沈黙は果たして金なのか
身体も頭もたいして使ってないはずなのに、なんだか疲れた。
たぶん、ツッコミどころ満載の話をただただ聞いていなければならなかったからだろう。
ただひたすら他人(身内や友人ではない)の話を聞く、という行為はいろいろな意味で消耗する。
もともとそんなに聞き上手ではないわたしは、誰かの話を聞いているとこちらもなにか言いたくなってしまう。相手の話を遮るとかではなくて、ちゃんと相手のことばを受け取って、自分なりに感じたことや考えたことをこちらもことばで返したい。(会話ってそもそもそういう行為のことを指すはずだと思うけれど)一方的に他人の思いをぶつけられるのは軽い暴力にも等しいことがあると最近体感するようになった。
だから、ただ黙っていると、自分の感情がどんどん澱のようにうっすらと積もってゆくのを感じるのだ。もちろん、前向きで楽しい話ならそんなことはないのだけれど、聞いていて「どう考えてもそれって変では、、、?」と思ってしまうようなとき、それを口に出せないというのは非常に苦痛でもある。
我関セズ、とスルーを決め込めば楽なのかもしれないけれど、どうしてもあれこれ考えてしまう性分ということもあって、なにも言えないくせに、悶々と時間をすごしていた。そして、調子を合わせている人たちの無責任さを羨ましく思った。真剣に考えてないから、適当に聞き流せているのだろうなと。(というか、責任ある立場なら、ちゃんと発言しろよ、って本音を裏返した皮肉なんだけど)あとからなにか問題が起きたとき、どうやって対処するのだろう、でもそれはもうわたしには関係ない、割り切ろう、とがんばって脳内の音量調整つまみをガーッて下げた。なにも言えないなら、聞かないことだ。それでも聞こえてきちゃうから困っちゃったんだけれどね。
これまでのわたしは、いろんなことをことばで正面突破しようとして失敗してきた。けれど、こんなふうにものが言えない状況におかれると、もうなにも言わずに黙って去れば美しく終われるのかしらという気持ちが芽生えてきてしまう。それは戦わないことでも逃げることでもない。“言えない”状況を逆手にとって“言わない”という武器にするのだ。
そんなことを考えながら、すこし先を見つめている。
今はこれからのわたしのためのものいわぬ修行の最中なんだ、
だから、あともう少し、、、
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