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あれからまた一年

結局この土日は東京は雪は降らなかった模様。
とはいっても冷たい雨の音を日がな聞いていると、こんな日にどうしたって思い出すのは父のことだ。いまだにどこか信じられない部分があるし、とっさには何年前のことなのかも正確に思い出せなくて(思い出したくないのかもしれない)曖昧な記憶も多いのだけれど、でも、もうこの世の中のどこにも父はいないのだ。

けれどこんな世の中を知らなかったほうがよかったのかもしれないとも思う。勝手かもしれないけれど。

一年前の投稿を改めて読み返して、やはり書いておいてよかったなと思った。わたしにとってnoteはやはり、誰のためでもない自分のためのものなのだと再認識した。

あれから、例の会社とは昨年末にサヨウナラした。ここでもことあるごとに愚痴っていて、なかなか行動に起こせなかったけれどようやく辞められた。さすがに“父への罪滅ぼし”みたいなのは違うと冷静に考えられるようになったし、なによりもどんどん老いていく(見た目ではなく思考が)人たちと時間を共にするのは非常に苦痛だとわかった。もちろん、それが血縁などの身内ならそんなふうには思わないだろう。けれど、よくよく考えてみたらべつに赤の他人なのだし、向こうは私が思っている以上におそらくなんとも思っていなかったのだと辞めてみてわかった。それにしても、年代が同じというだけで父と仕事をしていたわけではないのだから、そこに変な感傷や思い入れは不要だったんだと気づくのにずいぶん時間がかかってしまった。(もしかしたら今頃めちゃめちゃ悪口言われてたりしてね)

そんなこんなで、ただでさえ不安定なこのご時世なのに今年は私自身も先が全く見えていない状態だけれど、でも後悔はしていない。会社を作るとか、まだそこには至れていないけれど、ストレスは確実に減った。今後の仕事の見通しについては、正直まだまだ不安要素のほうが多い。けれどもね、今日という日(しかも日曜日)朝7時にイスラエル?の会社の人から仕事のメールが来るとか、なかなかファンキーなことを娘はやっておりますよ。こんなこと、一年前にはまったく考えられなかったこと。


ささやかながらも安定して得ていた収入を手放して、そのぶん自由になれた。(自由になりすぎて今はちょっと堕落しすぎかも)縛られるのが嫌いで、頑固なのはやはり父譲りなのかなという気がしている。ただ、三人の娘がいた父と違って、わたしにはなんの責任も守るものもない。だから、父以上に、自由に生きていける気はしている。淋しいけれど。いや、淋しいとかいっている場合ではなくて、もっと生きることに必死にならないといけないのかもしれない。
いつか、ちゃんと胸をはれるように。


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