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【な】鍋と名前と中島みゆき

五十音一文字ずつから三つの言葉を選び、自分語りをしています(五十音ブログ)

鍋は料理下手の味方?

子どもが多いのに料理が苦手なので、夕飯を鍋にすることが多かった。野菜をザクザク切るくらいなら私でも大丈夫だから。

常夜鍋や水炊き、一番多いのはおでんだった。今はもう閉店してしまったが、中野ブロードウェイの西友側の出口の並びに上州屋というおでん種を扱う練り物屋さんがあって、そこまで自転車で買いに行く。餃子巻・焼売巻が大好物だった。

それから新井薬師方向に戻って、浜田とうふ店でコンニャクとがんもとちくわぶを買う。家の近くにも美味しい豆腐屋さんがあるのだが、親しくしているが故にあまりにも頻繁なことがちょいと恥ずかしく。。。

おでんは絶対に煮立たせてはダメで、それさえ守れば私でも失敗がない。たまに殻が上手く剥けなくてゆで玉子が凸凹するくらいである。

同じ鍋で煮ているのに、昆布は昆布、コンニャクはコンニャク、竹輪は竹輪のまま存在しているのも好きだった。煮物と違って同じ味に染まらないのが愛おしい。

子どものころは鍋をつついた経験がほとんど無い。母と二人だし、そもそも鍋料理はご馳走だった気がする。

由来を調べる宿題

小学3年生だったか4年生だったか、「自分の名前の由来をおうちの人に聞いてくるように」と先生が言った。宿題である。

仕事から帰ってきた母に「宿題なんだけど」と尋ねると、母は夕飯の支度をしながらゆっくりと語り始めた。

「あんたを連れて退院して、新井のアパートに帰ってきて、『これからどうすればいいんだろう』ってちょっと途方にくれてね。
名前を付けて役所に出さなくちゃいけないって分かってるんだけど、決められないのよ。何日考えても浮かばないの。
時間だけどんどん経っちゃってね。それは不安だったわよ。

そんな時、アパートの窓の外に近所の女の子が通りかかってね、『ああ、この子いい子だし、この子の名前でいいわ…』って、決めたのよ」

幼いころから母は私に対して子ども扱いすることなく接してくれていたので、こんな話を聞かされても驚くことはなかった。話し終わってから私を見て笑ったので、名前を決められて母はホッとしたんだな、近所のお姉ちゃんはお手柄だったなと思ったのを覚えている。

ただ、さすがにこれを学校で言うことは出来ないので、「じゃあ、学校では適当に答えておくね」と答えて、夕飯を食べた。


今でこそシングルマザーという言葉が世の中に馴染んできているが、昭和30年代において“片親”というのは非常にハンデのある存在だった。そして、死別でも離別でもない一人親は稀だった。そういう意味では、私は産まれた瞬間からマイノリティだったわけだ。

意味を持たない名前については、その後いろいろ思うところもあったけれど、他の人たちの名前に“希望”や“夢”が詰まっているとしたら、私の名前は“母の覚悟”で出来ているんだと、いつからか思うようになった。

結婚せず子どもを産むという覚悟は、重く大きなものだったろう。もう本心を確かめることは出来ないけれど、背中を見ているだけで分かったことはたくさんあるのだ。


ちなみに授業では

「美しい子に育ってほしいと考えて付けたそうです!」と答えてみた。

そのあと男子から「美しくないのに美って付いてるのは“名前負け”って言うんだぞー!!」とからかわれた。

こんな嘘はついていい。平和な学校でそんなことを学んでいた。

そんな時代もあったねと

2年前、カラオケで中島みゆきさんの『時代』を歌った。中学の同級生たちとの忘年会の四次会である。何曲か歌った後、3人でこの曲を歌い始めたら涙があふれてきた。他の2人もなぜか泣いている。

「なんで泣いてるの〜?」と別の友人から声がかかる。「わかんない〜」と泣きながら歌いながら答える。「思い出の曲なの?」と聞かれて、「違う〜」と首を横に振る。3人とも別に『時代』に思い入れがあるわけではない。

なんで泣いたんだろう。


そんな時代もあったねと
いつか話せる日がくるわ
あんな時代もあったねと
きっと笑って話せるわ
だから 今日はくよくよしないで
今日の風に吹かれましょう ♫

『時代』作詞作曲:中島みゆき


理由はなかったけれど、綺麗な涙だった。


コンサート、また行ってみたいな。

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