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女もつらいよ(創作)

「言葉であそぼ」では、五十音を使って物語を描いていきます。今回は「お」から始まる言葉がたくさん入っています。

「俺がいたんじゃお嫁に行けぬ。わかっちゃいるんだ妹よ」

寅さん映画の主題歌が聞こえると、反射的に貴方のことを思い出す。
寅さん映画が好きで、Blu-rayで全て観ているのに、テレビで放映されると必ず観て、必ず大笑いして必ず涙ぐんでいた貴方。
別れてもう5年も経つのに、今でも鮮明に覚えている。

寅さん映画だけじゃない。街のあちこちで、季節のあれこれで、思い出してばかりいる。
あのときに時間を止めないで、二人とも前向きに動き出したけれど、心は思う通りにはならなかったみたい。

幼いころはおてんばだったけれど、歳を追うごとに臆病になっていた私が、叔父さんの喫茶店を手伝っていたのは大学生のとき。接客業は得意ではないけれど、叔父さんのたっての頼みで仕方なく引き受けたアルバイト。
貴方はお店の常連さんで、おどおどしている私がオーダーを間違えてしまったり、お盆を落としてしまったりしても、いつも笑ってくれた。そのおおらかな笑顔にどれだけ救われたことか。
貴方からオッチョコチョイのチョコちゃんと呼ばれるようになって半年。
「チョコちゃん、今度一緒に出かけない?」と誘われて驚いた。
奥手の私は、男性と出かけるなんて初めてのことだったから。
大好きな『男はつらいよ』が映画館で上映されるから、チョコちゃんと一緒に観たいんだ、と言われて、黙って頷いた。
大宮の映画館は遠かったけれど、電車の中でのおしゃべりは楽しかった。いつも穏やかな貴方が、寅さんのことになると大げさなくらい熱く語るから、思いきり笑ってしまった。
「大きな声で笑えるんだね」と貴方も笑って、「こんな風に二人で出かけてみたかったんだ」と照れくさそうに言われて。

私たちは付き合い始めた。

好きな映画を聞かれて「オードリー・ヘプバーンの『おしゃれ泥棒』」と答えたら、すぐにDVDで観てきて、感想を教えてくれた。
行きたいところを聞かれて「野球場」と答えたら、チケットを取り連れていってくれた。
最初のうちはおとなしく応援していたが、逆転ホームランに二人とも立ち上がって大声で「おーっ!」と叫んで、笑った。同じオリックスファンということも分かって嬉しかった。
私の誕生日は、毎年初台のオペラシティのコンサートに招待してくれた。初めて訪れたときに、生のオーケストラの音に心から感動した私を見て、毎年の恒例になったのだ。
貴方と一緒に過ごして、私のお気に入りはどんどん増えていった。

実家暮らしの私の家に上がるようになったのは、一年くらい経ってからだろうか。
いつも家の前まで送ってくれる貴方と挨拶したいと、お母さんが言ったのがきっかけだった。
「お付き合いしている人なの」と両親に紹介したときは、ものすごくものすごく緊張した。応接間で隣に座る貴方は落ち着いていて、その落ち着きぶりが少しにくたらしかったりした。
後で聞いたら、同じように緊張していたらしいけど。
お母さんが貴方をとても気に入って、それから何度も我が家で一緒に食事をしたね。誰かからお土産をいただくと「おすそ分けを持っていきなさい」と必ず持たされて、重いもののときは大変だった。
温和で会話が面白い貴方は、お父さんのおめがねにもかなって、ホッとした。

私が大学を卒業して、お勤めするようになってからは、ときどき旅行にも行ったね。
オシャレな場所よりも、古き良き場所を巡るのが好みで、神社にお詣りするときはいつも、おごそかな空気に触れながら「この人とまた一緒に来られますように」と拝んだものだった。

付き合って7年。「そろそろ結婚の話が出るんじゃない?」と友だちに言われるようになったころ、
貴方から話があると言われた。

期待にドキドキしながら待ち合わせの喫茶店に向かうと、少し怖い顔をした貴方がいて、
私のおめでたい想像はスッと引っ込んだ。

奥の席に座るなり、貴方は黙って頭を下げたよね。
他に好きな人ができたのかな?終わりなのかな?と、頭がグルグルしている私に貴方は、
「困っている国へ行って支援してきたいんだ。日本へは戻らない覚悟で行ってくる」と言った。
「不安定な情勢の国を回るから、付いてきてくれとは言えない」と語る貴方のまなざしから、真剣さが伝わってきた。

付き合いはじめてから、貴方がお医者さんであることを知ったけれど、総合病院勤務ということもあり、あまり実感したことはなかっただけに、気が動転した。


その夜、寝付けなくボーッとしていた私の耳に、お母さんの短い悲鳴が聞こえた。
「お父さんっ!!」

お父さんが倒れたのはくも膜下出血が原因で、処置が早かったので大事にはいたらなかったけれど、私の心を決めるには十分だった。

一人っ子の私は、親を置いて日本を離れられない。


貴方の出発の日まで、私たちは今まで通りに過ごすことにした。
私を置いていく貴方が私に申し訳なく思わず、貴方に付いていけない私が貴方に申し訳なく思わず、
お互いへの思いやりを確認しながら、過ごすことにした。

ときどき涙が出てしまうこともあったけれど、私たちらしく過ごせたと、今でも思う。


この世に生まれてきた恩を返したいと貴方は言った。
そんな貴方が誇らしく、そんな貴方を好きになった自分を誇らしく思った。


空港には行かずに、家で
「大人になってからの夢を叶えられておめでとう」と小さくつぶやいた。


あれからずっと、
貴方の無事を祈りながら、
でも、
貴方にしばられることなく、前向きに過ごしている。

お父さんとお母さんとの暮らしはしあわせだけれど、人生を共に歩きたい人にはなかなか巡り会えなくて……



私も寅さんみたいに惚れっぽかったらよかったのに、と思う。

女も
女もつらいよ。

【お】
俺/お嫁/大笑い/覚えている/思い出す/思う通り/幼い/おてんば/追う/臆病/叔父さん/おどおど/オーダー/お盆/落とす/おおらか/オッチョコチョイ/驚く/男はつらいよ/奥手/大宮/おしゃべり/穏やかな/大げさ/思いきり/大きな/オードリー・ヘプバーン/おしゃれ泥棒/教える/おとなしく/応援/大声/おーっ!/同じ/オリックス/オペラシティ/訪れ/オーケストラ/音/お気に入り/お母さん/お付き合い/落ち着く/お土産/おすそ分け/重い/温和/面白い/おめがね/お勤め/オシャレ/お詣り/おごそか/拝む/大人/おめでたい/奥/終わり/親/置いて/お互い/思いやり/恩を返す/おめでとう/女

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ちょっちょ
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