せせらぎに焚く青雲(創作)
おかあさん
突然いなくなってしまってから3年が経ちました。
お元気ですか。
あちらの世界の人に安否を尋ねるのはおかしなことかもしれないけど、聞かずにはいられません。
お元気ですか。
ご先祖さまたちとのんびりしているのでしょうか。それともあらたな生命となって、もうこちらの世界にいるのでしょうか。
最近、そんなことをよく考えます。
おかあさんがかわいがってくれた孫は、もう5歳と3歳になりました。
幼稚園の入園式の朝、ふと「おかあさんに見せたかったな」と思った瞬間、涙がボロボロとこぼれました。孫の成長を誰よりも喜んでくれただろう。わたしと同じ幼稚園の制服を着た息子を見て、自分の子育ても思い出しただろうか。涙がとまらなくなり、声を押し殺してしばらく泣きました。
振り返ってみたら、わたしはおかあさんが亡くなった後、ちゃんと泣いていなかったんだと気づきました。通夜告別式なども含め、いろいろやることがあったし、何より子どもたちの世話があったから。親となった責任を果たそうと精いっぱいでした。
しばらくは、なんとなくいつか生還してきそうな気もしていましたしね。積極的かつ精力的だったおかあさんならあり得ないこともないかなって。そんなことでも考えていないと、精神が参ってしまう気がしたんですね。
悲しみや寂しさを忙しさや妄想で紛らわせていたツケが回ったのか、いま、こんなに寂しくて切ないです。
おかあさんの部屋には、今はお仏壇が置いてあります。
初めてのことでどんなものを買ったらいいのか悩んでいたら、お店の人が誠実に対応してくれてセンスの良いお仏壇を選んでくれました。そのなかで、すましているおかあさんの写真はなかなかです。黙っているからか清楚な印象すら受けますよ。せっかちには全然見えません。
亡くなってしばらくは、お悔やみとしていただいた高級なお線香を焚いていましたが、今はもっぱら青雲をあげています。
お線香を買うときになると「青雲のCMソングいいわねぇ。曲も歌詞も好きだわぁ」と言っていたおかあさんの声を思い出して、つい買ってしまうんです。まんまと宣伝にはめられてます。
だってCMが流れるたびにそう言って、たいていは一緒に歌っていましたからね。
そうそう、青雲といえば、おじさんの家の近くにできた大きな青雲橋のことを覚えていますか。ニュースを見て「行きたいわ」と言っていたでしょ?
納骨のためにおかあさんの生家に帰ったときにその話をしたら、おじさんが「行ってみるか?」と言ってくれたので、ぜひとも!とお願いし、連れていってもらいました。
この日は晴天で、下のほうから見上げる青雲橋のアーチと高千穂鉄道の線路は絶景でした。でも私は橋の上から眺めた五ヶ瀬川の清流にジンときました。おかあさんが青春時代にこの川で泳いだ話をしてくれましたよね。もっといろいろな話を聞きたかったと、しんみりしてしまいました。
そしたら、橋の欄干によじ登ろうとするおじさんの背中が見えました。
慌てて止めましたよ。気がついてセーフといったところ。こんな高さから落ちたら絶対に助からないですもの。水面までの高さが137mもあるんですって。
ほんと、おじさんは相変わらずです。精神年齢が子どものままで、善良なんだけど全力でふざける人。
「やめんね〜」と言ったら「せからしか〜」と面倒くさがられました。すぐに肩やら揉んでくるセクハラ親父でもあるけど、憎めない。
おかあさんの告別式のときも、センチメンタルにならずに、絶妙なタイミングで笑わせてきましたし。
まあ、全員面白いですものね、うちの一族。ふふふ。
青雲橋を見せてもらったあと、また生家に戻って、川のせせらぎを聞きながら仏壇に線香をあげました。
そういえば、この川のことを短歌にも詠んでいましたよね。おかあさんが寄稿していた同人誌を代表の方が送ってくれました。同人誌に寄稿していたなんて知らなかったから驚きました。
故郷の歌を5首。
いつも、いつでも帰りたかったであろう故郷。短歌で読むと、なおいっそうおかあさんの心情がわかる気がしました。
こんな形で帰ってくることになるなんて思ってもみなかったでしょ?
言っても詮なきことなんだけど、生存しているうちに一緒にゆっくりきたかったですね。わたしが成人になってから話す機会が減ってしまったのが今となっては残念でなりません。
おかあさんに先立たれて、ばあちゃんはすっかり小さくなりました。
明るい性格の人だけど、さすがにおかあさんのことはこたえたようです。絶望からは立ち直ったとはいえ、まだ以前の元気はありません。
夜になってから外へ出てみたら、せせらぎだと思っていた川の音が、風と混ざってゴウゴウと響いていました。
美しく煌めく星座は、たくさん見えすぎて果てしなく感じました。
わたしは、自然が迫ってくるようで少し怖くなりました。
自然とともに生活していたおかあさん。
おかあさんにとっては、東京がせかせかとせちがらくて怖い場所だったかもしれないですね。
それでも、
わたしと一緒に東京で暮らしてくれてありがとう。
もしまだ空中をフワフワしているのならば、故郷のばあちゃんやおじさんたちと、東京のわたしたち家族を、交互に見守ってくださいね。
そしてもし気が向いたら咳でもして、せっかくですから存在をアピールしていってください。
あ、おかあさんだなと、気づいてみせます。
切に願っています。