流された顛末。
人に流されて生きることは、
あまり歓迎されない。
意思を持つのが大事だと。
日々の選択の積み重ねが大事だと。
みんな言う。
でもさ、
自分の将来とか、命とか、人生とか、
毎日毎日、大それた選択を
迫られる訳ではない。
本当にどうでもいいこととか、
どっちでもいいこともある。
そういう時に、
誰かが喜ぶ方を選択したら、
"流されたのではなくて、
"喜んでもらう事を自ら選んだ"
と思いたい。
そんな考えには
とうてい及ぶはずもない、
中学生の頃。
時々、給食でフルーツみつ豆が提供された。
ある日、
みつ豆の配膳でモタモタしている。
どうやらみんな、みつ豆の
"豆"を抜きにしてくれと配膳係に
注文していた。
私は、自分の番が来た時に、
ちょっとだけ気を使ったつもりで、
豆入ってても大丈夫だよ。
と声をかけた。
配膳係の子に、
「好きなの?」
と聞かれる。
別に大好きではないけど、
嫌いではない。
面倒で、
「普通に好きだよ」
と答えたら
後ろに並んでいた子にも、
びっくりされた。
配膳が終わり、
みんなが席につくや否や、
"ちょこふみが豆好きらしい!"
そんな情報が一人歩き、
いや、もう走り出していた。
除去しきれず、混入した豆を
もらって欲しいと、
普段、喋った事ない男子まで、
みんなが私のトレイに群がる。
給食を食べ始める頃には、
私のトレイは、豆が山盛り。
真っ黒。
"普通に好き"だから、
全部たべた。
そんなことを懐かしく思い出しながら
フルーツみつ豆を食べる。
今になって思うのは、
わたし、
豆、嫌いじゃないけど、
そんなに好きじゃないわ。
と言うことと、
みんなはみんなで、
豆、好きじゃないけど、
そこまで嫌いでもないわ。
のような気がしている。
どうでも良いことで、
流された先にあったのは、
こんなちっぽけな給食の思い出。
で、皆さん
みつ豆の豆は、お好きですか?
…多分、どっちでもいいんだろうなぁ。