最近、思うこと。
もし明日、富士山が噴火したら、私は後悔せずに溶岩に飲まれて死ねるだろうか。
もし明日、南海トラフ地震が来たら、私は後悔せずに瓦礫に潰されて死ねるだろうか。うーん、多分無理。
後悔だらけだわ。後悔だらけで、魂だけとりあえずこの辺にウヨウヨさせておくかもしれない。迷惑。
小学生の頃から「やってみたい!」と思っていた、お芝居の世界に飛び込んだ。
中学を卒業した瞬間からオーディションを受け続け、大学生のとき念願の芸能事務所所属という切符を手に入れた。上京するために3年間で単位を取得し、大学4年の時に上京したけれど、マネージャーとの関係が悪化して退所。
大学を卒業してすぐのことだった。
その後もオーディションやレッスンを受け続ける日々だったけれど、結果が出ない、頑張りと成果が直結しない世界では、何も満たされることはなかった。
どこかやりきれなかった私は、2020年、業界ではかなり厳しい軍隊みたいだと有名な、お芝居のレッスンの門を叩いた。結果、体調を壊した。(そりゃそうだろ)
ここで私は一旦、やりたいと思っていたことが、本当にやりたいことなのか分からなくなった。
そもそもやりたいことなど、本当にこの世に存在するのか?やりたいことなんて、今まで見てきた情報で構築された錯覚なのでは?
"ほとんどの人間にはやりたいことなんてない、得意なことを伸ばすべき"という本を読み漁り、ふーん、そうなんだ。と、なんとか区切りをつけようとしたけれど、でもそれって"得意なこと"でたまたま成功した人が言ってるだけじゃない?という疑問が浮かぶ。
結局どんな本を読んでも、どんな情報を得ても、人間が書いている限り、その人の成功体験や主観でしかないのだ。
2020年、無事、燃え尽きたチョコアイス。ありがとうございます。
何をして良いかわからなくなった私は、偶然音楽番組で「Dynamite」を歌って踊り、キラキラ輝く7人を見た。どうやらそれは「BTS」というグループらしい。
出会っちゃったね、出会っちゃったよ。
7人のプロフィールを調べると、私と同世代だった。
そのときに一発目に出た感情は、「悔しい」であった。(おこがましいぞ!身の程を弁えろ!という叱責、お待ちしていません)
ただ、「ラブマイセルフ」を掲げる彼らの楽曲は、当時燃え尽きていて自己否定感MAXだった私に、衝撃と癒しをくれた。
「Ansewer:Love Myself」や「00:00」を毎晩聞いては泣き、毎朝聞いては動けと自分を奮い立たせ、BTSの曲漁り、和訳見て、泣いて泣いて、すげーと思って、最終的には、やっぱり悔しかった。
目指しているフィールドは違えど、あんなに成功している人たちがいるんだと思った。
その後、下記記事に記載してある通り、私は立派なジンペンとなった。
前職、”国民的アイドルグループ嵐のファン”というオタクスキルを持ち合わせていたため、ソッコーでTwitterのアカウントを作成。チョコアイス、誕生である。
コロナ禍で外出が制限され、もともとインドア派だった私はさらに友達が減って行くのかと思いきや、なぜか友達が増えた。
スペース(注1)を始めてみたら、何にも取り柄がなかった私の、どうしようもない話を聞いてくれる優しい人たちと出会った。
それは自分の大切な居場所のひとつになった。
振り返れば、BTSとキムソクジンに出会ってからは、いろんな角度から、ひたすら自分を知る時間になっていたと思う。
自分の得意も不得意も、好きも苦手も、そんなこと考えもせず、見切り発車で突っ走ってしまった私の、少し立ち止まれた時間。
そしてBTSを応援し始めて2年が過ぎた、2022年6月14日。
公式YouTubeで「バンタン会食」というコンテンツが配信された。
日本語字幕がついていなかったため、後からYouTubeやTwitterで訳を漁ったり、パパゴで翻訳にかけたりして、なんとか解読。
そこには、おそらく多くの人たちを絶望に追いやる言葉たちが、ズラリと並んでいた。
これを見た彼らの後輩たちは、どう思ったんだろうか。
これを見たアイドルを目指している人たちは、どう思ったんだろうか。
そして、こんな状況になってしまったBTS本人たちは、どう思ったんだろうか。
そんなことを考えながら衝撃に打ちのめされていると、ふと「ん?あれ、これ、なんかに似てるわ。」と思った。
そうだ、私が同業者の仲間と少しお酒を飲みながら、ひたすらマネージャーやスタッフの愚痴大会を開いている光景にそっくりだ。
金曜日の夜、居酒屋で会社員が、会社や上司の愚痴に花を咲かせる光景にそっくりだ。
あの天下のBTSが。
グラミー賞にノミネートをされたBTSが。
国連で演説をしたBTSが。
結局あの地位まで行ってもなお、悩みはみんな同じなのだ。
やりたいことをやるために音楽を選んだのに、結局会社の利益を出さなければいけなくなるのは、当然である。
売れたからやりたいことができるのではなく、売れすぎて背負うものが大きくなると、結局自分ではなく、周りを優先しなければならなくなる。
見えそうで見えない真理だ。
エンタメの世界では、認められない悔しさや怒りをバネに、きっと成功すれば自分の価値が生まれて、自分のやりたいことができると信じ、上を目指している人が多い。
そして私もその一人だったのだが、あの「バンタン会食」で現実を突きつけられたとともに、「まあそうだよな」と、冷静に見ている自分もいた。
「とにかく幸せに仕事をしたい」と泣くキムナムジュンの言葉は、おそらく、世界中の人が願うことではないだろうか。
「2013年から音楽を作ってきて、一度も楽しいと思ったことはなかった」と言ったミンユンギは、さすがにそれは嘘だと思いたいが、とにかく今はそう口走ってしまうほど楽しくないのだろう。
楽しくないのに、楽しそうに見せなければならない仕事だということは、エンタメ業界の端くれの端くれの底辺にいる私でも、痛いほどわかる。
だからこそ誰も責めることはできないが、あのバンタン会食を見た日から、何だか喪失感があった。
自分が選んだ世界で、描いた未来の先で、涙を流している人たちを見たからだろうか。
私はちょうど、「そろそろ諦めようかな」「ちゃんと就職しようかな」と、思っていた時期だった。
転職エージェントに相談すると、「年齢的にギリギリですね」「今すぐ転職活動をしてください」と言われる。そりゃそうだ。まあ聞かなくても分かりきっていたことだ。
なんとか普通に生きようとした。バンタン会食を見て、「成功して売れたとしても、こんな風に悩みは尽きないんだろうな」と、なんとか飲み込もうとした。BTSを利用して、自分が諦めたくないことを、諦めようとしていたのかもしれない。
でも、それをしようとすればするほど、脳の表面と内部が乖離している感じがしてしまう。今もそれが残っている。
自分が追いかけてきたものを自分から引き剥がそうとする時間は、とんでもなく長く感じた。1日が過ぎるのが、とにかく遅い。それなのに、カレンダーを見て、時の流れに焦る自分もいる。何かしないと、どうにかしないとと、どうにもならないことを、悶々と抱えている自分がいる。
私の居場所であったTwitterを覗くと、何事もなかったかのように世界が回っていた。みんながBTSメンバーのソロ活動を応援し、希望を抱き、夢を見ていた。
もちろん、Twitterなんかでは、その人たちの本心は見えない。
もしかすると、見たい情報だけを見るという、とても正しい応援の仕方をしているのかもしれないし、とにかく7人を見ることができれば幸せという、優しいファンダムなのかもしれない。
でも私は多分もう、BTSに夢を見ることはできない。
"アイドル"として、彼らを応援することはできない。
それは決してマイナスな意味ではない。
これからは、現実に存在している"人間"として、彼らを応援していくのだと思う。
こんな状況の中でも、何かを生み出し続ける彼らを見て、勇気や、時には絶望を受け取るのだろう。
自分の中に、答えは既に見えている。
私はきっと、まだ諦めたくない。
タイムマシンにでも乗って、どの選択が正しいのか、答えを知ることができたらどんなに楽だろうと思う。
選択に迷い、いろんな本を読み漁った。
どの本にも共通して書いてあったことは「やりたいことをやらなかったという選択が、一番後悔する」というものだった。
そしてこれが、死ぬ前に人が思うこと、1位だそうだ。
もし明日、富士山が噴火したら、私は後悔せずに溶岩に飲まれて死ねるだろうか。
もし明日、南海トラフ地震が来たら、私は後悔せずに瓦礫に潰されて死ねるだろうか。
「はい」と言えるように生きていかなければ、私は納得できない性分なのかもしれない。
なんと厄介な。
BTSが大好きだ。
多分、これからも、ずっと大好きだ。
でも、そろそろ、自分の人生を生きよう。
どうなるかわからない。
社会から取り残されるかもしれない。
このままどんどん歳をとって、就職も結婚もできないまま、死ぬのかもしれない。
でも多分、そんなことよりも、今の自分にとっては、夢を諦めることのほうが何倍も苦しいのだ。
重い腰を上げて、小学生からの自分の夢を、叶えてあげたいと思う。
(注1)
Twitterのユーザーが集まり、音声を使って自分たちで作り上げるTwitterのコミュニティ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?