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『シャーリイ』映画感想文

公開中の映画『シャーリイ』を鑑賞してきました。
実在した小説家シャーリイ・ジャクスン伝記小説の映画化です。

【映画のあらすじ】
アメリカの怪奇幻想作家シャーリイ・ジャクスンの伝記を基に、現代的で斬新な解釈を加えて現実と虚構を交錯させながら描いた心理サスペンス。
1948年、短編小説「くじ」で一大センセーションを巻き起こしたシャーリイは、女子大生行方不明事件を題材にした新作長編に取り組むもスランプに陥っていた。大学教授の夫スタンリーは引きこもって寝てばかりいるシャーリイを執筆へ向かわせようとするが上手くいかず、移住を計画している若い夫妻フレッドとローズを自宅に居候させて彼女の世話や家事を任せることに。当初は他人との共同生活を嫌がるシャーリイだったが、懲りずに自分の世話を焼くローズの姿から執筆のインスピレーションを得るようになる。一方、ローズはシャーリイの魔女的なカリスマ性にひかれ、2人の間には奇妙な絆が芽生え始める。

映画com

映画の中で主人公が執筆していた小説は1951年に刊行された『Hangsaman』のようです。あわせて小説『処刑人』( 絞首人)も読みました。

シャーリイ・ジャクスンを本を読んだのは、四半世紀前で小説の内容は覚えていなかったけれど、冒頭を読んだだけで、ボロっとあらすじが甦ってきたので、その当時読んだインパクトは、かなりあったのだと思いました。

映画の中で特に印象的だったシーンはふたつあって、ひとつは小説執筆用のネタメモをつくっている最中にシャーリィが書斎の床につっぷして泣いていたシーン。小説のどの部分を書いていたのか探してしまった。

↓ 書いていたのはこれかな?

ナタリーはときおり、遠くの山々の眺めを完全に理解できたと思えることがあった。そんなときは涙をこらえる羽目になるか、ある一線を越えると、その景色を見続けることも、自分の胸には収めきれないものとして締め出すこともできず、芝生にーむろん家の窓からは絶対に見えない位置
ーつっぷす羽目になった。
~中略~
山々の後ろの太陽はいまだ奇跡の平凡さに慣れていないナタリーにとって、通俗的な風景、大人の世界の陳腐で派手すぎる景色にすぎなかった。
山々に沈む太陽を描いた下手くそな絵なら山ほど見てきたせいで、ナタリーは太陽そのものも滑稽で無用なものと見なしてしまっていた。

処刑人 P38

小説冒頭のセンテンスで、17歳のナタリーが大人や社会に対してどういう心情を持っているのかと、創作に対する欲求を描写していました。おばさんであるシャーリイが17歳の少女の心情にシンクロしているから何を言いたいのかは、今一つ解らないけれど、その心情は普遍的で切々と伝わってくるものがあります。小説ではナタリーのお母さんの気持ちに寄っていってしまった。シャーリイは少女の頃から鬱を患っていました。彼女は皮肉まじりの言葉の中に人間が普遍的に持つネガティブな感情や恐怖を描く人です。小説『処刑人』は、ただ女子大生が日常生活を送っているだけのお話なのに、これが殺人鬼が出でくるホラーよりコワイ。読む者はその言葉を浴びて自分の醜い心や弱さを省みてしまう。

もうひとつ印象的だった映画のシーンはシャーリイの夫スタンリーに「女子学生失踪の話か低俗だが書いてもいい」とシャーリイが言われてブチ切れるシーン。名もない娘を題材にすることに何の意味がある?みたいなことを夫に言われ、シャーリイは何かのきっかけで正気を失うほどに苦しむ名もない少女はアメリカ全土にいると強く訴えた。

ゴシック小説全盛時代は何かと深い。

映画はシャーリー・ジャクソンの描く小説同様に現実と虚構が交じり合い溶けてゆくようなつくりで、魔女的予言のシーンや物語が二重構造だったりと製作者のシャーリィの作品に対するリスペクトする気持ちが伝わってくる個人的に好きな映画でした。(みんなが好きかはわかりません)

いつも読んでくださりありがとうございます(*'ω'*)


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