『ヴァチカンのエクソシスト』映画感想文
公開中の映画『ヴァチカンのエクソシスト』を鑑賞してきました。
こちらの作品は、ローマカトリック教会、ヴァチカンの有名なエクソシスト(悪魔祓い)であるアモルト神父の実話を、映像化したものです。
わたしは、悪魔事典とか、そういう類の本を、好んで読む子供だったので、今も悪魔祓いの概念は、とても興味のあるジャンルです。
アモルトと神父のことは知っていたので、映画の内容については、承知していることも多かった。それでも演出やテンポもよくてエンタメ系の面白い映画でした。
映画のジャンルとしては、ホラー映画というより、ダヴィンチコードみたいな、教会の謎解き物語の要素が強いかな・・・。そうでもないか。
世界を席巻した映画『エクソシスト』は、1973年の作品で、もう半世紀前なのですね。娘に『エクソシストって何なん?』と聞かれました。どうやら『エクソシスト』は、今や死語のようです。
映画を観て思ったことは、祓った『悪魔』はどこに行ってしまったのだろう?です。映画の中では、ヨハネの黙示録的な感じの、行くべき場所に行ったのですが、実話なのですから実際には、ピンとこないのです。
その感じで悪魔を祓うことが出来るなら、徐々に悪魔の数は減少していくだろうし、ずっと祓っているなら、もう悪魔は消失しても、いいんじゃないかと思うのです。でも近年ヴァチカンは悪魔祓いを積極的に育成しています。
悪魔祓いを依頼する人のほとんどに、悪魔は憑いてないそうです。悪魔祓いの仕事の多くは、精神的に人を支える、心のケアがメインのようにも見えます。悪魔が憑いている、憑いていないにかかわらず、依頼する側、される側が、win win の関係であれば、この悪魔祓いのシステムはこれからも続いていくのでしょう・・・。
そもそも『悪魔』とは?です。
悪魔は神の使いである天使が、闇落ちし、堕天使になったら悪魔になるという解釈があります。
個人的見解としては、悪魔は悪い気(エネルギー)、天使は良い気(エネルギー)だと解釈していて、その気(エネルギー)そのものに善悪があるわけじゃなくて、人にとって都合の悪い気、都合の良い気というものがあるだけ。
それは食べ物の発酵と腐敗の関係に似てる感じもする。菌が有機物を分解した結果が、人に有益なら発酵と呼び、不利益なら腐敗と呼ぶ。発酵も腐敗も菌にしてみれば同じ営みなのだから。天使と悪魔も根幹はきっと同じ営みなんだと思う。
ちなみにわたしは宗教的な神様は信じてないけど、神様は信じている。
例えば地球のマントルが対流して、地表面の地殻を動くから地震が起きることも、膝を擦りむいたら、かさぶたができるのも、神が創造した自然界のルールだと思っているし、八百万の神様はいると思っている。
また脱線してきましたが、この映画は実話なので、あまり盲目的に宗教を信じたり、映画の描写を全て真実だと思い込むのは、どうかなと思っていて、誰しもが天使や悪魔になることを意識して、この映画は観て欲しいな。という趣旨のことを書きたかった。
悪魔は冗談がキライなので、オヤジギャグなんか、上手いこと言えるようになったら、悪魔が逃げてゆくかもしれません。(ここは盲目的)
いつも読んで下さり
ありがとうございます。٩(๑❛ᴗ❛๑)۶