『シャーリイ』映画感想文
公開中の映画『シャーリイ』を鑑賞してきました。
実在した小説家シャーリイ・ジャクスン伝記小説の映画化です。
映画の中で主人公が執筆していた小説は1951年に刊行された『Hangsaman』のようです。あわせて小説『処刑人』( 絞首人)も読みました。
シャーリイ・ジャクスンを本を読んだのは、四半世紀前で小説の内容は覚えていなかったけれど、冒頭を読んだだけで、ボロっとあらすじが甦ってきたので、その当時読んだインパクトは、かなりあったのだと思いました。
映画の中で特に印象的だったシーンはふたつあって、ひとつは小説執筆用のネタメモをつくっている最中にシャーリィが書斎の床につっぷして泣いていたシーン。小説のどの部分を書いていたのか探してしまった。
↓ 書いていたのはこれかな?
小説冒頭のセンテンスで、17歳のナタリーが大人や社会に対してどういう心情を持っているのかと、創作に対する欲求を描写していました。おばさんであるシャーリイが17歳の少女の心情にシンクロしているから何を言いたいのかは、今一つ解らないけれど、その心情は普遍的で切々と伝わってくるものがあります。小説ではナタリーのお母さんの気持ちに寄っていってしまった。シャーリイは少女の頃から鬱を患っていました。彼女は皮肉まじりの言葉の中に人間が普遍的に持つネガティブな感情や恐怖を描く人です。小説『処刑人』は、ただ女子大生が日常生活を送っているだけのお話なのに、これが殺人鬼が出でくるホラーよりコワイ。読む者はその言葉を浴びて自分の醜い心や弱さを省みてしまう。
もうひとつ印象的だった映画のシーンはシャーリイの夫スタンリーに「女子学生失踪の話か低俗だが書いてもいい」とシャーリイが言われてブチ切れるシーン。名もない娘を題材にすることに何の意味がある?みたいなことを夫に言われ、シャーリイは何かのきっかけで正気を失うほどに苦しむ名もない少女はアメリカ全土にいると強く訴えた。
ゴシック小説全盛時代は何かと深い。
映画はシャーリー・ジャクソンの描く小説同様に現実と虚構が交じり合い溶けてゆくようなつくりで、魔女的予言のシーンや物語が二重構造だったりと製作者のシャーリィの作品に対するリスペクトする気持ちが伝わってくる個人的に好きな映画でした。(みんなが好きかはわかりません)
いつも読んでくださりありがとうございます(*'ω'*)