心理的には着たきりスズメみたいよね、だからちゃんと“着替え”なきゃ
気づいたら、今日のわたしは6年前とほぼ同じ格好をしていた。
Googleフォトの思い出機能。過去を振り返ることを半ば強制的に仕掛けてくる、アレ。どちらかというとかなしくなることのほうが多いから、あまり見ないようにしていたのだけれどつい見てしまった。
キャスケットから、パーカーから、全く同じものを身に着けていて我ながら唖然としつつ、全くモノ持ちがいいよねと変なところで感心もした。確かにこの季節のかわりめに重宝するアイテムで、気に入って着ていたということもあるのだけれどおんなじ日にというのはね、びっくり。
ただ、6年前のわたしは今よりもやつれていた。今もメンタル的にはあの頃と同じような痛みを抱えているのだけれど、年をとったぶん身体はふてぶてしくなったのか、それともコロナで動く機会が減ったせいか、ぱっと見は全然やつれた感がない。それがいいのか悪いのかはわからないけれど。
写真を目にしたのは時間にすればほんの数秒なのに、ついつい当時のことをあれこれ思い出してしまって、自分の記憶力のよさを厄介に思う。もっと便利なところで発揮してほしいのに、どうして忘れたいことばかり覚えているのだろう。
そして、気に入ったものを買ったときはわくわくして、大切に身に着けていたはずのものなのに、いつしかそれにかなしい思い出がへばりつくようになってしまったアイテムはいったいどうしたらいいものか、という想いにとらわれる。というか、その写真さえ見なければ、何年前とか具体的にはっきりと過去に想いを馳せることなんてなかったろうにな。ほんと、GoogleフォトとFacebookの思い出機能はなんとかしてほしい(って自分で表示させないように設定すればいいだけの話なのかしら)
特に今年は人と積極的に会ったりすることも減ったから、なんとなく漫然と同じ格好をしがちだったこともあると思う。とにかく服を買ってないし。それよりも、今自分が持ち合わせているものをちゃんと使おうと思っているのだけれど、その結果がこれだ。ほんとうは、ちゃんと断捨離して自分の心と折り合いをつけるべきなのかもしれないのだろうが、それがなかなかできない。いざ、処分しようか判断を迫られると、そのときはそんな過去のことをすっかり忘れて(というか全然考えずに)シンプルに、まだ着られるとかもったいないという気持ちが勝ってしまうのだからほんと面倒な女だと思う、われながら。
捨てられないなら、せめてコーディネートを工夫して新しい装いができたらいいのだけれど。5年以上たっているのに同じ組み合わせって、無難だからというだけじゃあまりに成長がなさすぎるわ。そんな固定観念に縛られていても、中身の人間はそのぶん齢を重ねているわけだし、ちゃんと考えないと。着たくて着ている、という明確な意志があるならともかく、ぼんやりと過去の習慣をなぞるように同じ格好をしているなんてあまりにも芸がない。大切に扱って、ちゃんと意志を持って着続けているのであれば、それはサスティナブルってことでむしろ誇っていいんだから。それならその次元をめざせばいいわけで。とにかく一番ダメなのは無頓着。そこに意識が働かなくなること。
そう考えると、Googleフォトはそっと今のわたしに気づきを与えてくれているのかも。うん、そう前向きに考えることにしよう。