そこにLDの子が常時5,6人来て1人のメインティーチャーとアシスタントティーチャーの2人でみていました。
でも、今はLDルームに通う子も激減しているそうです。
それは、取り出し教育から入り込みサポートへの移行、通常の学級内での学習支援の強化など、できるだけ通常の学級で学べるようにサポート体制をシフトしていっているからだと言います。
そんな風に、日本の教育もシフトしていくといいのにと思います。
最近の文科省の動き
この文書の中にこういうものあある。
「通常の学級、通級の指導を受けている障害のある児童生徒、そして、特別支援学級や特別支援学校に在籍する児童生徒数の増加が進んでいるとあるが、その理由は、特別支援教育に関する理解や認識の高まり、そして、制度の改正等が理由であると読めるかと思う。
この点、ヨーロッパの特に北欧を中心とする地域、またイタリア、そしてアメリカ等において、特別支援学級や支援学校に在籍する児童生徒数を減らしていこうという世界の潮流の中で、日本は逆に増加しているということをどう解釈するべきか。」
特別支援学級の数が非常に増えてきている。子供たちが増えるとともに特別支援学級の数が増え、現在、小中学校段階の義務教育段階で言うと、約20%が特別支援学級。つまり、5学級に1つは特別支援学級。特別支援学級が多い大阪府に限定すれば、約30%。つまり、3学級に1つが特別支援学級となる。なので、学校の中における特別支援学級の数が多いことを理解しておくと、通常の小中学校の整備指針を考えていくにしても、特別支援教育と共通する考え方が少ないのはおかしい、という観点を持っておくと良い。
一応、日本の流れが世界のインクルーシブと違う動きだということは認識しているようです。そして、大阪が多いことも、今回大阪でもダブルカウントと独自の解釈で支援学級を急増させてきた枚方市が文科省から改革を迫られているのも納得ですが、今後どうなるのかはわかりません。
原則分離の中でのインクルーシブ教育
これを見ていると、やはり原則は「分離」であって、その中でインクルーシブ教育を進めていくというのは、どう考えればいいのかなと思ったりします。
ただ、他の方の記事の中に、世界でも「知的障害」の人は通常の教育に入っていない場合が多いと書かれているものもあったので、重度の「知的障害」と重度の「重複心身障害」については慎重に検討する必要があると思うけれど、今よりもっと一緒に過ごせる方法はあるような気もします。ましてや、ADHD、LD、知的に遅れのないASDの子を安易に通常の教室から別室での学習に措置して支援学級への入級を急増させるのは、やはり世界のインクルーシブ教育への取り組みとは逆行しているように思います。
おまけ
この本の中に辻村泰男先生の言葉として
「これ以上に障害児教育を推進するには通常教育がもっと障害児に向き合って寄り添ってくれないと駄目だ。」
「通常教育の守備範囲がもっともっと広がって、障害児も受け入れていってほしい。もしそうなるなら、特殊教育なんてなくなってしまってもよいと思う。」
というものが紹介されています。
本当にその通りだなと強く思います。