高齢母とのふたり暮し⑤
2021年年末からの大事件
お立ち寄りいただき、ありがとうございます。
2021年、まだ時々母が一人暮らしの年の暮れでした。
「なんだかお腹がおかしいんだよ…」
と、珍しく弱々しい声で電話が掛かってきました。
便秘気味で、おなかがぐるぐる鳴いて少し痛むという話でした。
母が電話してくるというのは、余程我慢した末のことなので、急いで茨城に車を走らせ病院に連れていくことに。
この頃は、都内の姉家族と同居していた名残りで品川区の病院にお世話になっていました。
何年も通っている医院だったので、何かあればここへかかっていました。
血液検査をして、下剤と鉄剤をもらい帰途へ。
血液検査の結果は、かなりの貧血。
「アスリートならぶっ倒れるくらいの貧血ですよ。鉄剤を出しておきますので、これで少し様子をみましょう。」
とのこと。またよくある様子見でした。
しばらくは、薬が効いたのか落ち着いていましたが、年が明け1月、
再びお腹がくるしいというので品川区の医院へ。
またまた、年末と同じに下剤と鉄剤の処方をもらい様子見となりました。
何度目の様子見よ。検査しないんかい!
と、言いたくもなりましたが、
何かにつけ歳のせいにする先生なのに、何故か母は「良い先生だから間違いない。」と、言っていました。
人当たりが優しいだけだよねぇ…
歳のせい、と言われれば「そうなのか…」と、当時は思うしかありませんでしたが、
2月初旬、事件は起きました。
母がとてもお腹を痛がり、ご飯を食べられなくなったのです。
あの、大食漢の母が!
品川の先生に電話をすると、
「茨城からは遠いのでそちらの病院に行って下さい。あまり酷いようなら、高齢者なので急変するかもしれないので救急車を呼んでも良いかもしれないですよ。」
と言われ、救急と思う程ではないので、1度腕のヒビでお世話になった近くの病院へ駆け込みました。
(転んで腕にヒビが入った時も隠していた母です。袖を捲りあげた時痣でバレました。)
年末からの経緯をお話しして、レントゲンを撮ってもらいました。
酷い便秘だと言う事で、また下剤をいただきましたが、夜になり更に悪化したため朝からまた病院へ。
今度は造影剤を入れてのCT検査です。
すると、腸閉塞を起こしている事が判明しました。
先生が慌てて、
「紹介状を書きますからどこの病院が良い教えて下さい。すぐに行って下さい。」とおっしゃいました。
患者が希望する病院で良いの?
と一瞬思いましたが、先生のお顔が広いのだろうと思い、姉の家の近くの大病院をお願いしました。
姉にもその病院へ来てくれるように連絡し、急いで向かいました。
高速道路を使って約2時間。
2時半には病院に着きました。
が!
時はコロナ禍の真っ只中。
なんと病院で門前払いをくらいました。
紹介状になんの意味もなし。
まさか、受付の事務員さんに断られるとは…
そんなことある?
もう絶句でした。
翌日、その病院の医院長が会見を開き、病室に空きがなく医師も看護師も不足している… とニュースになっていました。
仕方なく、病院前にも関わらず救急車を呼びました。
が!
受け入れ先が見つからず、5時くらいまで病院前で留まる事態に。
やっとの事で世田谷区の救急病院に向かいました。
当直の先生が、品川区の大病院が腸閉塞の患者を受け入れなかった事に激怒し、
「紹介状の封すら開けないなんて駄目ですよ!
わたしが!何としてでも受け入れ先を探します!」と、頑張ってくださいました。
軽い診察を受けましたが、
残念なことにその当直の先生は腸閉塞の専門外でしたので、その病院で診ていただく事は叶いませんでした。
たぶん救急隊の方がとりあえずどこかの病院に…と繋いで下さったのかもしれません。
若い先生がやっとの事で探し当ててくださったのは、最初に救急車から連絡して断られた病院でした。
もう7時を過ぎていたので、夜勤として医師が入れ替わったのでしょう。
そこで、違う救急車に乗り換え、品川の大病院へむかいました。
この間、2時半から7時半まで、ずっと同じ救急隊の方々が母のそばに付き添って下さっていました。
時折、気を紛らすお話をしてくださったりととても気遣っていただいて、感謝の気持ちが溢れました。
8時近くに東京品川病院へ運ばれ、内視鏡によるステント手術を受ける事になりました。
母の為に看護師さんや技師さんが緊急で招集されたらしく、バックパックを背負った人達が続々と手術室のある方へ向かって吸い込まれていきました。
夜になのに… ごめんなさい!
手術は、深夜12時過ぎまで掛かりましたが、
「失敗しました…」
ということで、翌日再度挑戦して下さることになりました。
深夜になってしまったので、私達は病院近くのホテルに泊まりました。
夜中にノコノコ姉の家に行けば、義兄に文句を言われること間違いなしです。そんな人です。
翌日、呼ばれて病院に行くと…
「成功しました!」
と、内視鏡の先生が嬉しそうに説明して下さいました。
母の病名は、【横行結腸癌のステージ3】
6.5センチ大の癌が腸を塞いでいました。
ただの便秘ではありませんでした。
高齢者によくある便秘として扱われ、長年放置された結果です。
ステントを設置し、大腸内が綺麗になってから、癌の切除手術をする事になりました。
その後、大腸を50センチ切除する手術を受け、1ヶ月待たずに退院しました。
術後は、麻酔をしたことによるせん妄が酷く、
超高齢なのでこのまま痴呆になってしまう可能性大と言われてしまいましたが、
母はまさかの完全復活を果たしました。
入院中は色々な施設を探していましたが、全く必要ありませんでした。
そして…
この騒動で、姉家族と私家族の間には大きな溝ができることに。。。
本当に姉家族には失望です。
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