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好きなこと、得意なことをどうやって見つけるか。

noteを再開してから、更新し続けることができている。
昨年いろいろあってどん底にいて、やっと立ち上がろうと思った時、何かを始めたい、続けたい、と思った。何かを続けていれば、きっと自分も何かしら変わる、と思ったからだ。

続けるものを選ぶ中で、資格試験や検定なども少しやってみたが、今までやったことのない分野を勉強するのも正直しんどい。どん底にいるのにそういう体力も精神力もない。
そもそも、やったことのない分野に今から殴り込んでも、若い世代に勝てるのか?いや別に勝たなくてもいいんだけど。
私にはこれといった特技もない。ずっと続けてきた趣味や好きなこともない。親の都合で大好きなピアノも辞めさせられたし、門限が厳しくて部活動も入れなかったし、大学に入るために勉強ばかりしていて、大学生になってからも生活費のためにアルバイトばかりしていた。
勉強はきっとそれなりに得意だと思う。だけど勉強したところであまりいい思い出もないし、何かに繋がったという成果をそれほど実感していないため、モチベーションが上がらない。あと、資格なんてもうたくさん持ってるのに、今さら増やしたって履歴書書くのが大変になるだけで、それを使える力が今の私にはない、と感じていた。
(他の人が勉強することを否定しているのではありません。)


何より、好きなことじゃないから続かない。

私は、続けられることを考えた。
そのためには、自分が好きで、苦なく続けられること…。

子どもの頃を振り返った。幼児の頃から音楽がとても好きだった。でももう基礎が全く分からないし、指も動かない。しんど。やめとこう。

あ、小学生の頃から文を書くことはとても好きで、全く苦にならなかった。日記、作文、読書感想文、小説、受験の小論文、会社に入ってからは報告書など、そしてブログ… 書くことは楽しかった。

そう、『やっていて苦にならない』というのはひとつの特技なのかもしれない。なので、とにかく毎日何かを書いてみることにした。それがこの『note』だ

三つ子の魂百まで。というが、子どもの頃に時間を忘れるくらい好きなものというのは、自分の一生を支えてくれる大切なものかもしれない。だけど、周りの大人によって世間一般の基準の枠に当てはめられ、その才能の小さな芽は埋もれたまま、発見されないまま、生きていく場合も有るだろう。

だから、もし生きる道に迷っていたら、自分の子ども時代を思い出してみるといいかもしれない。きっとそこに、自分の良いところはきっと隠れていると思う。ただ気をつけたいのは、その出来を他人と比較しないことだ。他人なんてどうでもいい。そのことは自分自身を強く支えてくれるためのもので、自分のためのものだから。そして何より、続けることに意味があるのだ。

私はこのnoteを続けて、何かを成し遂げたいとかのビジョンは今のところ何も無い。ただ自分と向き合い、新たな一歩で何かが変わると信じて、続けていこうと思う。

(全て無料テキストです。気が向けば投げ銭お願いします。)

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