『君が手にするはずだった黄金について』読書感想文
10月18日に小川哲さんの『君が手にするはずだった黄金について』が新潮社より発売になりました。今回は小説家『僕』を主人公にした連作短編集なので、おのずと『僕』は小川哲さんご自身を想像してしまいます。
最初の『プロローグ』から彼女が出てきて、あまり恋愛関係を書かない小川さんなので、なんだか、息子に彼女ができたみたいに、お母さんの立ち位置でどきまぎしながら読みました。(実際最近娘に彼氏ができたのも影響していると思われる)期待していた男女関係の描写はそんなになく、いつか小川さんの描く恋愛小説を読んでみたいという気持ちは、また次回に持ち越すことに。
個人的には『三月十日』という作品が胸にきました。震災の当日のことは、誰もが鮮明に覚えているけれど、その前日ことは、なんでもない一日で、あまり覚えていないという切り口の物語です。震災の日に限らず、誰にでもある『あの日』というものに至る前にフォーカスしていて、やはり自分にとっての『あの日』に至る前のことを思い出して考えさせられてしまった。
これまでの小川哲さんの作品は、創作物として俯瞰して書かれている印象がありましたが、この作品はエッセイのような雰囲気で、よりご本人の『パーソナリティ』が垣間見え、ファン心をくすぐります。そして、なぜこんなにもわたしは小川哲さんの書くものを読みたいのだろうという疑問の解答書のようでもありました。
本を読んだ方しかピンとこないかもしれませんが、野球のショートのショートって何よ?と引っかかるところとか、満員電車で通勤したくないこととか、向きあった出来事に対してあらゆる可能性の思考をめぐらせ、矛盾した答えを導き出しながら、優しさを信じてしまうこととか。
これまで矛盾した対局にある考えの両方に理解を示すような、話や態度をすると、矛盾していると言われてきた。両方を認めていることに、わたし自身は矛盾はないのだけど、なかなか理解してもらえなかった。この感じは体感的には世間では少数派で、その矛盾する思考と、従ってくれない感情をおさめるため、もしくは誰かに伝えるために、哲学的な思考になっていった。
わたしも同じだよ。って、やっぱり小川さんの小説を読んでいるとほっとします。こよなく孤独を愛していながら、人と過ごす時間も幸せなんだ。
ゆれているのは風じゃない
それはあの日の思い出
バルコニーひとり佇めば
燃えるよ黄昏が
今夜はなつかしの永井真理子など
いつも読んで下さりありがとうございます。