離島で揺れるリボン(創作)
「え? 今 離島って言った?」
新入社員歓迎の立食パーティーで、取り分けてきたリゾットに集中していた俺は顔をあげた。
新入社員は順番に前に出て「将来の夢」を語ることになっていたのだが、いま話している人が「離島」と言ったのだ。
「子どものころから、自然の中で心穏やかに暮らすことができる離島に住んでみたいという夢があります。今の仕事を通じて、しっかりとスキルや経験を積んで、もっと自分のリズムで過ごせる環境を整えられるよう努力したいと思っています。」
少し力んで話したあと、軽く息をついてニコッと笑った。
俺は自分の番に当たり障りのないことを話し終えたあと、彼女のそばに行って話しかけた。
「俺、竜崎っていうんだけど、君は離島に住むのが夢なの?」
彼女は特にリアクションもなく、自然に「そうです。私は鈴木リンネと言います。鈴木姓は多いのでリンネと呼んでください」と俺の顔を見上げながら言った。
俺はそれほど背が高いほうではないので、彼女が俺を見上げるということは、かなり小柄なのだろう。
「離島に興味があるのですか?」と話しかけた理由を聞かれて、「いや、あ、その、俺はそうでもないんだけどね」と答えると、
リンネさんは不思議そうな顔をする。
「兄貴がね、離島関係の仕事をしてるんだよ」と続けると、目をキラキラ輝かせて「詳しく聞かせてください」と頼まれた。
リンネさんは友だちから「旅行で行くのはいいけど住むのはリスクあるよね」とか「理想を追うのもいいけど現実見なよ」とか言われて、話し相手がいなかったそうだ。
俺たちは後日一緒にランチを食べる約束をした。
待ち合わせのカフェにあらわれたリンネさんの装いは、ゆったりとしたリネンのワンピースにジャケット。
自然が好きだという彼女にピッタリだ。
ジャケットの後ろの小さなリボンが印象的でかわいらしい。
軽く挨拶を交わしたあと、仕事の話になった。集合研修が終わって、今はそれぞれの配属先で OJTを受けている。
俺は営業部でリーダーと一緒に得意先を回っているところだ。想像とリアルのギャップに戸惑いながらも、顧客とのコミュニケーションが利益に直結することを実感している。
大学で統計学を学んできたというリンネさんは市場調査部で、今は自社商品の購買動向に関するリサーチを行っているそうだ。
今年の新入社員の中で理解度がピカイチであると俺の耳にも入ってくるくらい評判になっているリンネさんだが、目の前に座っている本人は「なかなか思うようにいかなくて」と悩みを語る。幸運にも、俺もリンネさんも良心的な先輩に恵まれているが、大変なことはあるようだ。
「で、本題に入るけど、竜崎くんのお兄さんは離島に住んでいるの?」とズバリ聞いてくるリンネさん。打ち解けてくれたようで敬語ではなくなっている。
俺が「いや、離島に住みたい人に仕事を紹介したり、そのあとの生活をサポートしたりしているんだよ。だから住まいはこっち」と答えると、リンネさんはグイッと身を乗り出した。
「リゾートバイトではなくて仕事?」と聞く。
「うん。そう」と言うと、
「うわぁ、もっと聞きたい! もう昼休み終わっちゃうから戻るけど、今日の夜、空いてる? 両国駅前の本屋に18:30ね」と慌てて言うと、俺の返事も待たずに両手をヒラヒラと振りながら足早に会社に戻っていった。
小さな声で「了解」と言ったあと、ジャケットの後ろの小さなリボンがリズミカルに揺れるのを見送ってから俺も営業部へ急いだ。
会社の最寄駅である両国駅前の本屋は力士が楽に通れるくらいとても広いので待ち合わせに向いているとは思えない。俺はまず旅行本コーナーに行ってみた。
いない。
遅れているのか、場所が違うのか、俺はあたりを見回すと、
いた。
料理本コーナーで険しい顔をしている。
「お待たせ。料理が好きなの?」と聞くと、
ブンブンと大きく頭を横に振って
「逆よ、逆。苦手なの。でも最近外食が多くて栄養が偏ってるから、うまく緑黄色野菜が摂れるレシピはないかなーって」
会社での評判だけだと、なんでも理路整然とこなしていそうなリンネさんだが、リラックスしているとこんな感じなんだなと、おかしくなった。
リコッタパンケーキが食べたいというリンネさんの要望に応えられるお店に入る。本命は後に取っておくとして、栄養の偏りを気にしているリンネさんと、まずはサラダをシェア。
離島生活が夢だというので勝手に野菜好きかと思っていたらそうではなかったようだ。眉間にシワを寄せながら大きめのリーフレタスを見つめているので、切り分けてお皿に乗せてあげたら喜ばれた。
「リスじゃないんだから草ばっかり食べられないよね」と言うので、
「それを言うなら牛とか馬じゃないの?」と返すと大笑いしている。
表情も態度もいい意味でどんどん変わっていって、印象が何度もリセットされる。
面白いな。
あんがい律儀な俺は前もって兄貴から仕入れておいた離島の仕事のことを話し始めた。
リンネさんは頷いたり驚いたり忙しい。もちろん食べることも忘れない。
リコッタパンケーキの後、りんごのタルトもぺろりと平らげると、「また話を聞かせてもらえるかしら?」と言うので、「兄貴に質問があるなら遠慮なくリクエストしていいからな」とウインクした。
ウインクしてから急に恥ずかしくなったが、リンネさんは俺の顔など見ておらず、目を宙に泳がせて質問を考えて始めていた。
あれから何回か二人で食事に出かけた。いつのまにかリンネさんからリンネと呼び捨てで呼ぶようになっていた。
少女マンガなら恋がめばえる理想の展開なのだろうが、
なんとリンネの相手は俺ではなくて兄貴だった。
あまりにも質問が多いので、俺は兄貴を呼んでリンネと会わせたのだ。それが始まり。
リンネは、兄貴の筋肉隆々、とまではいかないが引き締まって凛々しい姿も気にいったようだったが、やさしい人柄にまいってしまったらしい。
弟の俺が言うのもなんだが、兄貴は昔から利他的な考え方や行動をする思いやり深い人間だ。大学時代は離島の村で毎年ボランティアをしていた。
リンネの質問にも一つひとつ丁寧に答えている。
しばらくのあいだ3人で約束していたが、兄貴とリンネの留学先が一緒だったことが分かり、二人は急接近。
臨機応変な性格の俺は自然にフェードアウトした。
二人が離島をテーマにしたリバイバル映画を観に行った帰りに、リンネが勇気を出して兄貴に告白した。
そして、あっという間に家族にも紹介される間柄になった。
いつだったか、俺が実家に帰ったらリビングにリンネがいて、親父と将棋をさしていた。理屈っぽい親父がリンネのたわいもない話にニコニコしながら相槌を打っている。
お袋が「リンネちゃんが来るとお父さん機嫌がいいのよ」と俺に耳打ちした。
そういうお袋もすっかりリンネを気に入っていて、流行の店の話なんかしている。
年が明けて二月になってすぐの立春の日に両家顔合わせが行われた。
リンネのご両親に「良縁を運んでくださりありがとうございます」と頭を下げられ、俺は面食らった。そうか、俺は二人のキューピットなのか。
「利発なお嬢様で」
「ご立派な息子さんで」
と親同士が互いを褒めあってるのが微笑ましい。褒められている当の本人たちは気恥ずかしそうだ。
結婚式や新婚旅行はまだ先で、まずは入籍するらしい。
実家をリフォームして同居する話も出ているくらい良好な関係で何よりだが、どうもリーダーシップを発揮しているのはリンネのようだ。
頼もしい義姉さんの誕生だ。
まだ3人で会っているころ、兄貴から
「お前、リンネちゃんのこと好きなのか?」と聞かれたことがある。
俺は少し迷って
「気に入っているけど、好きというのとは違う」と答えた。
リンネが兄貴に惹かれていることに気づいていたから。
あのとき
「そうだよ」と言っていたら何かが変わっただろうか。
まあ、俺は略奪するような柄でもないし、リンネが義姉さんになるというのも楽しそうだ。
顔合わせの料亭を出て空を見上げると、星がきらめいていた。
いつのまにか隣にいたリンネが「いつかみんなで離島に行って流星群を見たいね」と言った。
リンネが星に向かってピョンピョン飛び跳ねると、コートの後ろについた小さなリボンも俺の隣でピョンピョン揺れた。