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季節のかわりめはいつだって不安定

124年ぶりだろうがなんだろうが、豆まきなんてしないし恵方巻きも食べていない。(だって、ひとりで豆まきってどうやってやるの?)とりあえず納豆か豆腐だけでも食べておこうか。

季節を意識することはいいことでもあるようだけれど、一方でなにか停滞しているときにはよくないこともある。季節ばっかり過ぎていってしまう、、、とわけもわからず焦燥感とか自己嫌悪に駆られてしまうから。

今のわたしはたぶん後者。コロナを隠れ蓑に家でひきこもっているのはあたかも正しいことだと自分を欺いているけれど、そうじゃない。たぶん世の中がそうでなくても、わたしは日々こうやって厭世観に囚われながらひきこもって暮らしているのではないかという気がしてくる。

ちょうど一年前の記事を読み返して愕然とした。
今のわたしとまるで変わっていない。このまま今日投稿してもいいと思えるような内容である。

進化してないとか、好転してないとか、note1年続けたらなにか変わるって言われてるのに何も変化してないじゃんとか、まぁあれこれ思ってしまうけれど、たぶん、これはもうこの時季特有のメンタルの状態でバイオリズムなんだろうなと考えることにした。さらに567のご時世なのに低空飛行でも現状維持ってことは急降下してないってことなんだからよしと思おう、と。

ほとんど何にも縛られていないのに、どうしてこんなにも不自由なのだろう。大したことをしてないのに、疲れてしまうのはどうしてなのだろう。


なかなかもとには戻らないいろいろについて考えるとき、どうしてもどうしても辛くなってしまうのは仕方ない。またほんのりと希望がわいてくるのを待とう。暖かい布団にくるまって眠ることができれば、それだけでまず幸せだよと言い聞かせながら。



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