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新聞配達

とあるマンションのエレベーターで、新聞配達をしている人と一緒になった。
ジャージ姿にマスクのとっても小柄な、女の子。

思わず「わぁ暑いなか配達大変ですよね」と声をかけるとマスク越しでもわかる笑顔で「はい…でも大丈夫です!」と答えてくれた。
このマンションは13階建て。エレベーターがあってもやっぱり体力使うだろうな、女の子なのに偉いな、なんて気持ちがわきあがってきて、降りてゆく背中越しに「頑張ってくださいね」と重ねてことばをかけた。


ややあってわたしの父も昔新聞配達をしていたと子供の頃に話を聞いたことがあるのを思い出していた。新聞奨学生だったそうだ。(実は父は結構苦労人である。今思えばほんと全然親孝行できなかった)今となってはどんなふうに話していたかあまり覚えてないのだけれど(苦労話はあまり幼い娘には聞かせたくなかったのかもしれないし)当時は、エレベーターもあまりなかったし、朝も早くて大変だったんだということは言っていたような覚えがある。

今でこそ、新聞をとる家庭が減って(わたしもとってない)先程の彼女も小脇に抱えている新聞は3部くらいだったように見えたが、こんなにネットニュース全盛になる前は、当たり前のように皆新聞をとっていたのではと思う。朝早い時間に目が覚めてもう届いているのに驚いたり、逆に夕刊が届くのを楽しみに待ったりしていたっけ。

そういえば、新聞がうずたかく積まれたバイクや自転車とすれ違うことも最近はなくなっている。眠れずにいる朝方、新聞配達のバイクの音がしていたのを聞いた記憶も、なんだかすごく昔のことのような気がする。
満員電車のなかで日経を折り畳んで読んでいたようなサラリーマンも、今はみーんなスマホだしね。


かくいうわたしも、たまに出張先でホテルにある地方紙を読んだりすることがあるくらい。まさか、新聞がなくなってしまうということはないだろうと思うけれど、だいぶ部数は減ってるのだろうな。ということは新聞奨学生も今はすごく少なそう。ほかにもいろんなバイトがあるだろうし。

彼女がどんな背景で新聞配達をやることになったのか、その理由はわたしにはわからない。

今後新聞の購読者がますます減ったら、もしかして新聞は配達されずに駅やコンビニで売られるだけのものになるかもしれない。ということは奨学生制度もなくなってしまうのか、、、などと想いを巡らせると、失われてゆく風景に自分は立ち会っていたのかと、なんともいえない気持ちになった。


※9/18追記

こちらに期間ギリギリから参加させていただいてちょうど折り返し地点に!

数字に弱いわたし、改めて過去記事を見返していたらまさかのハッシュタグかぶりで、この記事が50日目でした。数え間違いはしてましたけれど、毎日書く、ということは間違えず取り組んでおります!後半戦もゆるゆると続けてまいります、、、

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