熨斗紙に愛をのせて(創作)
今日も私の勤める百貨店は大混雑だった。
屋上では夏休みのお子さん向けのイベントをやってるし、催し物場は不動の人気ナンバーワンの北海道展だし、化粧品ブランドがノベルティを配ってるし、
これで集客が上り調子でなかったら心配になるというものだ。
私は、そんなバタバタしている売り場をチラリとのぞき見ながらのんびりしていた。
先月、手伝いとして駆り出されていたお中元センターで、みんなと一緒に繁忙期を乗り切ったばかりなのだ。少しくらいのんびりしてもいいだろう。
普段の私は、贈り物相談所で筆耕の仕事をしている。結納品の目録や金封を書くこともあれば、ご出産の内祝いの表書きや命名札を書くこともある。熨斗袋は数枚ならその場でお書きすることも多い。
スローペースな私にとって、納期が詰まっておらず、閉店後に残って仕事をすることが少ないこの職場はとても居心地がいい。
おかげさまで、私に書いて欲しいと名指しで頼まれることも多く、ありがたいと思っている。
たった一枚の熨斗袋でも心をこめて筆を持つ。この仕事に就いたときから変わらずに行っていること。
私に書道を教えてくれたおばあちゃんの教えである。
自宅と同じ敷地内にあるおばあちゃんの家は、いつも墨の匂いがした。
野の花が咲き乱れる庭の飛び石を鼻歌を歌いながら踏んでいくと、おばあちゃんの家の勝手口に到着する。
家の中からはサラサラと筆を走らせる音が聞こえる。
私は鼻歌をやめて軒先に回ると、中をそっとのぞきこむ。
のどかだけれど空気が少しピンと張っていて、筆だけでなく、紙を動かす音や座り直す音がよく聞こえる。
墨を磨る音がしたなと思うと、墨の匂いが増すような気がした。
いつもいつも。
昼間は大人向け、夕方からは子供向けの書道教室を開いていたおばあちゃんは、私を誘ったりはしなかった。
私は自分から「おばあちゃんに書道を教えてもらいたいです」と望みを伝えて、門下生になった。
伸び盛りの子供時代を経て大人になり芸術的な書道にも取り組んだりするうちに、私は実用的な文字が好きなんだと思うようになった。
芸術的な能力が足りないのではなく、情熱がもてないのだ。
おばあちゃんは「どちらのほうが上ということはないから、ノコちゃんが好きなことをすればいいのよ」と、ニコニコしながら言った。
そんな私に、お教室仲間のおねえさんが仕事を勧めてくれた。
大学の友人が軒並み内定をもらうようになっていて、私も真剣に考えないとなと思った矢先のこと。
「ノコちゃんだったら、書の腕も人柄も安心して推薦できるわ」と言って、おねえさんは自分が勤めている百貨店での今の仕事を紹介してくれたのだ。
特殊な仕事なだけに、通常の入社試験ではなく、面接とこれまでの作品で決めてもらえ、内定のご連絡を受けたときは、私にしては珍しくのけぞって「やったぁ!」と叫んだ。
親しくしていた校長先生から請け負った卒業証書が決め手になったそうだ。
名前にこめられた意味を想像しながら、丁寧に書き上げた文字を認めてもらえたのが、とてもうれしかった。
書が好きで、人の名前が好きな私にとっては、天職かもしれない。
実は、一時期母方の祖父母の農家を継ぐということを考えていた。農作業は大変だが、コツコツ働くのは性に合っているし、天塩にかけた野沢菜を炒めて食べるときが至福だったから。
働きはじめてからも休みのたびに手伝いに行っていたので、周辺の農家の方々とも仲がよく、うちで作っていない農作物を分けてもらったりしていた。
農家の若者たちによる懇親会(実はただの飲み会)に参加したときに知り合ったのがノブヲさんだ。
農協の職員だというノブヲさんは、笑うと目がなくなってしまうのが印象的で、初対面とは思えないほどリラックスして話ができた。
次の週末の農協主催のイベントにノブヲさんが出るからと誘われて、私は職場の先輩に休みを代わってもらって行くことにした。
先輩から「ノコちゃんが休みを代わってほしいなんて珍しいわね」とからかわれて、そういえばこんなことをするのは初めてだと気づいた。
ノブヲさんは、飲食コーナーでのっぺい汁を配っていた。こっそり眺めていたが、小さな子どもに器を手渡すときに「気をつけてね」と言いながら目がすっかりなくなっているのを見て思わずフフフと笑ってしまい見つかってしまった。
「あ! ノコさん!!」と大きく手を振ってくれて、少し恥ずかしく、少し嬉しかった。
会場を案内してもらったが、ノブヲさんがあちこちで声をかけられるので、私もたくさんの人と挨拶を交わした。
「彼女さん?」と聞かれて、「それはこれからです」と能天気な答えを返すノブヲさんにドキドキして赤くなる私。
バスの乗り場まで送ってくれて、「今度デートに誘ってもいいですか?」と聞かれて、コクンと頷いて、
私たちは付き合いはじめた。
農大でバイオサイエンスを学んでいたノブヲさんから農業のノウハウを教えてもらうのも、お互いに乗り物好きだと分かり、モノレールや観覧車などに乗りに行くのも楽しかった。自転車で公園に行ってノスタルジックな気分に浸って過ごすことも多かった。
「のぼうの城」の映画を観に行ったときに野村萬斎さんが好きだと話したら、気を利かせて能のチケットを用意してくれたこともある。後から、萬斎さんは能じゃなくて狂言の人だと気づいて苦笑いしていたけど、気持ちがとても嬉しかった。
お返しにと、ノブヲさんが好きな乃木坂46のコンサートのチケットを取って、二人ともノリノリでペンライトを振ったりした。
ノブヲさんは私の仕事の話が楽しいらしく、身を乗り出して聞いてくれるので、私も調子に乗ってのびのびとよく喋った。仕事用のノートを見せたら心から感心してくれた。
満月の夜、
私の家で、残り物の海苔巻きと野沢菜漬けを二人でつまみながら、いつものように私が仕事の話をしていると、ノブヲさんが、
「ぼくたちの結納のときも、ノコちゃんが目録を書くのかな」と微笑みながらつぶやいて、急にハッとした顔になった。
「それって……」と言葉を飲み込んだ私に
「ごめん。ごめんなさい。いくら呑気な僕でも、プロポーズはビシッと決めるつもりだったのに」と慌てて謝るノブヲさん。
ビシッと決まらなくても、NOと言うわけがない。
私は、机に置いていた熨斗紙をノブヲさんにそっと差し出した。
熨斗紙の表書きには、ノブヲさんの苗字の下に私の名前を書きいれている。
「練習していたの」と照れ笑いした私を、ノブヲさんはギュッと抱きしめて、
それから、思いきり手を伸ばして
「やったぁ!!!」と叫んだ。
大きく見開いてもノブヲさんの目は細いんだなと、私はクスクス笑いながら涙ぐんでいた。